ヒデ坊!の?つれづれ道草(´ω`;)

memories & ... そこはかとなく書きつくれば

西武線新狭山駅~入間川大橋~智光山公園~影隠地蔵~昭代橋~狭山市駅

2017年05月31日 | 歩く♪♪♪


10km、2時間半のウォーキング。
汗かきウォーキングは、私的には好きです。(寒いの嫌い)
智光山公園内にあるバラ園はシーズン終わりのようでしたが、アユミと言う名のバラ(直径12~3cmのハイブリットティ系で、匂いは強めです)は真っ黄色に咲いていました。
隣接して温室もあって、鑑賞用のパイナップルや、たぶん鑑賞用のバナナの木、ピンクの花満開のブーゲンビリアも栽培されていました。
足裏に心地よい木道を歩いて、ゴール地点に向かいました。

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広島平和記念公園と平和記念資料館

2017年05月24日 | うろうろシテ(国内編)います。


フェリー乗り場がある宮島口からは、広島電鉄で原爆ドーム前駅まで向かいました。
原爆ドームの周りには、案内ガイドとともに修学旅行のグループがたくさんいました。
爆心に近く、爆風、熱風で大勢の人が亡くなっていた川に架かる相生橋(独特なT字型形状)を渡って平和記念公園(違和感ありますが名勝と刻まれていました)に入り、対岸からドームを見つつ歩いていたら、折り鶴に囲まれた「原爆の子の像」では、小学生のグループが平和の歌(曲名は分かりませんが美しい歌です)を合唱していて歌い終わるまで聞いていました。
埴輪の家型をデザインしたらしい慰霊碑に手を合わせてから平和記念資料館に入館しました。
現在、本館は改修工事中で、先月4月にリニューアルオープンした別館(東館)です。
入り口すぐに、CGで再現された原爆投下前後の広島市街地のバーチャル映像は真に迫りました。
館内では、中学生たちがノート片手に課題学習らしく熱心に見て回っていました。
地下1階には、昨年5月に来日したオバマ米大統領から贈られた折鶴とメッセージが展示されていました。
同じフロアーでの「新着資料展」では、今もなお残る原爆の悲惨さを実感されます。
夕食はお約束の、お好み焼きにしました(駅ビルにある「いっちゃん」と言うお店で青ネギたっぷりソバベースにしました)。
オタフクのお好みソースでおいしさアップですね。

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世界遺産・厳島神社

2017年05月24日 | うろうろシテ(国内編)います。


やや小雨模様の中、宮島の厳島神社に参拝してきました。
現地に着いたときは大鳥居が海面上に建っていましたが、神社内、近隣寺社、もみじ谷公園などを巡って、焼きがきのランチをしているうちに潮が引けて、大鳥居まで歩いて行けるようになり、大勢の人が鳥居に触ったり、お金を差し込んだりしていました。
平日で修学旅行生もあまり見かけないながらも観光客は多く、外国人比率が高い印象でした。
けれども平日休業の店も見受けられ、休日はもっと多くの観光客でにぎわっているのだろうと思われます。
まわりの山々は雨雲で霞んでいたため、弥山への登頂はあきらめました。

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第14回池袋ジャズフェスティバル

2017年05月21日 | うろうろシテ(国内編)います。


快晴の夏日、汗カキカキしながらもジャズ音楽に浸ってきました。
ステージ上では、次から次へと短いインターバルでアマチュアバンドの演奏が聴けます。
アマチュアでも概してレベルは高く、いろいろなスタイルで充分に楽しめました。
トリは、安ヵ川大樹のバンドと中路英明のバンドと、プロの気合の入った演奏での締めくくりで盛り上がりました。
今年2017年は、ジャズが初めて録音されてから100周年とか、各地でジャズに関連したイベントが例年よりも多くあるのでしょうか。
私とかジャズが好きな人にとっては大いに楽しみです。

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浅草寺~大龍寺(豊原国周の碑)~バベルの塔展

2017年05月17日 | うろうろシテ(国内編)います。


浅草雷門前に建つ浅草文化観光センターの8階からの眺めもいいですね。
7階では、この建物を設計した隈健吾の「小さな建築展」が催うされていました。
浅草寺境内の影向堂で御朱印をいただき、今半ですき焼きランチをして、大龍寺に行きました。
ここには豊原国周のお墓があります。
作品を一枚だけ持っている縁でお参りに行きました。
お墓のとなりに建つ辞世の句碑には
「よの中の 人の似かおもあきたれば  ゑむまや鬼の 生きうつしせむ」と刻んであります。
自身江戸から明治にかけて在世(浮世)の人は充分描いたので、次は地獄に住んでいる人たちを書き写したいと言うほど描くことが好きだったようです。
このあとで「バベルの塔展」を観に行きました。
予想より小さかった60cm×74.5cmサイズのバベルの塔の絵を、東京芸大COI拠点が300%拡大模写(板に油彩)した絵や、大友克洋が描いた下絵線画を合成して内部を想像再現した絵「INSIDE BABEL2」とか、多角的に捉えて紹介していて、原画の描写力の凄さを実感しました。
ヒエロニムス・ボスの寓話画や、ピーテル・ブリューゲル1世の奇天烈なモンスター群の細密画にも目を引き寄せられました。
いまから400年以上前の室町時代に、ネーデルラント(オランダ)では想像力と創造力を発揮してこんな絵が描かれていたことに感銘しました。
それにしても、バベルの塔と「雪中の狩人」(1565)や「農民の婚宴」(1568)などは、印象がだいぶ違う感じなんですが、これもブリューゲル作品?ですか。


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