ヒデ坊!の?つれづれ道草(´ω`;)

memories & ... そこはかとなく書きつくれば

三国志浪漫ツアー 3日目 ①三峡上り

2019年07月26日 | 中国旅行ですけど。


宜昌市から葛州覇ダム(船のエレベーター)を通過して、西陵峡、三峡人家などをゆったりの船巡り。
このあたりは、赤壁、͡猇亭の上流であり、さらに上流の三峡ダムに向かった(三峡下り、ではなく上りだ)。
長江の中・上流域にもいくつかのダムが出来、三国時代とはだいぶ違った風景になってしまったのではないだろうか。

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三国志浪漫ツアー 2日目 猇亭古戦場

2019年07月25日 | 中国旅行ですけど。


今日は一日で、劉備の実質勝利デビュー戦の地(赤壁の戦い208年)と、ここ最後の大敗北の地(夷陵の戦い222年)を巡ってきた。(赤壁市と宜昌市間は270kmで4時間のバス移動)
劉備玄徳は、夷陵の戦いで呉の陸遜に敗れた後、翌年(223年)に敗走先の白帝城で没した(享年62歳)。
この間の経緯は、横山光輝三国志(全60巻)では第43巻~45巻で知ることができる「ちなみに第46巻以降はおもに諸葛亮孔明を中心に展開していて、46巻~49巻は南蛮行(七度放つ孟獲との闘い)、第49巻~59巻は魏への北伐(第52巻から司馬懿仲達参戦)、最終第60巻は蜀の滅亡です」。
それにしても、この場所は長江の崖にへばりついた古桟道の雰囲気も良く、こんな場所が戦場だったの?と疑問の沸く絶景の地でした。

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三国志浪漫ツアー 2日目 赤壁古戦場(Park)⑤赤壁摩崖石刻付近

2019年07月25日 | 中国旅行ですけど。


大いに期待してこの場所までやってきました。
高さ6mもある周瑜大提督(赤壁の戦いの翌年35歳で没)の石像の裏の崖に「赤壁摩崖石刻」があるのですが、残念ながら長江の水位が上がっていて、石刻は水没し、それを見学できる遊歩道も水没で立ち入り禁止状態でした。
やむなく周瑜の指揮所跡の「翼江亭」周辺をブラブラしつつ、こちら岸から烏林を(東南から西北方面を)望んで、今から1800年も前(日本では卑弥呼の時代)の当時の船団配置や戦闘の様々を想像してみました。
吉川英治の三国志では、様々な場面を自分流に想像しつつページをめくっていくのですが、横山光輝のまんが三国志(全60巻)では、想像なしで読み進めます(赤壁場面は第24~26巻)。
彫塑園~拝風台~周瑜像前~入場口まで電動カートを利用(20元)。

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三国志浪漫ツアー 2日目 赤壁古戦場(Park)④拝風台

2019年07月25日 | 中国旅行ですけど。


赤壁大戦のキーポイントになった東南(たつみ)の風を呼び込むために、孔明が祭壇を設置して祈祷所にした小山(南屏山頂)。
その跡には武候宮と言う建物が作られており、最初の部屋には孔明の事蹟文とレリーフがあり、さらに奥には、伝説の聖天子(禹、尭、舜)と共に、オチャメな作り(いっこく堂の人形風)の孔明、劉備、張飛、関羽(ハイタッチポーズ)の像が祀られていた。

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三国志浪漫ツアー 2日目 赤壁古戦場(Park)③赤壁大戦陳列館

2019年07月25日 | 中国旅行ですけど。


館内には、曹操、劉備、孫権、孔明、小喬(コケティッシュ?)、周瑜、関羽、張飛、趙雲、陸遜、黄蓋など、埃をかぶっているものの表現豊かな塑像が10体ほど並んでいる。
孔明考案の連続弩や発掘品、大戦時の兵船の種類模型の展示観覧と、ホールでは舞踊と小芝居(周瑜に言われた孔明が3日で10万本の矢を確保するエピソード)を鑑賞した。

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