観測にまつわる問題

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記紀神話と日向小考

2019-10-23 02:38:43 | 日本史
 高天原にあった天岩戸が日本にあるとは思えませんが、神道では「現世」と書いて古語としては「うつしよ」と読むそうですから、高天原にある天岩戸を映したものが高千穂の天岩戸なのかもしれません。対する常世(とこよ)は黄泉の国であり、死者の国ですが、死ぬことを眠るというように床世が本来的な原義のように思えます。漢字表記は好字令で変えられたりしているので、あまり固執し過ぎると誤解する面もあるように思えます。皇室が大和在来の家ではなく東漸してきたことは、記紀にある通りと思いますが、本来的な日向が何処だったかは現代の目で虚心坦懐に日本書紀を読んで確実なことは言えないように思っています。筑紫の神は全て太陽神であり、北九州の首長は三種の神器を誇示し、日向(宮崎県)の名付け親の景行天皇は日向高屋宮に長く滞在しましたが、その時神武天皇や高天原や皇祖神に触れていません(次代の成務天皇は「我先皇大足彥天皇、聰明神武」と言っており、神武天皇の諡号に関係している可能性もあるのかもしれませんが)。これは記紀において度々言及がある伊勢神宮とは対照的です。ただ、北九州は渡来人が渡来した地で、皇室も弥生人も外国人と思っていませんが(縄文人から弥生人になったと学問的に立証できると思いますが、文化の伝播を移民による人種交代と切り離すのは意外と難しいもので、神武天皇の出発地の日向が(日本書紀を含め)南九州とされてきたことは歴史的意義があると思っています。神話は神話であってそのまま歴史ではないと思いますが、神武天皇と2代綏靖天皇は(和風諡号から)神でもあって、神武東征も歴史そのままではなく、神話の範疇ではないかと思うことがあります(日本には神を祖先とする氏族は多いのですが、系図上の祖先神をそのまま歴史的事実と認定すると、縄文人が先輩ということになるなど、いろいろ不味いのは明らかです。従って神としての業績も慎重に扱うべきだということにならざるを得ません。つまり神武天皇が実在の人物だとして(第3代安寧天皇の祖父だとして)その時に東漸してきたかは必ずしも確実ではない気がします)。皇室が日向から東漸してきた歴史の反映だとしてもです。
 神話は有力氏族の紐帯を保つなどの効果があって、歴史を叙述する日本書紀に神話が記載されていることは意味があると思いますが、(天上界の)神話を当然(地上界の)歴史的事実と解することは出来ないのであって、歴史は歴史として読まなければならず、その時こう考えられていたという記載は重要なものですが、注意深く扱う必要もあると思っています。テキストに書かれた神話は不変で不磨だと思いますが、人間の認識は移ろいやすいところもあって、誤伝や誤読の可能性も否定できません。そもそも天孫降臨の舞台も南九州に二説ありますし、それぞれ貴重なものと思いますが、神話を歴史として扱うのは慎重であらねばならないと思っている次第です。宗教は勿論歴史の範疇ですが、天上の話は地上の話ではないから、神話たりえます。日本書紀を歴史として読めば読むほど、神話や伝承が歴史的事実として混入している部分があることに気付き、寧ろ歴史を歴史として解釈することに対して障害になっている面も否定できないように思えます。つまり古代の天皇の異常な長寿命を歴史的事実と認定してしまうと、歴史的事実として存在しない歴史解釈になってしまうのは必然です。神格化された応神天皇と言えど、歴史的人物なのであれば人間には変わりないのであって、宇宙人ではないのですから、寿命も治世も物理的限界を超えたはずがありません。
 日本書紀には外国関連記事も存在するのであって、外国の存在を無いものとする鎖国的読み方で日本書紀を読み解くことは出来ません。江戸時代に功罪あると思いますが、中国の海禁政策に倣ったか鎖国政策は(鎖国令は存在しないという詭弁に関わらず)存在しましたし(でなければ開国論は何だったのかということになります)、全てが悪ではないにせよ罪の部分が目立つような気がしてならないものの、江戸時代の経済発展が国学を発達させた一面もあります。

※facebookにおける拙稿の転載。

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