秩父盆地、静けさの山間に、
霊場、札所34か所の巡りは神秘的でさえありました。
霊場、札所34か所の巡りは神秘的でさえありました。
札所29番から、駐車場に向かうとき、
茶畑のそばで、農具を片付けながら、
声をかけてくださった方がいて、
「今日は、30番まで行き、
鹿の湯に入って終わりにすればいい・・と。
茶畑のそばで、農具を片付けながら、
声をかけてくださった方がいて、
「今日は、30番まで行き、
鹿の湯に入って終わりにすればいい・・と。
これからの工程は1日2カ所が、
目いっぱい、疲れますよ」・・と。
札所30番、瑞龍山・法雲寺、
目いっぱい、疲れますよ」・・と。
札所30番、瑞龍山・法雲寺、
幕末の頃、土地の人々が卵の殻に、
人形を描いて人形を作り、義太夫の語りに合わせ、
一体の人形を二人で操り、
人形の手の操作に竹串を使う、
白久の串人形の一座があることで知られる、
白久・深谷地区。
谷津川に沿って急な坂道は、熊倉山へ。
途中、寺の石標があって、道は2つ👇
人形を描いて人形を作り、義太夫の語りに合わせ、
一体の人形を二人で操り、
人形の手の操作に竹串を使う、
白久の串人形の一座があることで知られる、
白久・深谷地区。
谷津川に沿って急な坂道は、熊倉山へ。
途中、寺の石標があって、道は2つ👇
👇本尊の如意輪観世音。
元応元年(1319年)建長寺の道隠禅師が唐より
奉持したものと。
手引書には、膝を崩してじっと何かを見ている、
優雅な姿と・・・。来年の4月18日には、
表現して怒られるけど、妖艶な姿を見れる・・。
元応元年(1319年)建長寺の道隠禅師が唐より
奉持したものと。
手引書には、膝を崩してじっと何かを見ている、
優雅な姿と・・・。来年の4月18日には、
表現して怒られるけど、妖艶な姿を見れる・・。
向こうの山、深谷に雪が降れば一際、
山間の納経所、法雲寺が威光を放つのでしょう。
山間の納経所、法雲寺が威光を放つのでしょう。
👇如意輪観世音をここへ運べと言って、
枕元に出たのは「龍」でした。
枕元に出たのは「龍」でした。
願いかなった「龍」は、満足して天に昇ったという。
枯れた松の木の形が・・飛天の龍に、似てて‥と。
枯れた松の木の形が・・飛天の龍に、似てて‥と。
👇1615年、改築したときに植えられた
ヒヨクヒバ・・400年近い樹齢、
ヒヨクヒバ・・400年近い樹齢、
紫陽花がきれいに咲いてた法雲寺、
今日訪れた、坂東札所2番、海運山・岩殿寺の
裏山頂上に、秩父34札所の御詠歌石碑が並んでて、
👇法雲寺の法が、宝の文字で「宝雲寺」だった。
昔はそう書かれていたのもあるそうで、
変わった時代は・・・住職外出で、大黒山からの連絡待ち。
今日訪れた、坂東札所2番、海運山・岩殿寺の
裏山頂上に、秩父34札所の御詠歌石碑が並んでて、
👇法雲寺の法が、宝の文字で「宝雲寺」だった。
昔はそう書かれていたのもあるそうで、
変わった時代は・・・住職外出で、大黒山からの連絡待ち。
昔の人びとの努力と信仰心に心打たれたことでしょう。無事に三十番まで行って、身も心も変わりましたでしょう。
昔、転勤で大阪に居た時は京都泉涌寺で楊貴妃の像を拝見しましたし、北鎌倉に居た時は建長寺に近くてよく行きましたので、ここの霊場を何となく身近に感じましたが到底、お参りするのは無理かな?
素晴しい身心共にUPされたことでしょう。(^^♪
何か、変わったような気がします。
秩父の秩父の人たちの努力、祈り、
生活がひしひしと感じ取れるようになり、
身がしまる思いです。