愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

「チンチ」の謎-宮田登氏の訃報に寄せて-

1999年10月21日 | 八幡浜民俗誌

 ここ約三十年の間、日本の民俗学界の屋台骨を支えていた宮田登氏(筑波大学名誉教授)が二月十日に亡くなられた。六十三歳の若さである。私のみならず、民俗学に関わる多くの人達は、宮田氏から強い影響を受け、そして氏を意識しながら調査・研究をしていた。精神的支柱でもあり、先達でもあり、目標だったわけである。今回の訃報は無念としか言いようがない。
 私は宮田氏から直接教えを受けたわけではないが、大学院時代の指導教授が氏と懇意にしていた関係で、平成五年十二月に一度だけ会食したことがある。その時に南予地方の民俗が話題となり、氏から、南予地方で使われる方言「チンチ」の語源は何なのかと質問された。「チンチマンマ」、「チンチベベ」の「チンチ」である。私はその方言自体は知っていたが、語源についてまで考えたことがなかった。当然答えることができず、恥ずかしい思いをした記憶がある。その後、調べてみたものの、結局わからずじまいで現在に至っている。
 「チンチマンマ」とは児童語で御馳走のことであり、かつて米を食べる機会が少ない時代には白御飯をさしていた。日常食ではなく、祭日などの特別の食事である。また、「チンチベベ」はきれいな着物のことで、晴着をさしている。つまり、「チンチ」は、晴着や晴れ舞台などの「ハレ(晴)の」という意味なのである。これに類する方言は八幡浜地方だけでなく、『綜合日本民俗語彙』(平凡社刊)によれば宮崎県にもあるようで、豊後水道一帯で聞くことのできるもののようである。しかし語源はわからない。「珍貴」が訛って「チンチ」になったのだろうか。
 民俗学では、生活秩序を構成する要素には、非日常を表す「ハレ(晴、公)」と日常を表す「ケ(褻)」があり、それらが対立していると説明されるが、宮田氏は一九八〇年頃、これに「ケガレ(穢)」という概念を加えて、「ハレ・ケ・ケガレ」論を展開していた。邪推かもしれないが、宮田氏はこの「チンチ」を、「ハレ・ケ・ケガレ」論に援用する題材として、「ハレ」に関連させて考えていたのではないだろうか。祭りや年中行事、人生儀礼のいわゆる「ハレ」の日に「チンチ」は登場し、日常生活にリズムを与える役割を果たしている。人々の生活リズムを解き明かす鍵を握っている方言ととらえていたのだろう。
 今後、その用法と語源についてさらに追求し、「チンチ」の謎を解明してみたいものである。

1999年10月21日掲載

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