愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

五月節供

2001年05月10日 | 八幡浜民俗誌
五月節供

 五月節供つまり五月五日(端午の節供)をめぐる年中行事といえば、一般的に鯉幟や武者人形を飾り、粽や柏餅を食べる習慣などがある。八幡浜ではかつては、五月節供になると、菖蒲で鉢巻きをしたり、菖蒲湯をわかして入浴したり、菖蒲酒を飲んだりしていた。これらはいずれも夏病みをしないまじないだとされていた。この菖蒲に関する習俗も全国的に見られ、蓬などとともに家の軒に挿すというところも多い。このような習俗はすでに平安時代に著された『讃岐典侍日記』や『蜻蛉日記』などの記録にも見えているが、もともと、五月五日を祝う端午節供は、中国において邪気を祓うために行われていた習俗が古代の貴族社会に受け入れられ、その後、全国に広まったものとされている。
 さて、明治時代後期に著された『双岩村誌』に、端午の節供について次のような記述がある。「五月五日、五月ごりやうえ又たは五月の節句と称し、菖蒲、蓬、萱等を軒端に挿み、菖蒲を酒に浸して呑み、始めて男児を挙げたる家にては初幟を建てて祝宴を催ほす」
 「五月ごりやうえ」とは「五月御霊会」のことで、御霊会といえば京都の八坂神社の祇園祭の原型となった行事で、激しい力で祟りをなすような御霊(怨霊)を鎮めることからはじまったものである。なお、五月節供を「ゴリョウ」と呼ぶのは全国的に見ても西日本の一部の地域のみで、愛媛県内では東宇和郡の山間部で聞くことができ、広島県や長崎県対馬でもこのように呼んでいる。
 また、八幡浜市大島や穴井では、五月節供には、男子の生まれた家では鯉幟を立て、床の間にシバダンゴを供える。このシバダンゴはサンキラの葉で包んだ団子のことである。そして菖蒲、蓬、萱を軒先に挿して、子供達がそれを持って「蚤の腰弱れ、親の腰強れ」と呼びながら畳を叩く。同じ様な事例は三崎町にもあり、かつては蓬と真萱を小束二本作り、「蚤の腰弱れ、旦那の腰強れ」と言いながら家中の畳を叩いてまわるということをやっていた。保内町でも同様に、男子は菖蒲の葉で鉢巻きをし、女子は髪にさしたりして「蚤の腰弱れ、旦那の腰強れ」と言って家中を叩いてまわった。この「蚤の腰」の文句は、邪悪な力を弱めて、人間の生命力を回復させようする意味が込められていると思われる。
 このように、五月節供は単なる子供の健康を願う祝いの行事ではなく、菖蒲が夏病み防止のまじないとなったり、「五月御霊会」の呼び方や「蚤の腰」の文句が象徴しているように、邪悪なもの(御霊)を祓い鎮め、人々が健康を回復させようと祈願する行事といえるのである。

2001/05/10 南海日日新聞掲載
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