友人とドライブに。
途中の遠野では、この春4月4日に通過した爆弾低気圧の影響で千葉家住宅の石垣が崩れたり、カッパ淵そばの常堅寺境内の杉の老木が倒壊して被害が出たりしたようだ。
東北大震災の被災地三陸海岸沿いではあれから一年、港の再生は徐々に進んでいるようですが、市街地を覆っていた瓦礫とめちゃくちゃになった車がまだ寄せ集められたままになっている地域もあった。
建物が流されたり破壊されたりした街の跡は遮る物もなく、見渡す限りの更地になってしまって遺跡の発掘現場のように見えた。
奇跡の一本松と呼ばれ、高田松原で唯一生き残っていた松は、全身赤茶色に変わっていた。
一部の地域では、流された同じ場所に住宅を再建中だった。
仙台港中央公園の海べりの遊歩道も津波で損壊していました。
写真の真ん中奥の煙突は火力発電所で、その手前にはあの時火災が発生したJX日鉱日石エネルギー仙台製油所のタンク群があります。
この公園の隣にはキリンビールの工場と花王の倉庫があり、そこから缶ビールやら洗剤やらが流されて散乱していたそうです。
また近くの広場は、流されて被災した車の集積場になっていて、おびただしい数の乗用車で埋まっていました。
ちょうど2ヶ月前の3月11日14:46に起きた大地震、その数十分後に押し寄せた津波の模様を、その時この上空を飛んでいたNHKヘリからのテレビ中継ライブ映像で見た場所がここ、名取川左岸の仙台市若林区。
ちょうどその時、この名取川に架かる閖上大橋のたもとでは、大型トラック事故の実況見分をしていた警察官と事故当事者は、田んぼを飲み込んで押し寄せた津波がその目の前ぎりぎりで止まっって、名取川へ堤防を越えて溢れて行ったために助かった。
その反面、その橋を通る県道10号線上では避難しようと車が右往左往していて、事故検分でふさがれた橋のたもとから降りる道路に入って行った車もあり、その先は行き止まりらしく、助かったのかどうか。
大津波は、海から仙台東部有料道路をくぐって、はるか6㎞先まで到達した。
山(丘)の上には、慰霊塔、花束、それに様々なメッセージが数多く添えられていた。
小山の麓にあった桜の木も倒されており、山の上には新たに桜の植樹がされていた。
見渡す限りの荒涼とした景色に呆然として、言葉も出ません。