うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その112

2008-10-22 04:34:47 | 日記

☆一風呂浴びて一杯ひっかけて、そして一服やるのはなんとも言えない、まさに現世極楽だ。極楽は東西南北、湯坪にあり、酒樽にあり煙管にありだ!<o:p></o:p>

☆午後は風が出てまた孤独の旅人をさびしがらせた。<o:p></o:p>

☆行乞流転に始終なく前後なし、ちぢめれば一歩となり、延ばせば八万四千歩となる。万里一条鉄。<o:p></o:p>

☆方々へハガキを出す、飛んでゆけ、そして飛んでこい。その返事が懐かしい友の言葉が、温情が。<o:p></o:p>

☆世間師はあればあるように、なければないようにやってゆくだけの技術を備えている。<o:p></o:p>

☆何といっても世の中で高いのは酒、安いのは米。<o:p></o:p>

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 今日は微苦笑寸劇に遭遇したと話します。或る下駄やで安いのを見ているとそこの若いかみさんが、直ぐに「御免」と言います御免とはお布施お断りの台詞です。そこで、下駄を買おうと思っていたのです。ずいぶんと又気が早いですなと言うと、赤い顔して泣き笑いしたと。「罪はないが快い出来事ぢゃない。」なんとなく分かります、山頭火としては不愉快なのでしょう。<o:p></o:p>

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 三月二十七日 曇、終日臥床。<o:p></o:p>

 昨夜飲んだ焼酎が悪かったのか、食べた豆腐に中ったのか腹痛を起こしています。<o:p></o:p>

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☆あまり健康だったから、健康といふものを忘れてしまっていた、疾病は反省と精進とを齎す<o:p></o:p>

☆旅で一人で病むのは罰と思うほかない。<o:p></o:p>

☆病めば必ず死を考える、こういう風にしてこういう所で死んでは困ると思う。自他共に迷惑するばかりだから。<o:p></o:p>

☆死! 冷たいものがスーッと身体を貫いた、寂しいような恐ろしいような、何ともいえない冷たいものだ。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その111

2008-10-21 05:58:40 | 日記

翌日も利休帽子をかぶり、地下足袋に尻を端折っての扮装で小降りにな<o:p></o:p>

った雨の中市内見物に出ます。これを漫歩と称しています。港の風景を面白がり、プロレタリヤ・ホールと大書した食堂、簡易ホテルの看板をだした木賃宿もあると。おまけに一杯五十銭の濁り酒があるから、チョンの間五十銭の人肉もあると、うがった見方をするのも山頭火らしいです。しかし同時に「(コツ)となつてかへつたかサクラさく」(佐世保凱旋日)なる句を作っています。大陸の戦火は激しさを増してきているのでしょうか。<o:p></o:p>

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 三月二十四日 晴 春風吹く。<o:p></o:p>

 九時から三時まで市街を行乞しますが、行乞相は悪くはないのだがいまひとつ所得が悪いとぼやき、宿もうるさいので早くに平戸から五島へ渡りたいと気が急くようです。<o:p></o:p>

 「それにしても旅はさみしいな、行乞もつらいね。」とは実感がこもり、憐れを催うします。<o:p></o:p>

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    水が濁って旅人をさびしうする<o:p></o:p>

 塩湯にゆっくり浸かってから二三杯かたむけ、有り難いと言葉を発します。やはり旅人は淋しさを酒で紛らすのでしょうか。夜はなお滅入る気持を引き立てるためか、レビュー見物に出かけます。<o:p></o:p>

 「花はうつくしい、踊り子はうつくしい、ああいふものを観てゐると煩悩即菩提を感じる」さすが坊さんらしい感想であります。<o:p></o:p>

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 をとことをんなとその影も踊る<o:p></o:p>

 サクラがさいてサクラがちつて踊子踊る<o:p></o:p>

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 三月二十五日 晴、「夜来の雨はどこへやら、いや道路のぬかるみへ!」勢いをつけて宿を出ます。「今日も行乞しなければならない、食べなければならないから、飲まなければならないから、死なないから。……」とは。<o:p></o:p>

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 ヒヨコ孵るより売られてしまつた

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その110

2008-10-20 05:56:30 | 日記

 春が来た旅の法衣を洗ふ<o:p></o:p>

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 ここですっかり洗濯して一言、「法衣も身体も、或は心まで。」とはなかなか口には出せない台詞であります。<o:p></o:p>

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 三月十九日 お彼岸日和、うららかなことである。滞在とあります。<o:p></o:p>

今朝は出立する予定でしたが、謀反気が起きたようで、遊べる時に遊ぼうと湯に入ったり、歩いて話し勿論飲んでということになります。<o:p></o:p>

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 湯壺から桜ふくらんだ<o:p></o:p>

 ゆつくり湯に浸り沈丁花<o:p></o:p>

 寒い夜の御灯またたく<o:p></o:p>

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 三月二十一日 晴。彼岸の中日、即ち春季皇霊祭、晴れて風が吹いて、この孤独の旅人をさびしがらせます。行程八里、早岐の太田といふ木賃宿に泊まります。<o:p></o:p>

 少しばかり行乞しますが、気分が乗らぬと言います。嬉野温泉で飲み過ぎたせいか、そうではないようです。「俊和尚、元寛君の厚意が懐中にあるためか…、」当人は直ぐにいやそうではないと否定します。風が吹いたためと言いますが或いはそうかも知れません。しかし夕方になって一文無のルンペンが来て酒を飲みかけて追つぱらわれたのを目撃します。<o:p></o:p>

 「人事ぢやない、いろいろ考へさせられた、彼は横着だから憎むべく憐れむべしである、私はつつましくしてゐるけれど、友情にあまり恵まれてゐる、友人の厚意に甘えすぎてゐる。」<o:p></o:p>

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 ふるさとは遠くして木の芽<o:p></o:p>

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翌日は<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="42:長崎県佐世保市;" Address="佐世保市">佐世保市</st1:MSNCTYST>内です。さすがに軍港の街、なかなかにぎやかで水兵で一杯といい、彼等はよく持てると感心しております。艦隊が凱旋した模様なのです。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その109

2008-10-19 06:31:56 | 日記

☆心正しければ相正し、物みな正し。<o:p></o:p>

☆聖人に夢なし、聖人には悔いがないから。<o:p></o:p>

☆自分が与えられるに値しないことを自覚することによって行乞が本当になります。<o:p></o:p>

☆ルンペンのよいところは自由! 主観的にも客観的にも。<o:p></o:p>

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 酒やめておだやかな顔<o:p></o:p>

 「こんな句はつまらないけれど、ウソはない、ウソはないけれど真実味が足りない、感激がない。」<o:p></o:p>

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☆ほろりと歯が抜けた、さみしかった<o:p></o:p>

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 三月十六日 十七日 十八日 嬉野温泉滞在、よい湯よい宿。朝湯朝酒勿体ないなあ。実感がこもります。<o:p></o:p>

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 さみしい湯があふれる<o:p></o:p>

 鐘が鳴る温泉橋を渡る<o:p></o:p>

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 「余寒のきびしいのには閉口した、湯に入つて床に潜りこんで暮らした。雪が降つた、『忘れ雪』といふのださうな。お彼岸が来た、何となく誰もがのんびりして来た。」<o:p></o:p>

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 されうた<o:p></o:p>

うれしのうれしやあつい湯のなかで<o:p></o:p>

またの逢瀬をまつわいな<o:p></o:p>

あたしやうれしの湯の町そだち<o:p></o:p>

あついなさけぢやまけはせぬ<o:p></o:p>

たぎる湯のなかわたしの胸で<o:p></o:p>

主も菜ツ葉もとけてゆく
現在でも歌いつがれているのでしょうね。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その108

2008-10-18 05:37:01 | 日記

 三月五日 すべて昨日のそれらとおなじとあります。大隈公園に行きます。そこは大隈侯の生誕地であって、三十年前早稲田在学中候の庭園で侯等と一緒に記念写真を撮ったことを思い出して悄然とします。<o:p></o:p>

 宿のおかみさんの話をします。ここのおかみさんは女の欠点をより多く持ち合わせていると断罪し、彼女と一緒に生活している御亭主の忍耐に敬服しています。また同宿のお遍路さんの細君は見た目はまあまあだが、時々ヒステリックになり、朝から夫婦喧嘩を始めるのはどうかと、蔑むより人間の惨めさを感じると憐れんでいます。山頭火、どうも女性に対して手厳しい風が見られるのはひが目でしょうか。<o:p></o:p>

 <st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="41:佐賀県佐賀市;" Address="佐賀市">佐賀市</st1:MSNCTYST>のものの安さに感心しています。まず酒です。酒は八銭、一合五勺買えば十分二合くれるとはまた結構なことです。大バカ盛りうどんが五銭、カレーライス十銭、小鉢物五銭とあります。<o:p></o:p>

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 畳ふるきにも旅情うごく<o:p></o:p>

 樹彫雲影猫の死骸が流れてきた<o:p></o:p>

 土手草萌えて鼠も行つたり来たりする<o:p></o:p>

 水鳥の一羽となつて去る<o:p></o:p>

 飾窓の牛肉とシクラメンと<o:p></o:p>

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 三月六日 曇后雨、あとは昨日の通り。行乞の途次、たまたま出征兵士を乗せた汽車に遭遇しました。「私も日本人の一人として、人々と共に真実をこめて見送つた、旗がうごく、万歳々々の声、私は覚えず涙にむせんだ、私にもまだまだ涙があるのだ!」。その僅か十年後、子供であった小生は日の丸の小旗を振って、同じく汽車での出征兵士を見送っています。あっという間に日本は戦争の泥沼に突入していったのです。感無量といったところです。次に山頭火、意味深い話を聞かせてくれます。「同宿のルンペン青年はまづ典型なものだらうが、彼は『酒ものまない煙草もすはない、女もひつぱらない、バクチもうたない、喧嘩もしない、ただ働きたくない』怠惰といふことは、極端にいへば、生活力がないといふことは、たしかに、ルンペンの一要素、致命的条件だ。」<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その107

2008-10-17 06:00:00 | 日記

三月三日 <st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="41:佐賀県佐賀市;" Address="佐賀市">佐賀市</st1:MSNCTYST>に入ります。「もう野でも山でも、どこでも草をしいて一服するによいシーズンとなつた、そしてさういふ私の姿もまた風景の一点描としてふさはしいものになつた。」さもありなんです。

 佐賀は初めてですが市としては賑やかではなく、第一印象としては悪くなしと言います。市中うどん屋の看板に『はたらかざる人はくらふべからず』とあります。山頭火の苦笑いが窺えます。昨夜はよい宿よい酒だったが今夜の宿は同宿七人、うるさくておちおち酒も飲めないと愚痴ります。「その中の遍路夫婦は小さい子供を四人も連れてゐる、無知と野卑と焦燥とを憐れまずにはゐられない。」と嘆じています。

 翌日は九時半から二時半まで第一流街を行乞しますが成績もよく、一杯やってから活動写真を観に出かけます。『妻吉物語』はよかった。『爆弾三勇士』には涙を流します。「戦争、死、自然、私は戦争の原因よりも先ずその悲惨にうたれる、私は私自身をかへりみて、私の生存を喜ぶよりも悲しむ念に堪へない。」

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妻吉物語【つまきちものがたり】
実際にあった「堀江六人斬り事件」と、その犯人の娘である舞妓・妻吉が書いた『妻吉自叙伝堀江物語』 をもとにした悲劇。かつて映画化もされた。妻吉は堀江遊郭に住む17歳の舞妓。母は若い男と浮気をし、家を出てしまう。残された父は頭がおかしくなり、刀を振り回して人々を惨殺する、いわゆる「堀江六人斬り事件」を起こす。 妻吉も両腕を斬り落とされたが、かろうじてただ一人助かる。その後、妻吉は自分と父を捨てた母親を憎みながら舞妓をしていたが、ある日、みすぼらしい老女を見かける。その老女こそ、変わり果てた母の姿だった。涙ながらに謝る母を見た妻吉は、母を許し、共に生きようと決意するのだった。「演劇ネットより」<o:p></o:p>

爆弾三勇士とは、上海事変中の1932年(昭和7年)222蔡廷楷率いる19路軍が上海郊外の廟行鎮に築いた陣地の鉄条網に対して、突撃路を築くため、点火した破壊筒をもって敵陣に突入爆破(強行破壊)し、自らも爆死した独立工兵第18大隊久留米)の、江下武二北川丞作江伊之助各一等兵のことを指す。「ウィキペディアより」<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その106

2008-10-16 05:35:08 | 日記

 今日は行程二里、高町、秀津、山口、等、等とよく行乞したと自賛です。「おかげで理髪して三杯いただいた」山頭火の更生とはよく分かりません。<o:p></o:p>

同宿は六人、同室は猿回しと面白がります。此の宿山口屋は可もなし不可もなしと採点。<o:p></o:p>

☆物にこだわるなかれ、無所得、無所有、飲まないで酔うようになれ。<o:p></o:p>

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三月二日 どうやら春ですね、行程二里、行乞六時間、久保田。<o:p></o:p>

行乞の収入が日増しによくなると言います。しかしそれは主観的にそうだと言い切れるが、第三者に対しては知らぬと素っ気ありません。 <o:p></o:p>

この地方で多いのは焼芋やと鍼灸治療院と言います。それより多いのが勝烏、騒がしく啼き、飛んでいるようです。現在はどうなのでしょうか。<o:p></o:p>

() 冬になると飛んでくる渡り鳥で、天然記念物です。甲高い声で啼きます。

頭上に啼きさわぐ鳥は(かち)(からす)

 枯草につつましくけふのおべんたう

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今日は妙なことがあったと話し出します。或る家の前に立つと、奥から出てきた老婦人が鉄鉢の中へいとも無造作に五十銭銀貨を、それも二枚入れ、奥へ下がってしまいます。彼はハッとしますがなにか特殊な事情があるやも知れずと懇ろに回向しました。しかし後で考えるに一銭銅貨と間違えたのではないかということです。もしそうなら乞食坊主としてもすまないという思いがあります。といって今更戻って確かめるのも変だしと躊躇います。行乞中五十銭銀貨一枚頂戴することはあるそうで、そんな場合には間違いではないかと確認してからではないと頂かないそうである。実際にそうした間違いはあるそうです。しかし今日のばあいは二枚です。決して忙しい時でなし、あたりも決して暗くはない。特別の事情があると解釈しても無理はあるまいと納得します。「…が、念のために一応訊ねておいた方がよかつたとも考へましたが、とにかく今となつては、稀有な喜捨として有難く受納する外ない、その一円を有効に利用するのが私の責務であらう。」山頭火としては精一杯の結論といえます。

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その105

2008-10-15 05:50:27 | 日記

 きのふは風けふは雪あすも歩かう<o:p></o:p>

 ふるさとの山なみ見える雪ふる<o:p></o:p>

 さみしい風が歩かせる<o:p></o:p>

 このさみしさや遠山の雪<o:p></o:p>

 山ふかくなり大きい雪がふつたきた<o:p></o:p>

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☆夢の中でさえ私はコセコセしている。ほんとうにコセコセしたくないものだ。<o:p></o:p>

 二月二十八日 行程五里、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="07:鹿島町;" Address="鹿島町">鹿島町</st1:MSNCTYST>。<o:p></o:p>

 毎日のように天候悪しと嘆きます。雪中行乞は辛いもの、辛いことは辛いが張り合いがあって、かえってよろしいと負け惜しみでしょうか。どうやらそうらしいです。「浜町行乞、悪道日本一といつてはいひすぎだらうが、めづらしいぬかるみである、店舗の戸は泥だらけ、通行人も泥だらけになる、地下足袋のゴムがだんぶり泥の中へはまりこむのだからやりきれない。」と悪態をついてますから。しかし直ぐに手の平を返す山頭火でした。「此地方は造酒屋の多いことも多い、したがつて酒は安い、我党の土地だ」は笑わせます。<o:p></o:p>

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 四ツ手網さむざむと引きあげてある<o:p></o:p>

 焼跡のしづかにも雪のふりつもる<o:p></o:p>

 雪の法衣の重うなる (雪中行乞)<o:p></o:p>

 雪に祝出征旗押したてた<o:p></o:p>

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☆生きるとは味ふことだ、酒は酒を味ふことによつて酒も生き人も生きる、しみじみ飯を味ふことが飯をたべることだ、彼女を抱きしめて女が解るといふものだ。<o:p></o:p>

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 三月一日<o:p></o:p>

 三月更生といきなりです。月が変って新しい一歩と気を引き締めるということですか。だれでもやること言うことは同じのようです。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その104

2008-10-14 05:24:12 | 日記

二月十二日 今日も日本晴れ、まるで春。行程五里、海沿いの美しい道を<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="42:加津佐町;" Address="加津佐町">加津佐町</st1:MSNCTYST>に到着。<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="42:長崎県島原市;" Address="長崎県島原市">長崎県島原市</st1:MSNCTYST>と確認します。<o:p></o:p>


☆昨夜はラヂオ、今夜は蓄音機、明日は琴が聴けますか。<o:p></o:p>

☆玉峰寺で話す。禅寺に禅なし、心細いではありませんか。<o:p></o:p>

☆自戒、焼酎は一杯で止めるべし、酒は三杯重ねるべからず。(陰の声、正論です)<o:p></o:p>

☆歩いているうちに、だんだん言葉が解らなくなった。ふるさと遠し、柄にもなく少々センチになる。<o:p></o:p>

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 解らない言葉の中を通る<o:p></o:p>

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☆気が滅入ってしまうのでぐんぐん飲んだ。酔っ払って前後不覚、カルモチンよりアルコール、天国より地獄の方が気楽だ。<o:p></o:p>

☆近来どうも身心の衰弱を感じないではいられない。酒があれば飲み、なければ寝る、それでどうなるのだ!<o:p></o:p>

☆善良な人は苦しむ、私は私の不良をまざまざと見せつけられた。(俊和尚の手紙を読み)<o:p></o:p>

☆吹雪に吹きまくられて行乞。辛かったけれどそれはみんな自業自得だ、罪障は償わなければならない。否、償わずにはいられない。<o:p></o:p>

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 風ふいて一文もない<o:p></o:p>

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☆五厘銭まで払ってしまった、それでも一銭のマイナスだった。<o:p></o:p>

☆一杯飲んだら空、空、空!<o:p></o:p>

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 二月二十六日 <o:p></o:p>

 九州西国第二十三番の札所和銅寺に拝登。<o:p></o:p>

 「小さい、平凡な寺だけれど何となし親しいものがあつた、ただ若い奥さんがだらしなくて赤子を泣かせてゐたのが嫌だつた。」

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その103

2008-10-13 10:33:45 | 日記

二月九日 風雨強くてとても動ける状態ではなく休養を宣言、居続けとなります。<o:p></o:p>

 「お天気がドマグレだから人間もドマグレた、朝からひつかけて与太話しに時間をつぶした。」ドマグレとは度外れた気まぐれのことでしょうか。<o:p></o:p>

 二月十日 風雨がまだ続いていたが出立、途中千々石(ちぢいわ)に泊まる予定でしたが断られ続けて一杯機嫌で行程五里、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="42:小浜町;" Address="小浜町">小浜町</st1:MSNCTYST>は永喜屋に宿をとります。<o:p></o:p>

 千々石は橘中佐の出生地でして、海を見渡す景勝地に銅像が建立されていると語ります。<o:p></o:p>

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橘周太中佐:名古屋睦軍幼年学校第二代校長<o:p></o:p>

東宮侍従武官を勤め名古屋陸軍幼年学校校長を歴任後、日露戦役に出師、第二軍静岡第34聯隊第1大隊長として遼陽の会戦・前山堡で戦死、明治37.8.31。軍神として崇められる。橘中佐は名古屋幼年学校の象徴で、敬仰の中心で職員、生徒の精神的支柱であった。<o:p></o:p>

 或る店頭で井上前蔵相が暗殺された記事を読んで、日本人は激し易くて困ると嘆いております。<o:p></o:p>

この宿の採点はまあまあといったところでしょうか。食事については朝晩塩辛い豆腐汁を飲ませると苦言、笑わせます。しかし夜具は清潔、敷布も枕掛けも洗濯したばかりとか。木賃宿では珍しい幸運といえるのかも知れません。それよりここの湯は熱くて量も多く、浴びてよく飲んでうまいと御機嫌です。
 「この地は海も山も家も、すべてが温泉中心である、雲仙を背景としてゐる、海の青さ、湯烟の白さ」と讃えています。<o:p></o:p>

二月十一日 快晴、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="42:小浜町;" Address="小浜町">小浜町</st1:MSNCTYST>行乞、宿は同前。
 今日も御機嫌は続いており、天気も日本晴れで春の陽気といいます。朝湯・行乞・行乞四時間・竹輪で三杯とは恵まれすぎています。
 「水の豊富なのはうれしい、そしてうまい、栓をひねつたままにしていつも溢れて流れてゐる、そこにもここにも。」
 「よい一日よい一夜だつた。」    
 「久しぶりに歩いた、行乞した、山や海はやつぱり美しい。一日風に吹かれた。」