首相のマンガ好き「恥ずかしいこと」 宮崎駿監督発言でネット大混乱(見出し)
(略)
宮崎監督は現在の子供達の環境がアニメ、ゲーム、携帯、マンガなどバーチャルなものばかり。そんなバーチャルなものが子供達から力を奪い取っている、と指摘した。そして、「自分達のアニメの仕事も同様で、それが自分達の抱える大きな矛盾。その矛盾の中で、何を創ればいいのか、いつも自分たちに問い続けながら、映画を作っている」と語った。
麻生氏がはアニメ好きだと大々的に公言していることについてどう考えるかと聞かれた
宮崎氏は、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」
と答えた。(以下略)
J-CASTニュース 2008年11月21日 20時07分
http://www.excite.co.jp/News/it/20081121/JCast_30823.html
いつものように少し古い話題だが、宮崎駿発言が話題を呼んでいる。
記事によるとネット上では「宮崎監督の発言の真意を巡って大混乱している」という。
この記事を読んで、宮崎発言を聴いて混乱をおこしている人はよほど宮崎駿という人物を知らないのだなと思った。
駿(私は愛着をこめていつもこう呼んでいる)がオタク批判をするのは今に始ったことではない。
スタジオジブリ関係者は
「麻生首相はマンガ好きであることを、若者に対する自らの政治アピールとして使っている。アキバに行って『オタクのみなさん』などと演説したりなど、見るからに、マンガを強引で露骨に全面に出しているのは、行き過ぎではないか、と批判しているのだと思います」(同記事)
と釈明しているが、駿は昔からアニメや漫画ばかり見ているオタクが嫌いで有名だ。
たとえば、『千と千尋の神隠し』がベルリン国際映画祭で金熊賞を授賞した時の記者会見で以下のような発言をしている。
・・・日本のアニメーションが世界いっぱいに広がっていったら、恥をかくだけの道具でもあることを忘れないでほしいと思います。
(略)
事あるごとに、「(アニメビデオを)あまり観せないで下さい」と言っているつもりなんですが、「うちの子は1日に3度は必ず『トトロ』を観ます」という母親の方などに会うわけです。
(トトロを観ている間に)この子は、本当ならどれだけの体験ができたのかってね。
トトロに抱きついて、ブラウン管にキスしたって何も生まれることはないんですよ。
『トトロ』のパッケージに「誕生日にだけ観せて下さい」と書けば良いのかもしれませんけども。
そんなことをやってて、まともな子供が育ったことはないんでね。それは人も殺すし、バットで人を殴りもしますよ!
そんなあたりまえの事を、なんで大新聞は指摘しないんだろうと思うんです。
※括弧内、あび卯月註。 (『アニメージュ』2002年4月号、13-14頁より抜粋)
これ、知らない人には結構衝撃的な発言だと思う。
まづ、日本のアニメが世界に広がってゆくのは恥だなんて云って、アニメばかり観ているとまともな子が育たないと説く。
いや、まともな子どころか、人を殺したりバットで殴ったりするらしい。
あまつさへ、そういうことをもっと新聞は指摘するべしと言っているのだから恐れ入る。
この言、「俗流若者論」の批判で有名な後藤智和さん(註)あたりが聞いたらなんと仰るか、伺ってみたいものだ。
さらに携帯電話、ゲームやパソコンについても厳しい。
お母さんは携帯をかけていて、子供は横でゲームをやっている。
こんなだらしない国になるなんて、いったいどうなちゃったんだろうと思うんです。
ナイフも使えないのにパソコンのキーだけ押すようになって・・・・・・こんな民族が健康に生きていくはずないじゃないですか、そんなの分かりきったことじゃないか!
(前掲書、14頁より抜粋)
やたらと「!」が多いが、駿が本気で怒っていることの表れだろう。
これらの発言の方が記事になっている発言よりもよほど問題だと思うが如何か。
逆に云うと、これらの駿の発言をしっていれば、今回の発言など驚くに足らないのである。
一応、私の意見を書いておくと、日本のアニメや漫画が世界に広がっていくのは日本のオタク文化が世界を侵蝕しているようでなんだかとても愉快な気がする。
世界中が汚染されてゆく感じがすごく楽しいわけだ。
アニメばかりみているとろくな大人にならないというのも条件附きで同意。
人殺しはいいすぎだけど、ファンタジーばかりでマトモな人間は育たない。
あと、ケータイやゲームも程度の差こそあれ、年寄りがそういう現状を嘆きたい心情は理解できる。
さて、以上のような発言からもわかるように宮崎駿は思想傾向にかなりクセのある人物だ。
『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』などの作風から駿をやさしいおじいさんと思っている方もおられようが、はっきりいってかなりクセのあるクソジジイだ。
知らない人のためについでに書いておくと、『千と千尋の神隠し』なんかもあれ、実は性風俗のお話なのだ。
あの映画を観て勘のいい人は直ぐに気づいたと思うが、だらしない親(まぁ、借金でも背負ったのでしょう。作中では食べちゃいけないものをたべて豚になる)のために「人とちゃんと挨拶ができないような女の子」が頑張って性風俗産業で働いて成長するという隠喩になっている。
湯屋とはつまり娼館(いまの言葉ではソープランド)で、千尋が千になるのも源氏名だから。
お客が男の神様ばかりだったことについても、もはや説明の必要はないだろう。
宮崎駿自身はなぜ風俗産業をモチーフにしたかについて
「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」(日本版『プレミア』の2001年6月21日号)
と語っている。
やはり、宮崎駿はクソジジと云わねばならない。
そして、そういうクソジジイだからこそ多くの人を惹きつける作品を作り出すことができるのだと私は思っている。
*****
註:後藤和智とは平たく言えば若者に対するあらゆる悪口を批判している学生さん。
ウィキペディアには「日本の評論家」とある。
学生の分際で「評論家」だなんて、この稿を編輯した人はよほどいぢわるな人とみた。
少し長い補足:(語り口調で)
念のために書いておきますが、私は宮崎駿監督が嫌いなのではありません。
まして、悪口を書いたつもりもありませんし、クソジジイというのも愛情表現のようなものです。
かといって好きかというと、それは「べっ、別にあんなじーさんのこと好きじゃないんだからっ!」と云わざるを得ないのです。
アンビヴァレンスと云う言葉がありますが(同一の対象に対して相反する感情を同時に抱くことを云うのですが)、私にとって駿はそういう存在なのです。
作品をみてもわかりますとおり、彼は天才です。
アニメーターとしての才能もおそらく日本で一番なんじゃないでしょうか。
ジブリ作品も最近のものは観ていませんが、ほとんどが好きな作品です。
特に『カリオストロの城』『ラピュタ』『トトロ』『魔女の宅急便』あたりは何度見ても面白い。
ところが、一方で、宮崎駿個人が好きかというとやはり、私の思想とは相容れない箇所が多々あるのです。
彼は根が左翼ですから、そういうところもちょっと合わないのかも知れません。
左翼といっても古い左翼ですから、今のサヨクよりもよほど共感できる部分は多いのですが、ちょっと極端なところがあるんです。(私にも言えることですが)
例えば、彼は「いまはプロが力を無くしている時代なんです」と云って、基本的にプロの声優を使いません。
私は「プロが力を無くしている」というのは一面的には事実だとしても、それゆえに声優を使わないというのはちょっと極端と言うか、論理の飛躍があるように思えてならないのです。
上のアニメばかり見ていると人殺しになるというのもそうですが、そういう極端なところがちょっと私の肌とは合わないなというのが確かにあります。
つまるところ、尊敬はするけども肌が合わないというところでしょうか。
だから、決して嫌いでも好きでもない。
「クソジジイ」という表現もそういうクソあび卯月の心情を踏まえた上で御理解していただければ幸いに存じます。
(略)
宮崎監督は現在の子供達の環境がアニメ、ゲーム、携帯、マンガなどバーチャルなものばかり。そんなバーチャルなものが子供達から力を奪い取っている、と指摘した。そして、「自分達のアニメの仕事も同様で、それが自分達の抱える大きな矛盾。その矛盾の中で、何を創ればいいのか、いつも自分たちに問い続けながら、映画を作っている」と語った。
麻生氏がはアニメ好きだと大々的に公言していることについてどう考えるかと聞かれた
宮崎氏は、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」
と答えた。(以下略)
J-CASTニュース 2008年11月21日 20時07分
http://www.excite.co.jp/News/it/20081121/JCast_30823.html
いつものように少し古い話題だが、宮崎駿発言が話題を呼んでいる。
記事によるとネット上では「宮崎監督の発言の真意を巡って大混乱している」という。
この記事を読んで、宮崎発言を聴いて混乱をおこしている人はよほど宮崎駿という人物を知らないのだなと思った。
駿(私は愛着をこめていつもこう呼んでいる)がオタク批判をするのは今に始ったことではない。
スタジオジブリ関係者は
「麻生首相はマンガ好きであることを、若者に対する自らの政治アピールとして使っている。アキバに行って『オタクのみなさん』などと演説したりなど、見るからに、マンガを強引で露骨に全面に出しているのは、行き過ぎではないか、と批判しているのだと思います」(同記事)
と釈明しているが、駿は昔からアニメや漫画ばかり見ているオタクが嫌いで有名だ。
たとえば、『千と千尋の神隠し』がベルリン国際映画祭で金熊賞を授賞した時の記者会見で以下のような発言をしている。
・・・日本のアニメーションが世界いっぱいに広がっていったら、恥をかくだけの道具でもあることを忘れないでほしいと思います。
(略)
事あるごとに、「(アニメビデオを)あまり観せないで下さい」と言っているつもりなんですが、「うちの子は1日に3度は必ず『トトロ』を観ます」という母親の方などに会うわけです。
(トトロを観ている間に)この子は、本当ならどれだけの体験ができたのかってね。
トトロに抱きついて、ブラウン管にキスしたって何も生まれることはないんですよ。
『トトロ』のパッケージに「誕生日にだけ観せて下さい」と書けば良いのかもしれませんけども。
そんなことをやってて、まともな子供が育ったことはないんでね。それは人も殺すし、バットで人を殴りもしますよ!
そんなあたりまえの事を、なんで大新聞は指摘しないんだろうと思うんです。
※括弧内、あび卯月註。 (『アニメージュ』2002年4月号、13-14頁より抜粋)
これ、知らない人には結構衝撃的な発言だと思う。
まづ、日本のアニメが世界に広がってゆくのは恥だなんて云って、アニメばかり観ているとまともな子が育たないと説く。
いや、まともな子どころか、人を殺したりバットで殴ったりするらしい。
あまつさへ、そういうことをもっと新聞は指摘するべしと言っているのだから恐れ入る。
この言、「俗流若者論」の批判で有名な後藤智和さん(註)あたりが聞いたらなんと仰るか、伺ってみたいものだ。
さらに携帯電話、ゲームやパソコンについても厳しい。
お母さんは携帯をかけていて、子供は横でゲームをやっている。
こんなだらしない国になるなんて、いったいどうなちゃったんだろうと思うんです。
ナイフも使えないのにパソコンのキーだけ押すようになって・・・・・・こんな民族が健康に生きていくはずないじゃないですか、そんなの分かりきったことじゃないか!
(前掲書、14頁より抜粋)
やたらと「!」が多いが、駿が本気で怒っていることの表れだろう。
これらの発言の方が記事になっている発言よりもよほど問題だと思うが如何か。
逆に云うと、これらの駿の発言をしっていれば、今回の発言など驚くに足らないのである。
一応、私の意見を書いておくと、日本のアニメや漫画が世界に広がっていくのは日本のオタク文化が世界を侵蝕しているようでなんだかとても愉快な気がする。
世界中が汚染されてゆく感じがすごく楽しいわけだ。
アニメばかりみているとろくな大人にならないというのも条件附きで同意。
人殺しはいいすぎだけど、ファンタジーばかりでマトモな人間は育たない。
あと、ケータイやゲームも程度の差こそあれ、年寄りがそういう現状を嘆きたい心情は理解できる。
さて、以上のような発言からもわかるように宮崎駿は思想傾向にかなりクセのある人物だ。
『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』などの作風から駿をやさしいおじいさんと思っている方もおられようが、はっきりいってかなりクセのあるクソジジイだ。
知らない人のためについでに書いておくと、『千と千尋の神隠し』なんかもあれ、実は性風俗のお話なのだ。
あの映画を観て勘のいい人は直ぐに気づいたと思うが、だらしない親(まぁ、借金でも背負ったのでしょう。作中では食べちゃいけないものをたべて豚になる)のために「人とちゃんと挨拶ができないような女の子」が頑張って性風俗産業で働いて成長するという隠喩になっている。
湯屋とはつまり娼館(いまの言葉ではソープランド)で、千尋が千になるのも源氏名だから。
お客が男の神様ばかりだったことについても、もはや説明の必要はないだろう。
宮崎駿自身はなぜ風俗産業をモチーフにしたかについて
「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」(日本版『プレミア』の2001年6月21日号)
と語っている。
やはり、宮崎駿はクソジジと云わねばならない。
そして、そういうクソジジイだからこそ多くの人を惹きつける作品を作り出すことができるのだと私は思っている。
*****
註:後藤和智とは平たく言えば若者に対するあらゆる悪口を批判している学生さん。
ウィキペディアには「日本の評論家」とある。
学生の分際で「評論家」だなんて、この稿を編輯した人はよほどいぢわるな人とみた。
少し長い補足:(語り口調で)
念のために書いておきますが、私は宮崎駿監督が嫌いなのではありません。
まして、悪口を書いたつもりもありませんし、クソジジイというのも愛情表現のようなものです。
かといって好きかというと、それは「べっ、別にあんなじーさんのこと好きじゃないんだからっ!」と云わざるを得ないのです。
アンビヴァレンスと云う言葉がありますが(同一の対象に対して相反する感情を同時に抱くことを云うのですが)、私にとって駿はそういう存在なのです。
作品をみてもわかりますとおり、彼は天才です。
アニメーターとしての才能もおそらく日本で一番なんじゃないでしょうか。
ジブリ作品も最近のものは観ていませんが、ほとんどが好きな作品です。
特に『カリオストロの城』『ラピュタ』『トトロ』『魔女の宅急便』あたりは何度見ても面白い。
ところが、一方で、宮崎駿個人が好きかというとやはり、私の思想とは相容れない箇所が多々あるのです。
彼は根が左翼ですから、そういうところもちょっと合わないのかも知れません。
左翼といっても古い左翼ですから、今のサヨクよりもよほど共感できる部分は多いのですが、ちょっと極端なところがあるんです。(私にも言えることですが)
例えば、彼は「いまはプロが力を無くしている時代なんです」と云って、基本的にプロの声優を使いません。
私は「プロが力を無くしている」というのは一面的には事実だとしても、それゆえに声優を使わないというのはちょっと極端と言うか、論理の飛躍があるように思えてならないのです。
上のアニメばかり見ていると人殺しになるというのもそうですが、そういう極端なところがちょっと私の肌とは合わないなというのが確かにあります。
つまるところ、尊敬はするけども肌が合わないというところでしょうか。
だから、決して嫌いでも好きでもない。
「クソジジイ」という表現もそういうクソあび卯月の心情を踏まえた上で御理解していただければ幸いに存じます。
だいたい宮崎さんは矛盾だらけといふか、相當屈折した人ですよね。手塚治虫につよい影響を受けてゐながら、つよい反撥も感じてゐる。反戰主義者でありながら兵器が大好き。思想的には左派でありながら、資本主義そのもののシステムの中で作品をつくってゐる。等々。
まあこれぐらゐ屈折した人でないと、あんなとてつもない作品は作れないのぢゃないでせうか。
あと、發言の當否については、漫畫「だけ」を讀んでゐるやつに碌なやつはゐないと漫研OBのわたしも思ってゐますけどね。
>言ってはいけない立場のような気が自分なんかはしてしまうんですよ。
私も同感です。
宮崎さんの一連の発言は自分が商売相手にしているお得意様に喧嘩を売るような発言で、本来、するべきではないものですよね。
しかし、それを言ってしまうのがいかにも駿です。
そして、そういうことを言ってもある程度ゆるされてしまうのはやはり「巨匠」だからでしょうか。
私も主人さんが仰るやうに「駿らしいなあ」と思ひました。
御指摘のやうに宮崎さんは「相當屈折した人」ですよね。
そして、さういふ屈折があるからこそあのやうな作品が創れるのだと思ひます。
一連の発言について、本文中にも書きましたが、同意するところも多いのですが、表現が露骨すぎたり極端なんですよね。
どうも、アクが強すぎるといふか。
でも、いまの日本にはあゝいふ「クソジジイ」がもっと必要なのかもしれません。