ヒデ坊!の?つれづれ道草(´ω`;)

memories & ... そこはかとなく書きつくれば

桜前線

2010年04月26日 | うろうろシテ(国内編)います。

東北自動車道、長者原サービスエリア辺りまでが桜満開。
ここは子供用遊具も、公園もよく整備されていてゆっくりお花見も出来そう。
とん政キャラクターの「伊達ざくらポーク」使用の食品も各種あり、リーズナブルで美味。
公園から化女沼が望め、この沼にちなんだ悲しい民話の碑も建っている。
情報によると、北上展勝地は今日開花(昨年より13日遅い)したようだ。
昨日25日(日曜日)はまだ蕾の中、190台もの大型バスが来場したそうな。
角館、弘前も今日開花で、3ヵ所同時進行しているようだ。
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樅の木はあった。

2010年04月23日 | うろうろシテ(国内編)います。

山本周五郎の小説「樅ノ木は残った」で有名になったもみの木は、現在船岡城址公園のお山の一角に立っている(たしか河畔に立っていたものが何年か前に落雷で消失したと思いましたが)。
木の前には、小説のエンディング部分の文学碑も建っていました。
その手前には、伊東七十郎重孝(伊達兵部の暗殺を図った罪で斬首刑)の辞世の碑もあります。
最近も田村正和(原田甲斐)、山本耕史(伊東七十郎)出演で、テレビドラマの放映があった。
城址公園は小高い山全体で、山頂には観音像が建っていて、そこへはレールの上を走るスロープカーなるものが往復していた。
小説では、主人公の原田甲斐は伊達藩取り潰しを阻止した忠臣として描かれていて、悪役は一ノ関藩3万石の初代当主伊達兵部と、大老酒井雅楽頭となっている。
伊達騒動の後、伊達兵部宗勝は土佐へ配流、酒井雅楽頭忠清は9年後犬将軍綱吉就任で失脚、翌年急死、伊東家の再興等、謎めいた雰囲気から推理創作した小説も、実体に近い気が。
今月で閉場する歌舞伎座4月公演で上演されている「実録先代萩」では、亀千代(4代藩主伊達綱村)の命を狙う悪人として家老原田甲斐の名前が出てくる(浅岡役で中村芝翫、片倉小十郎景長役で松本幸四郎)。
同じく歌舞伎の演目、「伽羅先代萩」(足利(室町)時代に設定)でも仁木弾正は悪人です。
斬殺事件のあった酒井雅楽頭上屋敷跡は東京駅から和田倉門に向かう途中にある。
そこには将門塚(神田明神の氏神)があり、その向かいに先代萩ゆかりの立て札が立っている。
余談ですけど、神田明神下の長屋には、銭形平次(野村胡堂作)が住んでいました。
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大河原の一目千本桜、おまけ

2010年04月22日 | うろうろシテ(国内編)います。

桜並木の道筋には、大河原と船岡への距離表示、こんなカワユイ道標が所々に建っていまして、和みました。
それにしても、東北本線のローカル駅にもかかわらず、船岡駅のなんと立派な作り、まるでお城みたい。
その駅前の先には、ローカル定番の銀座通商店街がありました。
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宮城・大河原の一目千本桜

2010年04月21日 | 時々はドライブとか。

今日は久しぶりに良い天気で、やや風はあったものの暖かく、ウォーキング日和でした。
それにしても人出は多かった。
満開直前の仙台から30分程度南に下ってやっと満開、待ってましたとばかりに近辺から大量の車、それに加えて観光バス、東北3大桜紀行に来ては見たものの、3大桜はいずれも咲いておらず、急遽この地にコース変更して来た様子。
船岡から大河原まで3.5㎞(この区間列車の車窓からも見えるので減速している)、白石川の両岸は満開の桜通り、ホントは端から端まで8㎞あるらしいけど、端と端は橋の上から眺めて、3.5㎞の道だけのんびり歩きました。
桜並木の途中から向こうに望めるのは蔵王連峰、雪を被った山と桜のコントラストは絶景です。
けど私的には、両脇桜並木で桜に包まれる感じが好みかな、川の堤は狭いので無理だけど。
奈良・吉野山の「一目千本」に桜の字を付けて命名したようですが良い風景です。
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赤穂義士外伝

2010年04月17日 | うろうろシテ(国内編)います。

以前に、赤穂義士討ち入り後の帰還経路をウォーキングした時、コースの途中にあったのが、浅野内匠頭切腹場所となった田村右京大夫上屋敷であった。
その田村右京大夫建顕(たつあき)は一ノ関藩3万石の藩主で屋敷が釣山(岩手・一ノ関城址)の麓にあった。
そこへ義士つながりで出かけてみた。
余談だが、伊達藩62万石の領地は広く、北は岩手県北上市の南部付近まであり、現在藩境跡には表示板が建っている。
さらに余談だが、一ノ関藩初代藩主は伊達兵部で、小説「樅の木は残った」(次の探索目標予定にしていて、今月の歌舞伎座の演目にあります)では大悪人になっている。
メインに戻って義士つながりで・・・。
釣山(現在は公園)から田村邸跡を望むと、かすかに遺構が残っていた。
それは池の跡(毛越寺が世界遺産でしたら、同じ池の跡のコレは国宝にしてもよろしいと思います)で、それ以外の敷地は裁判所の建物、民家に変わっている。
昔残っていた田村家の門は現在、平泉毛越寺(世界文化遺産登録を目指しているらしい)の表門として移築されて現存している。
外様大名でありながら信頼篤かったらしく江戸城奥詰を勤めていて、松の廊下の刃傷事件が発生した時、グズグズ遅くまで居残っていたために、浅野内匠頭の預かりを指名されたとも言われる?!
たぶん、田村さんは真面目な人で、サボる事なく律儀に9-5時(時には残業も)まで勤めに励んでいたのでしょう。
なのでその家系(DNA)は明治維新まで11代180年余、伊達家の分家でありながら、武家制度が終わりを告げるまで長~く、しかも歴史に家名を刻んで続きました。
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