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雨曇子日記

エイティライフの数々です

じゃん・だら・りん

2018-02-24 20:14:22 | エッセー

 

雨曇子「三河高浜方言集“じゃんだらりん”見せて頂きありがとうございました」

謙三「方言を集めた岩月三則サは、蒐集途上でノウナラシタモンデ、

    遺志を引き継いだ奥さんの三代子さんが自家出版シタダゲナゾン」

雨曇子「ホッカン。立派な装丁でヨウヤラシタナン。題名もかっこいいジャン」

謙三「高浜弁は語尾に“ジャン”“ダラァ”“リン”がヨウ付くだガン」

雨曇子「この辞典を見て、ダチャカン(駄目だ・埒が開かない)タルイ(疲れた・物足りない)タアケ(馬鹿者)

         ドッチカテヤァ(どちらかといえば)トットイテクレン(貰っておいて下さい)ナリ(形・恰好)

     など、ワシも三河生まれダデ懐かしい言葉か多く目に付いたゾン」

謙三「ホッカネ。ワシも東京に出て長いモンダデ、ふだん三河弁は使わないけれど、

    三河弁は体に染み込んでいるみたいダガネ」

雨曇子「お互いに、ホダナン」

 

             (とんこつラーメン店の壁に貼ってあった熊本方言の暖簾)

 

三河高浜の方言

     びり          ドベ

     お前たち       オンシガトウ

     たくさん        ヨウケ

     苦しい         エライ

     少し          チイタア

     困る          ドオモナラン

     早く          チャット

     欲しいだけ     ドイダケデモ

 

雨曇子「ところで、平昌(ピョンチャン)オリンピック、見トラセタカン」

謙三「毎日、ヨー見トッタガネ」

雨曇子「カーリング娘が連発していた“ソダネー”

     三河弁なら“ホゥダネー”ダラー?」

謙三「ホゥダヨ」

 

 


満月から満月へ

2018-01-31 19:44:11 | エッセー

                         ( 平成 30 年 1 月 1 日の満月 )

 

 

平成 30 年 1 月 1 日は満月だった。旧暦(太陰暦)の 11 月 15 日にあたり、今日 1 月 31 日は 12 月 15 日だ。

従って、平成 30 年 1 月は、満月に始まって満月で終わる。

 

この一か月、とに角速かった。年をとればとるほど月日の経つのが早い(ように感じる)。

そして、寒い一か月だった。

 

私の住む下総台地北部、柏では、一日の最低気温がマイナスを記録する日が 23 日あって、22 日の積雪は約 10 cm でした。

昨年のようすを日記帳で調べてみると、最低気温のマイナスは 22 日あり、雪こそなかったけれど結構寒かったのです。

でも、今年ばかりがやけに寒いように思われます。

 

                   ( 30 日、わが家の前、午前 7 時ごろ )

 

さて、31 日の満月は皆既月食になるというので、張り切って待機していました。

 

              ( pm 8 : 48 ごろから欠け始めました )

 

NHK のニュースウオッチ 9 では、くわしく報じていました。

 

 

私のデジカメ撮影はあきらめて、テレビ鑑賞に切り替えました。

 

 

 

 

 

 


佐伯泰英氏の時代小説と東慶寺

2018-01-27 22:04:24 | エッセー

 

私の blog “新春散策 東慶寺”に謙三さんがコメントをくれた。

「最近読んだ佐伯泰英さんの小説の中で東慶寺はよく出てきました」

私は佐伯氏を知らなかったので、さっそく図書館へ行き、小説の作家別の棚を探しましたが、ここにはありません。

受付のカウンターに行って訪ねると、佐伯泰英の文庫本だけを集めた棚を教えてくれました。これは、いかにこの作家の本が読まれているかの証拠だと思いました。ここから適当に 5 冊、あとハードカバーのエッセイ集「惜櫟荘だより」の計 6 冊を借りてきました。

「惜櫟荘」(せきれきそう)は、岩波書店の創始者岩波茂雄が熱海伊豆山に 1941 年に建てた別荘で、成田山新勝寺を設計した建築家吉田五十八による名建築らしい。

老朽化していたが縁あって佐伯泰英氏が譲り受け後世に残すために完全復元し、現代に蘇らせた。

エッセイ集「惜櫟荘だより」は、この再建過程を詳細に記録しているが、同時に佐伯氏の作家としての経歴が語られる。氏が一か月一冊のペースで書き上げる時代小説と併せて読んだ。

老年となって活字離れが進んでいる私だが、これは、面白く読めた。

 

ところで、私が読んだ 5 冊には、東慶寺は出てこなかったが、場面として登場することは想像でき、健三さんはそれを楽しまれたのだろう。

東慶寺には、岩波茂雄の墓があり、これも一つの因縁ではないかというのが、私の読後感である。

 


「鉄ちゃん」ではありませんが・・・

2018-01-11 15:52:36 | エッセー

1 月 6 日(土)春日部駅の下り線ホームの先にある待合室で久喜行きを待っていると日光行特急が入線してきました。

 

        (フロントガラスに映っているのは 7 番線アーバンパークラインのホームです)

 

「えっ、これが特急?」と内心驚いて写真だけは撮りました。

あとで、(本物の「鉄ちゃん」の)ブログで調べてみると、この列車は 350 系と呼ばれる列車で、土・日・祝日に 4 両で運転される廉価版特急であることが分かりました。

大阪の方が発行する「鉄道車両空間ブログ」には、更に詳しく、トイレの仕様から、運転台仕切り部に窓がないことまで、微に入り細を穿って記載されていました。(夜間運転の際は 4 号車が女性専用となる)

 

                ( まもなく特急「けごん」は発車していきました )

 

そして、東急電鉄の車両で半蔵門線経由の久喜行が来ました。

 

 

こちらも調べてみると、 2007 年投入の 7000 系という電車らしいです。シートが変わっています。

東武線であっても、いろいろな会社の電車が入り込んでくるのは「鉄ちゃん」でなくても、楽しいことです。

 

 


とん(貪)・じん(瞋)・ち(痴)

2017-12-13 20:27:07 | エッセー

                        ( いつまでも枝に残った枯葉 )

あるクロスワードパズルに次のような設問がありました。

「仏教の三毒。人間の三種の根本的な煩悩を表す漢字 3 文字」

入った言葉は、「トンジンチ」でしたが、私には、ちんぷんかんぷんだったので電子辞書で調べてみました。

「(仏)貪欲・瞋恚(しんい)・愚痴の 3 種の根本的な煩悩。三毒」

十分閑のある私ですので、さらに突っ込んで調べてみました。

貪欲=物事に満足せずむさぼるような欲望や執着

瞋恚=自己中心的な怒り

愚痴=真理を知らないこと

 

富岡八幡宮の元宮司の弟が、姉の現宮司を日本刀で切り殺した事件が最近話題になりましたが、この弟は三毒の重症患者だったのでしょう。

源実朝を鎌倉八幡宮大銀杏で殺した公暁もそうだったのかも知れません。

「煩悩を捨てよ、そうすれば楽に生きられますよ」などと、お坊さんがよく言うのは、このことかも知れません。

この煩悩という毒は、病院で切り取ってもらうわけにはいかないのが、ある意味厄介です。

 


コボスタ球場の野鳥

2017-08-31 18:00:39 | エッセー

8 月 30 日 コボスタ球場のナイター西武 VS 楽天戦は試合進行とともに雨脚が強くなり 8 ー 4 と西武リードの 8 回裏、試合は一時間に亘る中断を余儀なくされた。

この中断中野鳥の一団が現れ、球場いっぱいに乱舞を見せた。

その数、数百、いや千羽近くいたかもしれない。

集団で飛来する鳥といえばハマシギで、その群舞を谷津干潟で見たことがあるが、あれは 10 月ごろだったような気がするし、今回 TV で見た、コボスタ球場のそれはハマシギよりは少し大きな鳥のようにも思えた。

しかし、なんだろう?翌日になれば新聞やその他のメディアが詳しく報道してくれると期待したが、どこも、ただ「野鳥が・・・」としか報道していない。朝日新聞のデジタル版が「チドリらしい」と書いていたがあいまいだ。

30 分近く球場を乱舞し(美しい飛翔だったが)爆竹のような音、照明を消すなどの策をこうじてやっと退散させたこの野鳥、海の鳥なのか、山鳥か、渡り鳥か留鳥か、正体を明らかにしてほしい。

いつまでも、「野鳥が・・・」「野鳥が・・・」では、メディアとして恥ずかしいことではないのか?

 

その後、仙台の友人佐藤拓郎君に調べてもらい、アカエリヒレアシシギ と判明した。

全長 19 ㎝ 旅鳥で春・秋に洋上で見られ、何万というような群れで行動する。この日は、その一部が仲間と離れコボスタ球場に飛来したとみられる、とのこと。


コウリョウが強い!

2017-08-22 19:46:42 | エッセー

8 月 22 日(火)関東地方はこの 10 日余り太陽が顔を出さない日が続いている。それでも涼しいわけではなく、最高気温は 30 ℃を超え蒸し暑い。

昼食はカレーだった。

私が食事をしながら TV を見て「コウリョウは強いなあ!」と思わず言うと、妻は「えっ、香料が強いの?」と言った。

初めて買った新宿中村屋のレトルトカレーで、味が気になっていたらしい。

「いや、広陵高校だよ。中村奨成選手は噂通りにすごい。ハムに来て欲しいなあ」

カレーを大きく頬張ると何か堅いものの感触があった。

「何か種のようなものが入っているね」と私が言うと、妻は「きのうのご飯だから梅干しを入れておいたのよ」と言った。


甲子(かっし)年の石碑

2017-05-15 20:13:24 | エッセー

 

柏市増尾城址公園の水辺ゾーンへの道端、石垣の下に置かれた庚申塔です。

「庚申」とだけ書かれた碑で、造立は文化元年十月吉日とあります。

 

甲子(きのえね)は、十干の最初の「甲」と、十二支最初の「子」の組み合わせで、60 年に一度回ってきます。この甲子(かっし)年は甲子革令(かっしかくれい)思想から、年号を代えるのが慣例だったようです。(明治以前)

本来なら享和 4 年であるべき年が文化元年になったのです。

ところが、享和 4 甲子 と書かれた庚申塔がありました。

 

 

こちらは、塚崎村の庚申塔です。二月の造立で、まだ改元のお触れが出されていなかったのかななどと思いました。

甲子年の庚申塔は塚崎の宗賢寺(日蓮宗)の門前にもありました。

 

                

 

延享元年は 1744 年 文化元年の 60 年前です。

 


磐越西線に乗って

2017-05-11 15:07:08 | エッセー

 

磐越西線の郡山から喜多方は電化されていて、電車は表磐梯の山裾を軽快に走ります。しかし、電化されていない喜多方の先へは、会津若松からのディーゼルカーで行きます。

 

 

4 月 21 日、端麗な磐梯山には雪が残っていましたが、会津の桜は終わっていました。

私は、この日 5 本めの 14 : 33 発新津行に乗車しました。座席は十分ありました。

 

 

列車は、右手に磐梯山、前方に飯豊山地(かな?)の山なみを眺めながら進み、喜多方に着くと一群の観光客を降ろし、進路を西に変えて森林地帯に入りました。

磐越西線の愛称は“緑と水とロマンの鉄道”ですから、まさにその核心部分に突入したわけです。

森は、雪がすっかり溶けて春の気配が感ぜられます。

 

 

水は、雪解けの水が川に流れ込み水嵩を増していることでしょう。トンネルをくぐるたびに車窓の右、左に現れる阿賀野川は、あるいはダムとなって水を貯え、あるいは大河となって滔々と流れています。

 

 

ロマン ? それは、各人の感受性によります。プラットホームの駅名表示、津川町の“きつねの嫁入りが似合う町”などからも感じられませんか?

 

 

兎も角、のんびり、ゆったりの磐越西線です。

さて、16 : 36 会津若松から数えて 21 番目の咲花(さくはな)駅に着きました。森を抜けた新津平野の入口です。

 

 

私は、咲花温泉の碧水荘に一泊の予約を入れておいたのです。

数人の客が去ると、この無人駅はひっそりして、折しも満開の桜が戊辰戦争の碑に散りかかっていました。

駅を出た道は阿賀野川に突き当たり、川沿いの道を宿に向かうと、かすかに硫黄が匂いました。

 

 

碧水荘の源泉かけ流しの湯はとても新鮮でした。湯口近くでは肌がヒリヒリしましたが、馴れてくるとかえって心地よく、温泉の成分が細胞から体中にしみこんでいくようで、とても爽快でした。

 

 

 

翌朝、散歩に出ると、線路脇にりっぱな 機材を持ち込んだ大勢のカメラマンがいました。土・休日に運転される“SL 特急ばんえつ物語”がお目当てです。新潟駅発のその列車がここを通るのは 10 時過ぎとのこと。「えっ、 3 時間も待つんですか」と私は驚いてしまいましたが、みなさん、それなりの楽しみ方があるのでしょう。

私が乗った下りの列車が五泉駅でその SL を待つ間、ホームに出て入線する SL を撮りました。イマイチ迫力が感じられません。やはり咲花駅の桜の下でこそ絵になるのだと反省しました。

 

 

 

 

 


県民歌“信濃の国”

2016-12-11 18:07:49 | エッセー

過日一泊旅行をした松本は、長野県“信濃の国”だ。

 

             

 

「信濃の国」は、全国で最も歌われている県民歌らしい。

それは、内田康夫「信濃の国殺人事件」のプロローグに詳しく書かれている。小説はフィクションでもプロローグは真実が書かれている。

私は、愛知県生まれの千葉県人だがどちらの県歌も歌えない。だが長野県歌“信濃の国”は歌える。それは、在職時代宴会などで長野県人が「信濃の国」を歌うのを何度も耳にしているからだ。それに、この「信濃の国殺人事件」読んだせいでもある。

 

     信濃の国        作詞 浅井 冽  作曲 北村季晴

1. 信濃の国は 十州に 境連ぬる国にして

  聳ゆる山は いや高く 流るる川は いや遠し

  松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は肥沃の地

  海こそなけれ 物沢(ものさわ)に 万(よろず)足らわぬ事ぞなき

2 ~ 6 略

長野県庁にある歌碑の書は、松本市出身の書家 上條信山である。

長野県民手帳には、この県歌が見開きに大きく載っているらしい。