昨日、HNKの「その時歴史が動いた」で山本五十六特集をやっていました。
山本五十六の経歴を簡単に紹介すると・・・
1884年(明治17年)4月4日生まれ。
1939年(昭和14年)、海軍次官の後連合艦隊司令長官(兼第一艦隊司令長官)に就任する。
次官当時からの懸案事項の日独伊三国軍事同盟に最後まで反対する。
航空機による時代の到来を予期し、大和の建造に反対し日米開戦にも反対していた。
1941年(昭和16年)、太平洋戦争勃発。真珠湾攻撃は山本の立案と言われている。
1943年(昭和18年)4月18日、前線視察のため訪れていたブーゲンビル島上空で、
乗機一式陸上攻撃機をアメリカ陸軍航空隊P-38戦闘機に撃墜され戦死した。(海軍甲事件)
明るく冗談好きで、部下・同僚からの信頼が非常に高かった事。当時の欧米事情に詳しく、日独伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していた事。航空機戦力に早期から着目し、海軍航空隊設立に尽力した事。日米開戦が開始されると『短期決戦・早期和平』という日米間に於ける国力の差を冷静に分析した現実的な作戦計画を実施しようとした事等、旧日本海軍軍人の中でも傑出した名将としての評価は今日でも高く、敵であったアメリカ側からも山本五十六を賞賛する意見が多い。
以上、ウィキペディアより引用。
所謂、一般的な軍人像とはかけ離れた人物だったようで、以前、阿川弘之さんと半藤一利さんとの対談でもこのような逸話が紹介されていました。
昭和14年、生活刷新運動について大坂朝日新聞の記者に意見を訊かれて
あんなものは問題にならないよ。わしは面倒だから五分刈りにしているが、
丸刈りだろうが長髪だろうが、そんなことが生活刷新に何の影響があるのかね。
海軍の航空隊の軍人は大てい髪をわけている。
頭をぶつけたりした時に、毛のある方が怪我が少なくてすむからな。
だらしない奴は、丸刈りにしたってやっぱりだらしないよ。
要するにどっちでもいいじゃないか。パーマネントだって同じだ。
あれは、経済上の関係もあってやってることだろう。
パーマネントもいいし、日本髪もまたよかろうよ。問題にすることじゃない。
と答えたとか。
昨日の番組では日米戦争に反対していたのにも拘わらず、
連合艦隊司令長官という立場から真珠湾攻撃の作戦立案に携わる事になった
五十六の苦悩や皮肉について焦点が当てられていました。
最後に番組の最後で触れられていた昭和14年に山本五十六が母校の長岡高等学校で講演したときの言葉を紹介いたします。
私は諸君に対し銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
あなた方に希望するところは学問を飽くまで静かな平らかな心を持って勉強し
将来発展の基礎をつくって頂きたいと熱望する次第であります。
どこまでも気を広く持ち高遠なる所に目標をおいて日本のため進んでください。
※次週の12月7日9:15~に「山本五十六」の後編が放送されるので興味を持った方はご覧になられるとよいかと存じます。
山本五十六の経歴を簡単に紹介すると・・・
1884年(明治17年)4月4日生まれ。
1939年(昭和14年)、海軍次官の後連合艦隊司令長官(兼第一艦隊司令長官)に就任する。
次官当時からの懸案事項の日独伊三国軍事同盟に最後まで反対する。
航空機による時代の到来を予期し、大和の建造に反対し日米開戦にも反対していた。
1941年(昭和16年)、太平洋戦争勃発。真珠湾攻撃は山本の立案と言われている。
1943年(昭和18年)4月18日、前線視察のため訪れていたブーゲンビル島上空で、
乗機一式陸上攻撃機をアメリカ陸軍航空隊P-38戦闘機に撃墜され戦死した。(海軍甲事件)
明るく冗談好きで、部下・同僚からの信頼が非常に高かった事。当時の欧米事情に詳しく、日独伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していた事。航空機戦力に早期から着目し、海軍航空隊設立に尽力した事。日米開戦が開始されると『短期決戦・早期和平』という日米間に於ける国力の差を冷静に分析した現実的な作戦計画を実施しようとした事等、旧日本海軍軍人の中でも傑出した名将としての評価は今日でも高く、敵であったアメリカ側からも山本五十六を賞賛する意見が多い。
以上、ウィキペディアより引用。
所謂、一般的な軍人像とはかけ離れた人物だったようで、以前、阿川弘之さんと半藤一利さんとの対談でもこのような逸話が紹介されていました。
昭和14年、生活刷新運動について大坂朝日新聞の記者に意見を訊かれて
あんなものは問題にならないよ。わしは面倒だから五分刈りにしているが、
丸刈りだろうが長髪だろうが、そんなことが生活刷新に何の影響があるのかね。
海軍の航空隊の軍人は大てい髪をわけている。
頭をぶつけたりした時に、毛のある方が怪我が少なくてすむからな。
だらしない奴は、丸刈りにしたってやっぱりだらしないよ。
要するにどっちでもいいじゃないか。パーマネントだって同じだ。
あれは、経済上の関係もあってやってることだろう。
パーマネントもいいし、日本髪もまたよかろうよ。問題にすることじゃない。
と答えたとか。
昨日の番組では日米戦争に反対していたのにも拘わらず、
連合艦隊司令長官という立場から真珠湾攻撃の作戦立案に携わる事になった
五十六の苦悩や皮肉について焦点が当てられていました。
最後に番組の最後で触れられていた昭和14年に山本五十六が母校の長岡高等学校で講演したときの言葉を紹介いたします。
私は諸君に対し銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
あなた方に希望するところは学問を飽くまで静かな平らかな心を持って勉強し
将来発展の基礎をつくって頂きたいと熱望する次第であります。
どこまでも気を広く持ち高遠なる所に目標をおいて日本のため進んでください。
※次週の12月7日9:15~に「山本五十六」の後編が放送されるので興味を持った方はご覧になられるとよいかと存じます。
普段の生活でどれだけ幸せを見いだせるかだと…。
お金は手段であって決して目的ではないわけで…。
記事を拝見させていただき共感しました。
価値感て重要ですよね!
よかったら、また遊びに来てくださいね!
待ってま~す。
こちらのブログを拝見して、あらためて番組をほんの少ししか見れなかったことを残念に思いました。後編は見逃さないようにしないと!
長岡高等学校は母校なのですが、講演での言葉、、、しっかりと心にとめておきたいと思います。
またこちらにもお邪魔させていただきます☆
T・Bありがとうございます。
あの番組ほんと感動しました。
彼の日本人として、リーダーとして、男としての生き様をみました。
あび卯月さんのブログ拝見しました。
これからもちょくちょくお邪魔します。
コメントありがとうございますm(__)m
他の記事もご覧になっていただいたようで、
ありがとうございます(´∀`*)
あの記事は、なんだか、恥ずかしかったのですが、共感して頂いてとても嬉しいです(つ´∀`c)
私もONO THE WORLDさんのサイトに伺わせていただきます☆
>ぴあのさん
こちらこそコメントありがとうございますm(__)m
長岡高等学校が母校でいらっしゃるんですか。
山本五十六さんは大先輩ということですね(つ´∀`c)
後半、是非ご覧になってみてください。
>またこちらにもお邪魔させていただきます☆
ありがとうございます。こちらからもお邪魔させていただきます(´∀`*)
コメントありがとうございますm(__)m
>あの番組ほんと感動しました。
>彼の日本人として、リーダーとして、男としての生き様をみました。
私も感動しました。
山本五十六さんの事は以前から興味があったのですが、
番組を見て改めて偉大な方だったんだなと感銘を受けました。
今の日本にはああいう方がもっと必要かもしれませんね。
>あび卯月さんのブログ拝見しました。
>これからもちょくちょくお邪魔します。
私もパパさんのブログにちょくちょくお邪魔させて頂きます(つ´∀`c)
山本五十六もすばらしい人物ですが、奥様も立派な方だな・・と番組を見て思いましたね。
私なら怖くて取り乱しそうです。
いつも思いますが、偉人の妻はやはり偉人が多いということです。
来週の放送も楽しみです。
生活刷新運動についての山本五十六の意見、初めて知りました。
表層的な対処の無意味さ。共感しますね。
今後もちょこちょこお邪魔します。
番組は最後まで見られなかったので残念ですが、
後編もあるんですね!しっかり見ようと思います。
長岡中学での講演会はおそらく私が高一のときに雪の重みで倒壊した旧・講堂でのものだと思います。(未確認ですが・・・)
高一のときは生徒集会室兼各種の部の部室になってたのですが、あそこであのような素晴らしい講演が行われたのかと思うと感慨もひとしおです。
私が日本の為に何が出来てるかわかりませんが、偉大な先輩を持ったことを誇りに少しでも前に進んで行きたいですね。