つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信931号 ありがとう。まだまだ歩き続けますよ。

2018年09月09日 | 抱っこ通信
『平和がいちばん 笑顔がいちばん 古希コンサートin東久留米』からもう一週間も経過しました。
一昨日に最後の実行委員会があり、昨日は多くの仲間たちが撮ってくれた写真にもやっと目を通すことができました。

嬉しく楽しい古希コンサートを思い出しては、ニヤニヤしている自分と、
もう少しいろいろな面でやれたのではないかという反省と悔しがっている自分がいますが、
古希コンサート当日は、自分のありのままの姿で仲間たちの前に立てたのではないかと思っています。

古希コンサートに参加していただいた仲間たちに幸せな時間をつくっていただいたこと、本当にありがとうございました。
また、約半年間、公私共々多忙のところを自分のことのように喜んで古希コンサートをつくってくれた
中根さん、有働さん、平尾さん、全レク一座、こんぺいとう、東久留米歌う会をはじめとする実行委員会の仲間たちに感謝、感謝です。

もちろん、大阪、東京、愛知、鹿児島で古希コンサートやお祝いしてくれた仲間たちに改めてお礼を言います。ありがとうございます。


さて、私が東久留米でやってきたこというか、暮らしてきた大きな一つは、20年間、社会教育行政に従事してきたことです。

教育は「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して」(教育基本法第1条)行なわれるものであること。
社会教育は、「学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む。)をいう」(社会教育法第2条)と定義され、地域住民の生活課題や地域課題に根ざして行われる各種の学習を教育的に高める活動であり、行政はその環境整備を醸成していくものだと理解していました。

具体的には、地域住民の幸福になりたいという要求から出発した生活課題や地域課題を住民同士が主体的に学びあい、教えあい、交流しあう中で、地域の民主化と地域住民のつながりを保障し、豊かにしていくことが社会教育行政の末端で働いていた私の仕事です。

なにもむずかしいことではなく、住民の中に入って、住民の声に耳を傾け、同時に、一住民として一緒に考え、一緒に行動(学習・文化・レクリエーション)してきただけでした。

ですから、講師を前に、机を前に学習するというよりは、これはこれで楽しいですが、文化、レクリエーション活動など楽しいことをたくさんやってきました。
主に、子どもたちや青年たちを主人公とする仕事に関わっていたからです。

その中で最も大事にしてきたことは、青年・住民自身が主人公なるサークルづくり、つながりあいをつくることでした。
毎年、サークルを一つ以上つくることを目標としていました。

でも、中村おばさん(社会教育施設をつくる会。なんでもニュース主筆)に「捨て育ての二本松」とよく言われていました。
教室や講座からサークルが生まれるまでは援助というか一緒につくっていきますが、生まれてしまえば、
その後はサークルの主人公である青年・住民の問題ですから、依頼があれば援助しますが、なければ何もしませんでした。
行政の職員ですから、おのずと限界があります。
それはそれは楽しい仕事でした。


もう一つ東久留米でやってきたことは、1976年設立された全レク(全日本レクリエーション・リーダー会議)の活動です。
「平和と民主主義を守り、発展させ」「働く者の立場に立ったレクリエーション運動」を進めるという全レクの理念を、思いを、
東久留米で仲間たちとグループ会議をつくって、これまた楽しく活動していました。

私自身は、1994年7月の第一回レクリエーション・リーダー学校から講師の一人として参加し、
全レクを創立した一人でもあったわけですから、自分の住んでいる東久留米で、
まずは自分が実践してみなければという思いでした。

故角野さんが中心なっての子どもたちの冒険学校や社交ダンス教室などや、
のんびりコンサートや全レク一座など音楽・レクリエーション活動などともに、
市民の中に入っての反核・平和運動・活動、子どもと市民生活を守る活動など地域活動にも、
音楽・レクリエーション活動で積極的に参加してきました。

もちろん、全レクのレクリエーション・リーダー学校や若葉レクリエーション学校や太陽レクリエーション学校、東北レクリエーション学校、ダンス専科などにも多くの市民(特に保育士)の参加を誘い合っていました。ある時は、参加者の3分の1は東久留米からの参加者というような学校もありました。

文化・レクリエーション活動を通して、子どもたち・青年たち・市民のつながりあいをつくっていたのです。


今回の古希コンサートにはその二つの活動で知り合ったというか、つながりあった仲間たちが仲間たちを誘い合って参加してくれたのです。
もちろん、はじめて出会うみなさんも多かったとは思います。

ある面で、つながりの活動・運動の中で言い続けていた「ファンより仲間を」ということが30~40年以上過ぎても褪せないということを実証出来たかなと思っています。
そういう意味でもとても嬉しい古希コンサートでした。

そういう機会をつくってくれた仲間たちに重ねて「ありがとう」です。


いま、市役所を辞めて『つながりあそび・うた研究所』を設立して、つながりあそび・うたを通して保育応援団として活動できているのは、この東久留米での活動があったからですし、その延長線上にあると思っています。ですからやりたいこと、やらなければならないことは明確です。

全国合研の時に「二本松さんの最後のコンサートだから行くわ」と、冗談半分、本気半分で言っていた東久留米のお姉さん元保育士さんたちも会場に顔を見せてくれました。

それ以来、「最後」ということを自分なりに考えていました。いつかは「最後」が来るわけですが、この活動・運動には「最後」はないのです。
自分ができなくなる時は必ずきますが、それをつなげることはできるのでね。
それも自分たちを乗り越えてね。これが嬉しいのです。

今回、全レク一座の仲間たちと一緒に活動していて、そういう思いを一層大きくしました。
いま、地域・東久留米の最大の問題である保育園問題を取り上げてうたづくりやCDづくり、演奏活動等の活動が東久留米の住民にとっての大きな励ましになっています。

今回も実行委員会での全レク一座のリーダーのカメさんの仲間たちへの繊細な気配りや全レク一座の仲間たち相互の思いやりがとても大きかったです。
一緒に活動している私を、仲間たちを幸せにさせてくれます。
そういう配慮、力が古希コンサートを成功させる大きな力になっていましたし、全レク一座の活動の源泉は「おもいやる、わかちあう」という人間らしさにあるのかなと思います。
一人ひとりの「生きている」ことが響きあっているのです。
それが音楽の面でも表れてようになってきています。素敵です。
これからも一緒に活動していきたいと思いました。

つながりあそび・うた研究所の活動でも、ゆずりんもまっちゃんもいろいろな面ですっかり私を越えています。嬉しいことです。

だからこそ、自分が生きる、生かされることがあるのかなと思います。
そんなことも考えさせられた古希コンサートでした。(続く)


写真は、実行委員会で撮影をお願いした吉田さんによるものです。
オープニングはにぎやかカーニバルの仲間たちと清瀬わかば会の仲間たち。


次は、東久留米歌う会。


こんぺいとう


桑の実コーラス


ボロロン



全レク一座


のんびりコンサート


二本松はじめとシモシュ&まどかまるこ&玉木孝治&みやちゃん


二本松はじめ


最後はみんなで『レッツ・ゴー!』と『夢わかば』


たくさんの仲間たちも歌に遊びに参加。補助いすも立ち見も。







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