ヒデ坊!の?つれづれ道草(´ω`;)

memories & ... そこはかとなく書きつくれば

三国志浪漫ツアー5日目 帰国

2019年07月28日 | 中国旅行ですけど。


朝、襄陽市から武漢天河空港まで310kmを約4時間でバス移動。
今回は、成田空港から武漢天河空港への直行便(片道4時間前後)を運用している春秋航空(LCC)で往復した。
座席にはエンターテインメント系は何もなく、機内食もなく、座席間隔もややコンパクトに感じました。
「三国志」は西暦280年に晋が中国を統一した後、西晋時代に陳寿(蜀と西晋に仕えた)が書いた歴史書(東晋末の西暦400年頃にその歴史書(記録)に斐松之が注(解説文)を作って、より創造力を喚起した)です。
私の好きな「三国志」は、明代初めに羅貫中によって創作された「三国志演義」に基づいた物語群ですが、スケール大きく(100年間にわたる英雄伝)、奥深く、とにかくおもしろいです。

 

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三国志浪漫ツアー4日目 ③襄陽古城

2019年07月27日 | 中国旅行ですけど。


ここ襄陽(襄樊)一帯の地域は、三国それぞれの拠点争奪のメイン舞台になっていて、幾多のエピソードが生まれた地域です。
さくら剛の「三国志男」(2008年発刊で、取材当時に比べたら交通道路事情もトイレ事情も飛躍的に改善されている)によると、この近くには劉備と凶馬と言われた的盧が脱出のために飛び込んだ壇渓(横山光輝三国志第20巻に経緯が)があり、50km先には水鏡先生の水鏡荘や徐庶故里があるようだ。
漢江南岸(地元の人達の水浴で賑わっている)の臨漢門から入場して、賑やかな北街を昭明台まで散策した。



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三国志浪漫ツアー4日目 ②古隆中

2019年07月27日 | 中国旅行ですけど。


荊州からバス移動で3時間(210km)、高速道の隆中出口から15分ぐらいで三顧の礼で有名な古隆中に到着。
ここも管理区域内は乗り合いのグリーンバスでの移動です。
グリーンバスの終点には有名な石牌坊(中国的門)があり、その先には孔明が晴耕していた畑と東屋(雨読のイメージかな)があり、劉備が黄承彦(孔明の義父)と出会った小虹橋(年恰好から孔明と思って声掛けした)があり、少し山道を登って行くと諸葛草盧(三顧の礼と天下三分の計の舞台)がある。
劉備と関羽と張飛の義兄弟三人はこの時期新野に居住していたので、片道約70kmの道のりを馬で三往復している。
孔明出盧は横山光輝三国志の第21巻でやや簡潔に表現されている。(当時孔明27歳、劉備47歳)
孔明は劉備亡き後も漢の再興を願って魏と戦い、五丈原で53歳の生涯を閉じた。

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三国志浪漫ツアー4日目 ①荊州古城

2019年07月27日 | 中国旅行ですけど。


関羽が10年間にわたって統治して来た(赤壁の戦いの後、呉から借りた領地を返さずに)荊州城落城と関羽の最後は、横山光輝三国志第40巻~42巻にその経緯が。
襄陽攻略に向かって出陣した関羽が樊城攻略で魏と対峙している隙に(この戦いで龐徳(曹仁とも)に受けた腕の矢傷を名医華佗に治療してもらった)、呉の呂蒙に荊州城を落とされ、裏目裏目の展開に陥り撤退、麦城から劉封と孟達に援軍を求めるも来ず、麦城外で呂蒙の部下の朱然に捕らえられ処刑された(関羽58歳)。
現在の城壁は清代に再建されたもので立派だ。
城壁の上には有名無名の武将像のほかに愛馬の赤兎馬像もある。
城内には邸宅跡に建てられた関帝廟(金ピカで堂々とした関羽像が鎮座。三大関公記念聖地)があり、街外れには三国時代からと言われる土塁も続いている。

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三国志浪漫ツアー 3日目 ②三峡ダム

2019年07月26日 | 中国旅行ですけど。


世界最大の水力発電ダムは、10年前の2009年に完成した。
三峡ダム管轄区域内(結構広い)は混載グリーンバスでの移動に限られる。
長~いエスカレーターを乗り継いでいく、山の上にある整地公園、記念施設には埋め立てに使った切石や江底から掘り出された万年前の岩石、ダムジオラマ(三峡ダムの上流にはさらに3つのダムがあるようだ)などが展示されている。
ただ大きいと感じるだけで、峡谷にあるアーチ形の黒四ダムのような迫力には乏しい。
それにしても、三国志ゆかりの史跡には観光客が少なかったものの、ここ三峡ダムには大勢の見学者がいた。
このあとバスで2時間(120km)荊州市に移動して、荊州古城のライトアップを堀端から鑑賞。
堀端の広場ではたくさんの市民がダンスに興じていた。

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