雨曇子日記

エイティライフの数々です

勤労奉仕

2015-09-14 16:58:21 | エッセー

「茨城県常総市には 12 日、近隣などからボランティアが続々と駆けつけ、支援の輪が広がった」などと使われる「ボランティア」は、一昔前は「勤労奉仕」と言った。

 

私の最初の勤労奉仕は、昭和 17 年、国民学校 2 年生の時、道路上の馬糞を拾う作業だった。名古屋市東区矢田町で、いくらその頃とはいえ、交通手段は馬ではなかったから、なぜ、小学生に拾わせるほど馬糞が道路に落ちていたかはミステリーだ。

その後、縁故疎開で田舎の国民学校に転校した 5. 6 年では、いなご捕り、草刈、農家の麦踏の手伝いなどをやった。いずれも、学校から出かけた。

いなご捕りの時、先に竹筒をつけた私の蝗の袋は極端に収穫が少ないので、友達が憐れんで自分のものを少し分けてくれた。

今から思えば、私は、ボランティア活動においても、不器用で、できの悪い子どもだった。