愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

ネズミ騒動

1999年10月21日 | 八幡浜民俗誌
 戦後間もない昭和二十年代前半に八幡浜市大島の南部に位置する地大島で、野ネズミが大発生したことがある。この頃、宇和海のいくつもの島々でネズミが大発生しているが、「ネズミ騒動」とも呼ばれるこの出来事は全国的にも有名である。一般的には昭和二四年の宇和島市戸島のトウモロコシ全滅がはじまりで、翌二五年には日振島で大発生し、三九年に下火になるまで続いたとされる。しかし地大島での発生は戸島とほぼ同時、もしくは少し前であった。地大島は大島の住民が畑を耕作しているものの無人島であり、人的被害が少なかったため、「ネズミ騒動」の震源地とはされなかったのだろう。
 なお、大島の古老によると、それ以前にも地大島ではネズミが大発生したことがあったらしい。その時に、漁師が魚だと思って網をひきあげると、大量のネズミが引っかかったという話がある。ネズミは大群で海を渡るとされ、現に昭和二十年代の地大島のネズミの大群も突如としていなくなったといわれ、他の島へ渡っていったという人もいる。また、ネズミが大群で海を渡るとき海面が褐色に染まったともいわれている。
 こういった話は、鎌倉時代初期成立の「古今著聞集」二十魚虫禽獣に記載されている宇和郡黒島(伊方町沖に浮かぶ無人島)の漁夫が海中から多くのネズミをひき上げたという説話に通じるところがある。
 「安貞の比、伊予矢野保のうちに黒嶋といふしまあり、人里より一里ばかりはなれたる所也、かしこにかづらはざまの大工といふあみ人有、魚をひかんとてうかゞひありきけるに、魚のある所よりひかりて見ゆるに、かの島のほとりの磯ごとにおひただ敷ひかりければ、悦びてあみをおろして引たりけるに、つやつやなくて、そこばくの鼠を引上げて侍りけり、その鼠引上られてみなちりぢりににげうせけり、大工あきれてぞありける、ふしぎの事也、すべてかの島には鼠みちみちて畠の物などをもみなくひうしなひて、当時までもうつくり侍らぬとかや、陸にこそあらめ、海のそこまで鼠のはべらん事まことにふしぎにこそ侍れ」
 これは今から八百年近く前の安貞年間の説話の中で紹介されたもので、話が誇張されていると見る向きもあるが、これと似た出来事がここ百年の内にも、近くの地大島で起こっているので、事実ととらえても良いだろう。
 戦後のネズミの大発生は宇和海の島々の開発が進んだことが原因ともいわれるが、開発以前にも起こっており、実は自然のサイクルで周期的に起こりうることなのかもしれない。

1999年10月21日掲載
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