うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その102

2008-10-12 05:59:53 | 日記

 二月七日 晴、肥ノ崎(脇岬)へ発動船と徒歩でとあります <o:p></o:p>

 第二十六番の札所の観音寺へ拝登しますが、情景がよろしくない、自然はうつくしいが人間が醜いのだと辛辣です。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 明けてくる山の灯の消えてゆく<o:p></o:p>

 大海を汲みあげては洗ふ (船中)<o:p></o:p>

 まへにうしろに海見える草で寝そべる<o:p></o:p>

 岩にならんでおべんたうののこりをひろげる<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 二月八日 どうやら本降りらしい中、引き止められるのを振り切って出立します。あまりにも優遇され、かえって何も出来ない日を送ったようです。過剰な接待は本人にとって重荷になるのでしょうね。あんなに喜んでいたのにです。山頭火なんだか、すまないような解き放されたような気分で歩きます。鎮西三十三所の第二十四番、田結の観音寺に詣でるにも一言つまらないです。<o:p></o:p>

 この辺り雲仙の落とし子と言いたいような、円い小山がいくつも盛り上がっていてその間の道をくねくね行きます。「だらけたからだにはつらかつたが、悪くはなかった…」しかし大いに疲れて有喜の湊屋に草鞋を脱ぎます。途中にあまり疲れたので一杯やります。この一杯がまことに効果を発揮したと手放しの喜びようです。「渇いて渇いて、もう歩けなくなつたとき、水の音、水が筧から流れおちてゐる、飲む、飲む、腹いつぱい飲む、うまい、うまい、甘露とはまさにこの水だ。」うーんと頷くしかありませんね。<o:p></o:p>

 この辺りは陰暦の正月三日、随所にお正月気分が見られ、晴着を着て遊ぶ男、女、おばさん、子供。まだまだ貧しい日本ですがまだ平和な日常は保られていたのです。<o:p></o:p>

 同宿の遍路坊さん声はいいが程がない。ということは、難しいです。宿には近所の不良老婦人とやらが寄ってきて騒ぐ、××××声色身振をするということです。解かりかねます。山頭火投げ槍です「何しろ八里は十分に歩いたのだから、労れた労れた睡い睡い。

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その101

2008-10-11 06:02:51 | 日記

 冬曇の大釜の罅 (宗福寺)<o:p></o:p>

 逢うてチャンポンたべきれない (十返花君に)<o:p></o:p>

 すつかり剥げて布袋は笑ひつづけてゐる (福済寺)<o:p></o:p>

 冬雨の石階をのぼるサンタマリヤ (大浦天主堂)<o:p></o:p>

 以上長崎の句として。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 二月五日 晴れて少し寒空ながら十返花君と山登りとなります。贅沢なことノンキなことと述懐しながらも、俳友は水筒二つを用意します。一つはお茶も一つは勿論お酒です。山頭火は握り飯を持っての出発となりました。甒岩へ登り、帰途は金比羅山を超えて浦上の天主堂を参観です。「気障な言葉でいへば、まつたく恵まれた一日だつた、ありがたたし、ありがたし。」<o:p></o:p>

  <o:p></o:p>

 寒い雲がいそぐ (下山)<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 二月六日 陰暦元旦、春が近いといふよりも春が来たやうなお天気である。長崎の街の観光と洒落ますが、どこか身構えています。それは食べるに憂いもなく、逆に飲める喜びにある。それに無関心を装うせいでしょうか。諏訪公園では水筒ならぬ酒筒の酒に舌鼓をうち、波止場で出船、波音、人声、老弱男女に耳目を向け、浜ノ町をただ買うでもなく観て歩きます。<o:p></o:p>

「ノンキの底からサミシサが湧いてくる、いや滲み出てくる」「上から下までみんな借物だ、着物もトンビも下駄も、しかし利休帽は俊和尚のもの、眼鏡だけは私のもの。」<o:p></o:p>

 この服装が態度では遊覧客と見えるのか、別にウインクしたのでもないのに若い売娼婦に呼びかけられたと、昂奮気味になっています。<o:p></o:p>

 「石をしきつめた街を上がつて下がつて、そして下がつて上がつて、そしてまた上がつて下がつて、そこに長崎情調がある、山につきあたつても、或は海べりへでても。」<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 波止場、狂人もゐる (波止場) <o:p></o:p>


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その二十九

2008-10-10 05:55:54 | 日記

かみさん小学校のクラス会へ<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

10月10日<o:p></o:p>

 クラス会よく続いています。バスで一泊の日光・湯西川温泉です。実家の傍まで旅館のバスが送り迎えしてくれて、あさ八時の出発です。従って前日にかみさんは田舎へ行き、弟の家に泊まります。帰りが遅くなればもう一泊して都合三泊四日の旅行となります。<o:p></o:p>

去年は男らの発案で一泊では飲んで帰ってくるだけだからと、二泊にしたのですがそれぞれの連れ合いから苦情が出て、今回からまた元の一泊旅行になった経緯があります。かみさんの場合は四泊五日になりますが、あたしには別にどうってことはありませんが、別に口出すことでもありません。<o:p></o:p>

 かみさん前日から、たかが一泊なのにあれこれボストンバッグに、何やかや入れたり出したり大変です。バッグがだんだん膨れていきますが、これも口出しはしません。<o:p></o:p>

 「雨どうかしら?傘いるかしらね。」<o:p></o:p>

「そのために携帯用があるんじゃないの、カバン一杯なのかい。」<o:p></o:p>

 横目でカバンを見やります。見事にパンパンに膨れています。<o:p></o:p>

 「入るわよ。」<o:p></o:p>

 こと無げに言いながらあたしに背を向けて、カバンの中味の出し入れ再開といったところです。<o:p></o:p>

どうやら支度は完了したようで、パンパンとボストンバッグを叩いています。<o:p></o:p>

 「それでは明日から行かせてもらいますね。お父さんものんびり出来ていいでしょう。意地焼かされたり、ぶつぶつ文句言う人も居ないし。」<o:p></o:p>

 「それはないでしょうよ、のんびりなんか出来ませんよ。蒲団の上げ下ろしから掃除洗濯洗いまでと、これでなかなか気の休まる暇なんてありませんよ。」<o:p></o:p>

 これはかみさんが一人旅行に出かける時に必ず交わされる会話です。<o:p></o:p>

翌朝娘に「お父さんのことよろしくね。」と言いながら出かけて行きました。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その100

2008-10-09 06:03:55 | 日記

 二月三日 勿体ないお天気、歩けば汗ばむほどのあたかさ。大分気分も軽くなって行乞しながら諫早へ三里、この後の行乞は何だか嫌になり声も出ないし足も痛むので、汽車電車で十返花さんを訪ねます。心からの歓待に来てよかった、のびのびとしたと正直です。留置の郵便物にも感激します。俊和尚からは利休帽、褌、財布と温情こもったものが届いております。<o:p></o:p>

 旅の道連れは田舎の老人ですがと、珍しい話を書いてます。老人は田舎医者の集金人だそうで、当節は薬代集金の成果が上がらず先生に申しわけなしと言い、煙草銭ほどもないとぼやいていたそうです。<o:p></o:p>

 <st1:MSNCTYST w:st="on" Address="長崎市" AddressList="42:長崎県長崎市;">長崎市</st1:MSNCTYST>内に到達の模様です。「長崎はよい、おちついた色彩がある、汽車の音にまで古典的な、同時に近代的なものがひそんでゐるように感じる。」思案橋を面白がります。電車の案内で見ただけなのですが、例の丸山に近いとは隅に置けません。それより思切橋というものもあったそうだが、道路改修で埋没したそうだと残念がります。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 旅は道づれの不景気話が尽きない<o:p></o:p>

 けふもあたたかい長崎の水<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 「飲みすぎたのか、話しすぎたのか何やら彼やらか、三時がうつても寝られない、あはれむべきかな、白髪のセンチメンタリスト!<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

二月四日 長崎見物、宿は今夜も十返花さん宅とは実に恵まれております。夜は句会が催うされ散会は十二時、ぐっすり眠ったと言います。友への手紙に「長崎よいとこ、まことによいところであります、ことにおなじ道をゆくもののありがたさ、あたたかい友に案内されて、長崎のよいところばかりを味はゝせていただいてをります、…私には過ぎたもてなしであります、ブルプロを超えた生活とでもいひませうか。」ブルジョア、プロレタリアを越えた生活とは豪快なことと拍手を送りたくなります。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

ならんであるく石だたみすべるほどの雨 (途次)<o:p></o:p>

 寺から寺へ蔦かづらかづら (寺町)   


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その99

2008-10-08 07:05:50 | 日記

昭和七年<o:p></o:p>

 二月一日 雨、曇、行程四里、()綿(わた)(長崎県)江川屋とあります。朝風呂はいいと思いながらも滞留は出来ないと嘆息、世の中ままならぬとは実感がこもります。全てはふところが淋しくなってきた由縁でしょうか。彼杵ソノギと読むそうですがそこまで三時間行乞を続け、また一里歩いたら雨となり宿をとります。「今日の道はよかつた、山も海も(久しぶりに海を見た)、何だか気が滅入つて仕方がない、焼酎一杯ひつかけて誤魔化さうとするのだがなかなか誤魔化しきれない、さみしくてかなしくて仕方がなかつた。」<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 寒空の鶏をたたかはせてゐる<o:p></o:p>

 水音の梅は満開<o:p></o:p>

 牛は重荷を負はされて鈴はりんりん<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 淋しさのためか悲しさのためか、今夜の山頭火は滅入りすぎてます。自分の生活力の消耗を感じ、その原因を老いか、酒か孤独のためか、行乞の故かと省り見、挙句はとにかく自分の寝床が欲しい、ゆっくり休養したいと切実です。<o:p></o:p>

 「新しい鰯を買つて来て、料理して貰つて飲んだ、うまかつた、うますぎた。前後不覚、過現未を越えて寝た。」一安心というところです。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 二月二日 雨の中四里歩いて大村町に到達してますが、気分もすぐれずおまけに右足の具合も悪そうです。それでも午後は辛抱強く行乞したと言います。町は飛行機の爆音が凄まじく長居は無用と嘆じますが、宿は静かで親切、湯も結構と、今日一日の疲労を洗い流します。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 街はづれは墓地となる波音<o:p></o:p>

 あたたかくて旅のあはれが身にしみすぎる <o:p></o:p>

 梅が香もおもひでのさびしさに<o:p></o:p>

 かういふ月並みの一句を書き添へなければならない。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その98

2008-10-07 04:57:40 | 日記

一月三十一日 曇、歩行四里、嬉野温泉。<o:p></o:p>

行乞三時間をこなして一気に嬉野に到達します。宿は新湯のそばとかで御機嫌です。しかし客が多いのでうるさいとは贅沢な話です。前の武雄温泉に好意が持てなかったせいでしょうか。「嬉野はうれしいの」と神功皇后のお言葉が言い伝えられているそうです。<o:p></o:p>

「飲んだ、たらふく飲んだ、造酒屋が二軒ある、どちらの酒もよろしい、酒銘『一人娘』『虎の児』とは愉快であります。酒も飲みますが湯にもぞっこんです。湧出量が豊富で温度も高く安くて明るい。おまけに湯銭は二銭ですが宿から湯札をもらえば一銭だそうです。おかげで「休みすぎた、だらけた、一句も生まれない」とは贅沢な悩みです。<o:p></o:p>

「ぐつすり寝た、アルコールと入浴のおかげで、しかし、もつと、もつとしつかりしなければならない。」山頭火、さすが締まるところは締めます。<o:p></o:p>

行乞記()に入ります。ここには昭和七年二月一日より六月六日に至る間の九州地方行乞記を収載してあります。<o:p></o:p>

ここでこの巻に解説を寄せられている村上護氏のお力をお借りします。以下抜粋であります。<o:p></o:p>

……特定の仕事を持たず、誰にも制約されない生活とは自由気侭に違いない。山頭火はそういう生活を自ら選び、山野跋渉の旅に出たわけだ。<o:p></o:p>

家にあっては旅に憧れ、旅にあっては家に憧れる、これは一種の退行現象。山頭火はいわばこの繰り返しで、ある時までは捨てた妻子の家であっても休息の場所に選んでいる。<o:p></o:p>

そんな家にも迷惑をかけ過ぎて寄りつけなくなると、今度は旅にあっては草庵に憧れ、草庵にあっては旅に憧れる堂々巡り。その間にも酒を飲み愚行に走るから、あとは慙愧、慙愧の反省しきりだ。……これを端的に言うならば持戒・破戒・懺悔が円環をなしている。それを飽きることなく繰り返すから、読んでいる方はうんざりだ。けれど山頭火がただの酔っ払いで終わらないのは、濁れるときも澄むときにも俳句を作っていること。……<o:p></o:p>

 あたしとしては苦しくもあり嬉しくもなる解説と言えます。

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その97

2008-10-06 05:37:13 | 日記

一月二十九日 行程三里武雄温泉に宿をとります。福泉寺で朝酒を頂いてその勢いで一気に山越えです。「呼吸がはずんで一しほ山気を感じた」寺での思いもまだ残ります。「…千枚漬はおいしかつた。解秋和尚から目薬をさしてもらつた(此寺へは随分変り種がやつてくるそうな、私もその一人だらうか、私としては、また寺としても、ふさはしいだらう)。」<o:p></o:p>

 なおこの寺は紫式部の出生地とか、古びた一幅を見せてもらっています。<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

「故郷に帰る衣の色くちて<o:p></o:p>

   錦のうらやきしまなるらん」  どなたか解説を!<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

五百年忌供養の五輪石塔が庭内にあるといいます。さて武雄温泉、二銭湯とかで、きたなくて嫌だが、西方に峠を見せる城山は低くて今にも倒れそうだが樹木の繁った山と褒めます。<o:p></o:p>

「うどん、さけ、しやみせん、おしろい、等々、さすがに湯町らしい気分がないではないが、とにかく不景気。」とおっしゃっています。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

一月三十日 天気もよし暖かく滞在とあります。どうやら懐のほうも大分暖かそうであります。意気軒昂といったところのようです。なにしろ解秋和尚からお布施をたっぷり、おまけに緑平老からも頂いたのです。これを称して山頭火、「どまぐれざるをえない」と言います。たっぷり恵まれていることを表わしているものと思います。<o:p></o:p>

「一浴して一杯、二浴して二杯、三浴して三杯だ、百浴百杯、千浴千杯、万浴万杯、八万四千浴八万四千杯の元気なし」<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

今日一日は怠けるつもりだったようですが、そこは思い返して午後二時間ばかり行乞しましたとは余裕です。<o:p></o:p>

「よき食欲とよき睡眠、そしてよき生欲とよき浪費、それより外に何物もない!とにかくルンペンのひとり旅はさみしいね」と言ってもほかにいうことはないと思いますが、如何なものでしょうか。なお、生欲を性欲と表示している資料もあるようです。まっ、どっちでもいいですが。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その96

2008-10-05 05:26:59 | 日記

一月二十八日 朝焼、そして朝月がある、霜がまつしろだ。<o:p></o:p>

 今日はまだ会ったこともなく、寺の名前も知らぬ解秋和尚に面会する日といいます。あちこち訪ねて檀家を探し道筋を教えられて、山寺の広間に落ち着いたのが五時、行程五里とは行乞の後ですから驚きます。<o:p></o:p>

九十四間の自然石段に一喝されと言います。驚愕したということでしょうか、初なから度肝をぬかれたのでしぅか。続きます。古びた千数百年前の作といわれる仁王様に二喝され、土間の大柱に三喝されます。挙句は和尚のあたたかい歓待にすっかり抱き込まれたと、らしくない他愛なさです。<o:p></o:p>

 「一見旧知の如し、逢うて直ぐヨタのいひあひこが出来るのだから、他は推して知るべしである。いかにも禅刹らしい、そしていかにも臨済坊主(臨済宗という禅宗の一派のことを指すのか?)らしい、それだから臭くないこともない。」よく分かりませんが見るところは見てるということでしょうか。遠慮なしに飲んで、鼾をかいて寝たと言います。<o:p></o:p>

 ここは飯盛山福泉寺(鍋島家旧別邸)山そのままの庭や茅葺きの本堂書院庫裏、かすかな水音に梅の一二本、海まで見えるといいますからこの世の極楽境地でしょう。「猫もゐる、犬もゐる、鶏も飼つてある、お嬢さん二人、もろもろの声(音といふにはあまりしづかだ)<o:p></o:p>

 すこし筧の匂ひのする山の水の冷たさ、しんしんとしみいる山の冷え、とにかく、ありがたい一夜だつた」<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 父によう似た声が出てくる旅はかなしい<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 「祖母も父も、叔父も伯母も、……生き残つてゐるのは、アル中の私だけだ、私はあらゆる意味に於いて残骸だ!」ありがたい一夜に巡りあっても人間悲しみが募ってくるのですね。山頭火の業でしょうか。<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

この地方は二月一日がお正月。共同餅搗は共同風呂とともに村の平和を思わせるといいます。<o:p></o:p>

そう言いながら言い放ちます。「歩く、歩く、死場所を探して……首くくる枝のよいのをたづねて!」とは自虐すぎます。

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その95

2008-10-04 05:42:44 | 日記

 一月二十六日 曇、雨、晴、行程六里 相知。ここの相知、Ochiと読むと註を入れてくれます。「麦が伸びて雲雀が唄つてゐる、もう春だ」いささか気が早いようですが、それだけ今朝は気分がよろしいのか。<o:p></o:p>

この地について語ってくれます。ここは幡随院長兵衛の誕生地であり、新しく分骨を祀って堂々たる記念碑まであるといいます。その後裔塚本家は酒造業を経営しております。その酒銘がおもしろいです。権兵衛とか長兵衛とか独特のもの、もちろん山頭火は試飲いたしております。<o:p></o:p>

「酒そのものは権兵衛でも長兵衛でもないやうだつた、阿々。」<o:p></o:p>

この町どこを歩いても人間が多い、子供が多すぎると辟易気味、朝早いのは鶏と子供だとはおもしろい言い様です。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

ふりかへる領布振山はしぐれてゐる<o:p></o:p>

枯草の長い道がしぐれてきた<o:p></o:p>

ぐるりとまはつて枯山<o:p></o:p>

枯山越えてまた枯山<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 一月二十七日 雨、曇、晴、行程三里、莇原(アザミバル)、若松屋。<o:p></o:p>

 同宿の老人につられて六時前に起床です。九時まで読書とあります。雨は止みましたが風となり、笠が吹き飛ばされそうになる中、沿道を行乞しながら東に向いますとは、墨衣の雲水姿が彷彿と浮んで参ります。この地方は炭鉱街で何となく騒々しくてうるさいと貶しますが、「山また山はうれしい、海を離れて山にはいつたといふ感じがよい。」<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 宿のおかみさんは、一人で弾いて唄って浮かれているといいます。一風変わった女だ。しかし「楔が一本足らないやうにも思はれるが。」とは現代ではひと悶着起こします。<o:p></o:p>

 同宿三人、誰もが儲からない儲からないと言い、ぐうたら坊主、どまぐれ坊主と命名したのか、どちらもよい名前だと自賛です。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 山路きて独りごというてゐた

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その二十八

2008-10-03 06:59:10 | 日記

「奥歯が消えた」の続きです<o:p></o:p>

 10月2日<o:p></o:p>

 受付で化膿止めと痛み止めの頓服、そして抜歯後の注意書きの紙片を頂き帰ります。丹念に紙片に目を通します。まあ常識的な事柄でして、アルコールはダメ、入浴はシャワーにとどめる、シャワーは受付での注意です。激しい運動は避け安静に心がけるといったところでしょうか。でも留意しなくてはならぬ事項があります。これは口頭で先生にも注意されたことですが、抜歯したあとにガーゼを噛まされています。これを20分から30分、しっかり噛んだ後捨てて下さいとあり、その後が肝要であります。逆に長時間噛みつづけているとガーゼを剥がすとき出血するから注意とあります。ナルホド、子供のころすりむいた膝の傷のかさぶたを無理に剥がすと、またアカンベエになってしまうのと同じ理屈とみます。説得力があります。<o:p></o:p>

 昼食はおじやを作ってもらい、夕食はたまたま煮込みうどんでしたので、二食なんなくクリアーしてホッとします。ところがです、寝るころになってどうも頬っぺたあたりがこわばった感じで、おまけに筋肉痛のような軽い痛みが走ります。まああれだけでかい歯を抜いたのだから、多少の違和感はあるでしょうと、頓服を飲んで寝ることに致しました。<o:p></o:p>

 翌朝起きると状態は変わらず。手鏡で見るとどうも若干腫れてるようで、顔を洗うと明らかに腫れが手で感じられました。あらためてというよりいささか慌てて注意書きを取り出し、急いで該当事項がないかと目で追いました。ありました、ありました。最後の5番目の項目、「その後」の肩書きにありました。曰く、その一で、奥の歯を抜いた翌日は口が開きにくい、つばを飲むとき痛い、歯肉、頬部が腫れた、等の症状があるときがあります。特にひどくなければ心配ありません。<o:p></o:p>

 正にぴったりです。朝一番で患部の消毒に行くことになっておりますので一安心といったところです。抜歯といっても領収証の項目に手術料とあります、簡単に抜歯と見くびってはいけないと思いました。繰り返しになりますが70年の余、口の中に根を下ろしていた歯を抜いたのですから。<o:p></o:p>