翌日も利休帽子をかぶり、地下足袋に尻を端折っての扮装で小降りにな<o:p></o:p>
った雨の中市内見物に出ます。これを漫歩と称しています。港の風景を面白がり、プロレタリヤ・ホールと大書した食堂、簡易ホテルの看板をだした木賃宿もあると。おまけに一杯五十銭の濁り酒があるから、チョンの間五十銭の人肉もあると、うがった見方をするのも山頭火らしいです。しかし同時に「骨となつてかへつたかサクラさく」(佐世保凱旋日)なる句を作っています。大陸の戦火は激しさを増してきているのでしょうか。<o:p></o:p>
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三月二十四日 晴 春風吹く。<o:p></o:p>
九時から三時まで市街を行乞しますが、行乞相は悪くはないのだがいまひとつ所得が悪いとぼやき、宿もうるさいので早くに平戸から五島へ渡りたいと気が急くようです。<o:p></o:p>
「それにしても旅はさみしいな、行乞もつらいね。」とは実感がこもり、憐れを催うします。<o:p></o:p>
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水が濁って旅人をさびしうする<o:p></o:p>
塩湯にゆっくり浸かってから二三杯かたむけ、有り難いと言葉を発します。やはり旅人は淋しさを酒で紛らすのでしょうか。夜はなお滅入る気持を引き立てるためか、レビュー見物に出かけます。<o:p></o:p>
「花はうつくしい、踊り子はうつくしい、ああいふものを観てゐると煩悩即菩提を感じる」さすが坊さんらしい感想であります。<o:p></o:p>
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をとことをんなとその影も踊る<o:p></o:p>
サクラがさいてサクラがちつて踊子踊る<o:p></o:p>
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三月二十五日 晴、「夜来の雨はどこへやら、いや道路のぬかるみへ!」勢いをつけて宿を出ます。「今日も行乞しなければならない、食べなければならないから、飲まなければならないから、死なないから。……」とは。<o:p></o:p>
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ヒヨコ孵るより売られてしまつた
レビュー見に行くなんか 中々ですね~
息抜きですか 春ですね~。
酒煙草は言うに及ばず、何事にも興味をおぼえて実践する。それが山頭火なんですよね。
今晩は。
プロレタリアといった看板が、大手を振って罷り通っていたのですね。愉快です。何を食べさせていたのでしょう。