観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「保険」「相続」「医者の給与」「国民年金」を考察する予定。

首里城考察メモ(再建関連)

2019-12-06 11:55:03 | 日本史
2014-02-28 Shuri Castle,Naha,Okinawa 首里城正殿(沖縄県那覇市)DSCF8671.jpg(パブリックドメイン)

首里城の瓦ですけど、初期は高麗瓦で後に琉球赤瓦という説があるようですが、高麗瓦が朝鮮半島からの持ち込みという話は確率が低そうですね。多分本土の滴水瓦(高麗瓦)と同じく瓦職人が来たのだと思います。だとしたら高麗瓦も薩摩侵攻以降かなと思いました。それ以前の首里城も李朝実録に記録が見えるようですが、李氏朝鮮を高麗と言ったか疑問で、朝鮮を高麗と読んだのは日本人じゃないかと思うからです。豊臣秀吉の朝鮮出兵は唐入りが当時の用語ですが、高麗陣とも朝鮮陣とも言ったそうです。→12/6

あるいは1453年以来の2度目の消失が1660年にあったそうで、この時の再建で当時の技術でガラッと変えた可能性も考えられます。当時は尚質王(在位:1648年~1668年)で羽地朝秀を摂政とし、多くの改革を行ない、琉球最古の歴史書で和文体の中山世鑑を編纂した時代です。次ぐ尚貞王(在位:1669年~1709年)の時代に蔡鐸が中山世譜を編集し、御茶屋御殿(首里、崎山)が築造されたようです。→12/6

冊封七碑(18世紀前半~19世紀後半)なるものが復元されているようですが、冊封体制って中華皇帝を中心とした秩序が朝貢国を従えるという体制のことを言うんですよね。筆者などは冊封という言葉を聞くだけでパクスチャイナ志向=「中国の夢」を想起してしまいますが、三跪九叩等が行われた守礼門も然りで、そういう事実があったことを祖先の過ちとして記憶しておくというなら、侵略に負けない強い沖縄(県)に繫がると思いますが、先祖崇拝の日本文化では難しいのかもしれません。冊封体制は莫大な下賜品で宗主国側が持ち出しだったと言われますが((朝貢)貿易で完全に一方的な利害は疑問なものの)、債務の罠が言われる現代の「宗主国」は配るつもりもないんじゃないかと思います。元々脅威に金を渡して安全保障を買うという発想そのものに危険なところがあって、異民族とのせめぎあいの中で生まれた苦肉の策的なところが感じられますが、冊封体制は宗主国側から見て負の評価も小さくないのかもしれません(現代の宗主国に金をばら撒く気はなく、例えば臓器を収奪したいのでは?)。→12/8


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
琉球石灰岩と苔、撥水処理とお手入れ (管理人)
2020-02-13 13:37:20
ずっと気になっていた建物や城壁のくすみか何かは琉球石灰岩につく苔だと検索で判明。なるほど。撥水処理やお手入れで切りたての象牙色の風合いを保つことも出来るようで、建物や城壁は世界遺産でないのですし、風情があるという考え方もあるでしょうが、この際綺麗にしては?と思いました。首里城と言えば、朱塗りの正殿ばかりなのはくすんでいたからなのかもしれません。首里城は城なのですし、縄張り全体が宝かと思いますが、そうはなっていないようにも見えます。参考までに日光東照宮がインバウンドで人気なのは派手で手入れを怠らないところが伝わりやすいと考えられます。
返信する

コメントを投稿