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雨曇子日記

エイティライフの数々です

北千住街歩き  2

2015-02-12 15:24:43 | 東京散歩

千住大橋駅でNさん、Kさん、私(K)のアラ、eighty の散歩となって、駅前の石洞(せきどう)美術館に行きました。

 

        

                  

 

“石洞”というのは、コレクター佐藤千壽さん(1918~2008 )の雅号です。美術館の建物は千住金属工業KKの本社ビルで、館内はスロープで1・2階がつながれています。

今回の展示は 18 世紀のマイセンの磁器が主で、カップ&ソーサーが何品も展示してありました。骨董品が好きな N さん向きでした。

隣接の喫茶室「妙好」で一休みです。(コーヒー等 250 円)

 

         

 

次に行ったのは、南隣りにある橋戸稲荷。伊豆長八の鏝絵が本殿の扉の内側にあることで有名です。

 

                 

                     

          

                  

            

 

ここは、千住大橋北詰、芭蕉の奥の細道の旅( 元禄二年・1689 )はここから始まります。

 

          

 

旧日光街道にある浄土宗源長寺は開山が慶長 15 年( 1610 )といいますから、この寺の前を芭蕉は通ったことでしょう。

 

          

          

 

少し先に鎌倉時代創建の寺がありました。新義真言宗の千龍山慈眼寺です。

 

          

               

 

一箇所に集められた石碑をみると、元禄、天和など、江戸時代初期の年号が刻まれていました。

 

               

                    

 

また、境内には豊川稲荷が祀ってありました。

 

          

 

宿場町北千住は史跡が多くタイムスリップできる街と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


北千住街歩き

2015-02-10 20:33:39 | 東京散歩

              

 

2 月 10 日(火)JR北千住駅南口を出て、京成線“千住大橋駅”に向かいました。

 

        

       

        

 

賑わっている八百屋さんです。

 

               

               

 

近くの花屋さんでは、ハンサムな社長さんが顔を出して下さいました。

 

               

               

 

国道 4 号線(日光街道)に出ました。

 

        

        

        

 

北千住には銭湯が多いと聞いていますが、その一つがここです。

 

        

 

路地に入って、一軒の八百屋さんに出合いました。

 

               

 

ご主人の斉藤さんは、大正生まれの91 歳。

兵隊にとられ、シベリアで 3 年半の捕虜生活を過ごし、昭和23 年 9 月 15 日復員されました。

地元宮元町会副会長さんです。

 

               

               

 

足立区スポーツ公園に来ました。

 

               

               

               

 

これは、、第 7 回足立区野外彫刻コンクール入賞作品です。

「躍動」をテーマとした松原匠秀さんの作品(1996 )

 

        

 

まもなく千住大橋駅に着きました。

 

        

 

これは、駅前の景観です。

 

               

 

     


赤坂 日枝神社 2

2015-01-28 20:23:35 | 東京散歩

       

               

 

赤坂 日枝神社、合掌造りの屋根と足許に根巻きを持つ、これぞ山王鳥居です。

明暦 3 年( 1657 )の大火のあと、この地に移って、今日に至った社は、江戸時代造営で国宝だった権現造りの社殿こそ昭和 20 年 5 月の空襲で消失しましたが、立派に再建されています。

 

       

               

               

               

 

エスカレーター付きの新しい石段を上ると、この入り口から入ります。

 

       

               

                (神棚は 5000円ぐらいからありました)

       

       

                   

                  (この神社では猿は神様のお使いです)

 

日枝は比叡、延暦寺の守護神、坂本の日吉神社が、川越喜多院に日枝神社として勧請されそれを太田道灌が江戸城に勧請したのが、赤坂日枝神社の起源だそうです。

末社には、赤坂稲荷神社があります。

 

               

       

               

               

       

       

 

周りはいくら新しくなっても、江戸の雰囲気が色濃く残っている神社です。

 

               

       

 

 


赤坂日枝神社から日比谷公園へ

2015-01-27 20:53:40 | 東京散歩

Nさん、Kさん、私(K)のNKK散歩は、もうかれこれ 15 年も続いています。

全員が、アラ 80 になる今年は、 1 月 27 日(火)赤坂日枝神社から日比谷公園へ歩きました。神社の石段の下に私の生年の年号を見つけました。

 

     

     

 

山王坂を登って国会議事堂の裏手に出ました。議員会館が並んでいます。

 

             

             

             

             

 

参議院の角を曲がって議事堂正面に出ました。

その道を隔てた向かい側に憲政記念館がありました。

尾崎記念公園とも呼ばれ、尾崎行雄氏の像が建っています。

 

     

     

 

庭園の南の端は昔の参謀本部陸軍測量部で、「水準原点」を納める石造りの小さな建物があります。

この地の 24,140m が日本の高さを定める出発点となったそうです。

庭園の時計塔はまだ新しく目立っています。また、間近に警視庁が望めました。

 

     

     

     

 

三宅坂から国会議事堂を眺め、桜田門に下りました。

 

             

             

             

             

 

そして、法務省の建物を横目で見て日比谷公園に入りました。

 

       

             

             

       

 

日比谷公会堂の前を通った時、Kさんが 9 歳上の兄に連れられて、ここで音楽を聴いた思い出を話しました。

航空兵で戦後英軍の捕虜になったとのこと、 9 歳の違いでもうそんな年代だったんだと改めて思いました。

 

                

 

             

 

 


新宿御苑 大温室

2015-01-18 17:52:07 | 東京散歩

 1月 12 日(月) 新宿御苑のプラタナス並木は丸裸。落葉樹はすべて葉を落とし、新宿御苑がより広々と感じられます。

 

              

             

             

 

前方に見える大温室に入りました。

 

             

     

 

まるで別世界です。お釈迦様がこの木の下で悟りを開いたというインドボダイジュがありました。

 

     

 

木の幹から実の生るカカオの木です。

 

     

 

睡蓮の池はいつも以上に美しく感じました。

 

     

             

 

ランは、種類の多さ、美しさに眼を奪われてしまいました。

 

     

     

 

温室を出るとスイセンが咲いていました。

 

             

     

 

近くで写生をしていた女性の絵を写させていただきました。

 

             

 

   

 

             

 

 

             

             

 

             

 

    


新宿御苑・楽羽亭

2015-01-16 19:52:11 | 東京散歩

     

     

 

 1 月 12 日(月)新宿御苑に行きました。

今回、是非行ってみたかったのが、日本庭園にある茶室、楽羽亭です。

入り口の券売機に 700 円を入れ、券を取って中に入りました。

 

             

     

     

 

予想に反して、中は広々としていました。

正面の額縁の字は、復元の年(昭和 62 年)総理だった中曽根氏の揮毫です。

先客が数人いましたが、ほとんど無人のひっそり感です。

すぐに和菓子と茶が運ばれてきました。

 

             

             

 

「体育館の片隅で一人お茶を飲んだ」というような感じでした。

外に出ると、茶室を写生する人がいました。外から眺めたほうが風情があるのかも知れません。

 

             

 

うっすらと氷の張った池には、鴨がいました。

 

             

             

             

             

 

頭の青いマガモ(♂)、頭が茶色で羽が白いホシハジロ(♂)などです。

茶室「楽羽亭」の名前の由来は、“楽しそうに鳥達が羽ばたいてゆく姿をイメージした”のだそうです。

そのイメージを髣髴とさせる風景です。

 

             

             

 

これは、カイツブリが勢いよく潜水した時にできた水しぶきです。

 

             

 

             


JR上野駅

2015-01-11 16:44:19 | 東京散歩

             

 

JR上野駅公園口です。上野駅の出入り口はここだけのように思っていましたが、正面に回ってみると、「あゝこれが上野駅だ」と感動しました。

 

             

 

1 月 7 日(水)いつものように公園口を出て散策のあと、西郷さんの銅像の裏手にある京成ビルのエレベーターで一気に降りて上野駅不忍口に出ました。

 

             

     

 

ここに来ると、上野公園は山であることが実感できます。山手線が頭の上を走っていますから。

 

             

 

明治18 年( 1885 )上野駅に最初にできた煉瓦造りの駅舎は関東大震災で消失し、現在のものは昭和 7 年( 1932 )再建の 2 代目駅舎です。

 

             

 

その後の駅の目覚しい発展で、いろいろな出入り口ができました。

 

             

             

             

             

             

 

            

 

             

             

 

駅に付随するビル、“アトレ”は、フランス語の“魅力”だそうで、ショッピングセンターです。

 

             

 

atre(アトレ)には魅力的なレストランがありますが、改札を入った通路にある蕎麦の店“蕎香”(きょうか)に入りました。

 

             

             

 

かきあげ丼セット750 円を入り口の券売機で購入し、店内に入ると若いスタッフがすばやく一つ空いた席に案内してくれました。自家製麺だそうで、おいしく感じました。(次回は年相応に蕎麦だけにしようと思いました)

 

 

 


上野の山で見たもの

2015-01-10 19:59:04 | 東京散歩

1 月 7 日(水)上野東照宮から上野駅不忍口へ向かいました。

 

             

             

 

寛永 8 年(1631 )の造立以来のたびたびの災害で欠落し首だけが残り“これ以上落ちるとこるがない”ということで、受検合格祈願の仏像として人気とか。

芭蕉の句、“花の雲鐘は上野か浅草か”の上野の「時の鐘」はこれ。

 

             

 

近くの精養軒は明治 5 年築地にフランス料理店として創業し、明治 9 年( 1876 )上野公園開設と同時にこの地に誕生しました。

 

     

 

その先の花園稲荷神社では、思わず赤い鳥居をくぐってしまいました。

 

     

     

             

 

「博士王仁(わに)碑」( 4 世紀のはじめ百済から渡来し、論語、千字文をわが国に伝えた)この学者の碑がこの地に建てられたのは昭和15 年( 1940 )。blog で調べてみると、墓は、枚方市藤坂にありました。

 

     

 

彰義隊の墓、高村光雲作の西郷さんの銅像は、今までは特に気に留めず素通りしていました。

 

     

             

             

             

 

歴史にひたるのもよいものだと思いつつ、現在の風景に眼を移しました。

 

     

             

 

             

 

 

 

 

 


寛永寺 清水(きよみず)観音堂

2015-01-09 13:44:04 | 東京散歩

             

 

1 月 7 日(水)京都・比叡山延暦寺に対する東京・東叡山寛永寺清水堂に来ました。

 

             

     

             

 

寛永 8 年(1631)の建立ですが、元禄 11 年(1698 )、ここにあった林羅山の屋敷が焼けたので不忍池が眺められるこの地に移転しました。(五百沢智也・図解新東京探訪コース・岩波ジュニア新書)

 

             

 

観音堂なので、観音様が祀られています。十一面観音だそうですが、奥のほうにあって小さいのでよくお顔は拝めません。

お堂には絵馬がかけてあり、おびんずる様が鎮座していました。

絵馬の一つには、彰義隊の戦いが描かれていました。

 

     

             

 

舞台造りの柱についた擬宝珠には、これを造った職人の名が刻まれていました。

 

             

            

 

幕末の浮世絵師歌川広重が描いた「江戸名所百景“月の松”」は明治初期の台風で消滅し、現在のものは、平成 25 年( 2013 )に足立区の職人さんの手で復元されたものです。(寛永寺HP)

 

      

             

 

清水堂境内には、有名な秋色桜(しゅうしきざくら)があります。

           井戸ばたの桜あぶなし酒の酔

日本橋小網町の菓子屋の娘、13 歳の少女お秋が詠んで評判になった句です。

句碑(昭和15 年)と井戸が作られ、9 代目の秋色桜があります。

 

             

             

             

             

 

 

             


甦った上野東照宮

2015-01-08 21:28:20 | 東京散歩

     

 

上野東照宮は慶安4 年(1651)に3 代将軍家光が、寛永4 年(1627)に創建されていたものを大増営させてできた神社です。

その後の歳月を、大震災、大空襲などに耐え、よく生き残った国の重要文化財です。

平成26年完成の大修理で創建当時の姿が甦りました。

 

     

      

     

      

     

 

500 円の拝観料で門の内側に入れますが、拝殿には上れないので、内部や格天井などは拝観できません。

庭にある大楠は樹齢 600 年を越すとありますから、世の移り変わりをつぶさに見てきたのでしょう。

 

     

     

 

この神社は、全国の大名たちがこぞって寄進した灯籠群でも有名です。銅製が50 基、石灯籠は280 基です。

よく見ると、細部にわたって精巧な装飾が施されています。

 

             

             

     

     

     

 

大鳥居から少し離れて、一基建つ灯籠。大きいことから“お化け燈籠”と呼ばれていますが、これは、常陸北条 1 万石の大名、佐久間勝之によって寄進されたものです。なお、この大名の母親は秀吉に滅ぼされた柴田勝家の姉だそうです。(説明板より)