観測にまつわる問題

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伊予と古名、神

2019-05-29 23:13:53 | 日本史
伊予の語源)諸説あるようですが、筆者は女性名/神女と考えます。伊の意味ですが、手で神杖を持った様を表わす象形文字で神の意志を伝える聖職者、治める人の意を表すのだそうです(伊 - ウィクショナリー日本語版 2019/3/6)。邪馬台国の女王名に台与(トヨ)がありますし、伊代(イヨ)という女性名は当時にあっておかしくなさそうです。他にカヨ、サヨ、チヨなんかも女性名ですね。ヨの語源は夜で、東アジアの陰陽思想で陰を女性にあてたものかもしれません。注意すべきは、北九州の倭国に伊都国があって、これが神都と読めることです。大陸との交流窓口が伊都国であり、音読みの国名も決して不思議ではありません。ちなみに豫とは「タノシムとかヨロコブの意味で、中国の古辞書に「楽也、悦也、安也」の意をもつと注する。日本の古辞書の訓にも、ココロヨシ・サカユ・タノシビ・ヨロコブなど(類聚名義抄)とある」(データベース『えひめの記憶』)のだそうです。いずれにせよ、イヨという地名ありきで、伊予郡内が最有力だと思います。イヨという地名は珍しいので、付近の群名「温泉」「浮穴」「風早」のように何かの名詞を郡名・国名・地域名にすることがあっても良さそうです。魏志倭人伝でも邪馬台国は女王国と書かれていますし。

九州から見た伊予の始まり)四国の古名ですが、日本書紀では伊予洲・伊予二名洲、古事記では伊予之二名島です。先にも指摘しましたが、伊予国だけでなく四国自体を伊予と呼んだのですから、これは大和から見た名前ではなく、弥生時代の起源が古い九州からみた命名だと推定できるように思います。地名はわりと残存するものです。また、大分から瀬戸内海側の九州にかけては豊の国(トヨの国)とされますから、名前の相似が注意されていいかもしれません。二名に関する地名として、佐多岬半島の突端瀬戸内側に二名津(goo地図)という良港があるようです。北九州からの弥生時代の拡散を踏まえると、四国の最初の平野は伊予郡になります。実際、愛媛県史によると重信川中流域においても、右岸より(伊予郡に近い南側の)左岸の開発の方が先んじていたようです。また九州が四面の国とされているのと同様、四国も四面の国であることも面白いと思います。

松前町の伊予神社)松前町の伊予神社の主宰神は彦狭島命(ひこさしまのみこと)になります。孝霊天皇の皇子で、越智氏の祖とされます。父の命で伊予を統治し、伊予皇子という別名をもつようです。欠史八代と言いますと、一般に架空と受け取られかねませんが、(卑弥呼に比定される)倭迹迹日百襲姫命の兄弟であり、畿内系土器の流入等考古学的遺物からも、決して系譜上は荒唐無稽と言えないと思います。記紀の記述をみると、時折系譜の偽造を戒める記事がありますが、逆に言えば、生き残った信頼性が比較的高い系譜が記紀の系譜と言えると思います。同母弟に稚武彦命(吉備臣の祖)もいて、邪馬台国を中心とした倭国成立に関係するようにも思います。社地にあたるのは神崎庄。伊予川の流域の変遷は激しいのですが、延喜式の頃の伊予郡の中心地にあったのが伊予神社という理解でいいのだと思います。伊予郡の郡家は神崎郷にあったとされます。かつての繁栄は今は昔で静かな感じのところなのですが、その原因は伊予川の流路の変遷にあるのか、交通路・産業構造の変化にあるのか、あるいは謎多き藤原純友の乱など戦火によるものか、その理由は現時点で不明としておきます。

伊予市の伊予神社)伊予郡の海岸沿いの平野が伊予市と松前町に分かれているのは、基本的には大洲藩と松山藩に分かれることによるようです。伊予神社に論社があるのは、その絡みもあるかもしれません。伊予の起源で考えると、弥生時代の古墳が山沿いにあること等その遺跡の分布から、伊予市域の方が早くに発展した可能性は結構高いと思います(昔ほど土木は無かったと見なければなりません)。祭神は月読尊と愛比売命で月読尊が祭られるのは珍しいようですが、この並びを見て、筆者はエヒメとは兄姫(エヒメ)というよくある古代の一般的人名で天照大神を表している可能性が高いような気がしました。月読尊の姉(長女)が天照大神だからです。これは伊予の語源と見られる神女と親和性がある見方です。

愛媛)古代において一般的にエヒメが姉でオトヒメが妹、真ん中がナカツヒメになります。ですから、何に対して姉なのかという話になりますが、筆者は天照大神=太陽神の長女と考えておきます。四国を伊予之二名島を言いますが、伊予の神が太陽神の筆頭だったら、その名も理解しやすいように思われます。九州の四神は全て太陽神ですが、至近の山口県域を除いて、もっとも近い九州以外の平野は伊予国伊予郡になると思います。

月読尊)長女天照大御神の弟神で建速須佐之男命の兄神(三貴子)。万葉集におけるツクヨミを詠んだ歌に海や航海に関係するものが幾つかあるようです。筆者はツクヨミのヨミは月齢を読む、潮を読むのヨミで、月夜見のダブルミーニングもあるかもしれませんが、「航海のために各地で何時何分に干満があるかを知る」必要性があった可能性を考えています(貴重資料展示室 潮汐 国立天文台)。スサノオとエピソードが重なる部分があるようですが、スサノオの統治領域は海とされており、出雲に辿りついています。なお、伊勢神宮内宮(皇大神宮)において月讀宮は、内宮別宮としては天照大神の魂を祭神とする荒祭宮に次ぎ、内宮宮域外の別宮としては最高位の立派な別宮となっているようです。

ツクヨミを詠んだ歌/オチミズ)万葉集巻十三・三二四五 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てる越水(をちみづ) い取り来て 公(きみ)に奉りて をち得てしかも・・・おちみず(復ち水)若返りの水。このことを月は欠けて、また満ちることになぞらえ、月の神、月読(ツクヨミ)が持っているとされるそうです。復(お)つが若返るだそうです。伊予の大族越智の語源を考えましたが、難しそうです。元は小千表記ですが、万葉仮名だと思われ、漢字に意味は無さそうです。

二名)二つ名が異名です。日本には忌み名の慣習もあったようですし、字(アザナ)は日本においても、文人や学者が使用することがあったようです。フタナとはフタツナで、異名、別名ではないのかという気もしますが。

伊豫豆比古命神社)いよずひこのみことじんじゃ。延喜式神名帳所載の伊予豆比子命神社(小社)に比定されますが、今は椿神社、椿さんと親しまれ、椿まつりは毎年約五十万人の参詣者で賑う県下随一の神社になっています。久米郡だったと思いますが、延喜式神名帳に久米郡・浮穴郡はなく、伊予川流域の変遷で松前町一帯とは重信川で分けられていなかった可能性はあると思います(伊予神社Ⅱ遺跡)。孝霊天皇の御代に鎮座したとされ、松前町の伊予神社と時を同じくして古くから大和朝廷と関係を持った可能性が高いと思います。祭神は伊豫豆比古命(男神・いよずひこのみこと)・伊豫豆比売命(女神・いよずひめのみこと)・伊与主命(男神・いよぬしのみこと)・愛比売命(女神・えひめのみこと)。豆(づ)に関しては、孝霊天皇皇子の吉備津彦命(きびつひこのみこと)や天津神、国津神と同じ用法で豆は格助詞の「つ」であるようです。


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