愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

「なゐ」 地震の古語・方言

2015年08月23日 | 災害の歴史・伝承
 現在では「地震」という漢字は「じしん」と読むのが一般的ですが、さて、古語ではどうだったのでしょうか。1100年代成立の国語辞典『色葉字類抄』に「地震 陰陽部災異部 ヂシン」とあるので、少なくとも平安時代末期には「じしん」と呼ばれていたようです(『日本国語大辞典』第九巻、小学館、1974年、533頁)。ただし、鎌倉時代、1270年頃に成立した辞書『名語記』巻四には「地動をなゐとなづけたり、心如何、答、なゐは地震とかけり、にはわりの反、庭破の義なり」とあります。つまり、平安時代末期以降、「地震」という漢字がすべて「じしん」と読まれていたわけではなく、「なゐ」が地震の古語であったことがわかります。「には」「わり」が転訛して「なゐ」になったと解説しています。「庭」つまり大地が「破」れることが「なゐ(地震)」だという語源説も提示されています。この鎌倉時代の「なゐ」という言葉ですが、使われている時代はかなり古くまで遡ります。たとえば『日本書紀』推古天皇7年4月(岩崎本訓)「則ち四方に令ちて地震(ナヰ)の神を祭ら俾む」とあります。この『日本書紀』の成立は奈良時代、720年であり、漢文体ですが、岩崎本は平安時代中期、900~1000年代に筆写されたもので、漢文体に和訓が記されており、平安時代の訓を知るのに貴重な史料といえます。現在、京都国立博物館に所蔵され、国宝に指定されています。平安時代中期には「地震」を「なゐ」と読んでいたことは確かであり、『栄花物語』花山たづぬる中納言に「今年いかなるにか、大風吹き、なゐなどさへふりていとけうとましき事のみあれば」とあり、やはり「なゐ」が出てきます。この『栄花物語』の「なゐ」に対応する動詞は「ふり(ふる)」となっています。「降る」なのか「震る」なのか考えると、やはり「震る」と考えるのが適当だと思います。同様の用例は先に挙げた『日本書紀』推古天皇7年4月(岩崎本訓)に「地動(ナヰフリ)て舎屋悉に破れぬ」とあります。これらは平安時代中期から後期の訓であり、『日本書紀』成立当時の訓だったどうか検討の余地はありますが、「地震」の訓に「なゐ」以外の例が多く見られるわけではなく、「なゐ」が古くからの訓であったと推測できます。実際に『日本書紀』武烈即位前「臣の子の八符(やふ)の柴垣 下とよみ 那為が揺り来ば 破れむ柴垣」とあります。これは『書紀』の本文であり、先に挙げた岩崎本の訓のように後世に付せられた読み方ではありません。ここに「那為(なゐ)」とあり、つまり奈良時代初期以前には使われていた言葉だったことがわかります。ただしこの文では「那為(なゐ)」が「揺り」とあり、先ほどの「震(ふ)る」と同様に動詞が付いてきます。「なゐ」プラス「震る」「揺る」となると、「なゐ」そのものが地震を表す言葉ではあるのですが、原初的には地盤、大地といった意味の古語だと考える説もあります。「地」の古語が「な」であり、それに「ゐ(居)」が加わったという説です。これは『日本国語大辞典』第十五巻、129頁に紹介されています。地盤、大地を表す言葉が転じて、大地が震動すること、つまり地震の意味にもなったというのです。
 さて「なゐ」は奈良時代初期以前からの地震を表す古語でありますが、日本各地の方言でも「なゐ(い)」は残っています。同じく『日本国語大辞典』第十五巻、129頁にはその方言が伝えられている場所が列挙されています。「ない」の方言は、仙台、常陸鹿島、上総・安房、甲斐、山梨県北巨摩郡、富山県射水郡、島根県鹿足郡蔵木、広島県高田郡、山口県柳井、徳島県祖谷、愛媛県上浮穴久万、土佐幡多郡、熊本県、宮崎県西臼杵郡椎葉、鹿児島県喜界島、沖縄県宮古島が挙げられており、「ない」が訛った方言「なえ」は、盛岡、仙台、秋田県、京都、山口県、肥後菊池郡、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、種子島が挙げられています。また「なや」は広島県御調郡重井、高知県、熊本県宇土郡、大分県東国東郡、そして「ねえ」が沖縄県に見られると紹介されています。以上、地震を意味する方言「ない」、「なえ」、「なや」、「ねえ」の分布を見てみると、東北地方や中四国、九州には多く見られますが、関東地方、東海地方、近畿地方に極端に少ない傾向が見られます。京都に「なえ」の事例があるのが例外ではありますが、大まかな傾向として、日本列島の中央部には少なく、東北地方や中四国、九州に多いという、方言周圏論があてはまりそうな事例だといえます。「ない」が奈良時代以前からの古語であるため、その分布傾向に周圏性が見られるのも不思議ではないと思います。
 このように、地震の古語「なゐ」について調べてみると、現代の方言の地域差も見えてきて興味深いのですが、地震の歴史を追求する場合には「地震」という漢字と「なゐ」という訓があることや、「なゐ」についてもそれが地震を表しているのか、それとも単に地盤、大地を指しているのか、意味の取り方によって解釈が変わってくる可能性があります。歴史地震を調べるために古い史料を読み込む際には、誤った解釈をしないよう、念入りな検証が必要になってくると強く感じさせられます。

 
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