春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

時間ですよ!

2016-11-18 09:55:35 | Extra

足立区千住元に1929(昭和4年)営業した「子宝湯」は石川県の方で、
小林東右衛門。全部で5件を同時に経営していたといいます。
当時の建築費は2万円くらい、気に入った大工を、
子宝湯は石川県から連れてきての建築で、
4~5万円だといいますから、かなり贅沢です。
唐破風の「七福神の宝船」だけでも、2階屋が建ったといいます。
廃業、1988年。小金井市への移築は1993(平成5)年で。

銭湯のドラマは、「時間ですよ!」向田邦子さんの脚本。

1970年あたりの脚本は橋田須賀子氏ですが、
1971年からは、向田邦子が脚本メンバーに入云っているようです。
設定は、東京・湯島で銭湯「梅の湯」が舞台ですので、
「子宝湯」とは関係ありませんが、
銭湯内の風景は、ほぼこんなものです。
当時、全裸の女性が必ず出てきて、その場面待ちだけの人が沢山いました。



らのころは、駕籠の棚のほかに、ロッカーが普及していましたが、「子宝湯」
にはロッカーがないですね。



広告や映画のポスターを見ながら、体を拭くのは毎度のことで、特に、
映画のポスターは、見逃せないことでした。貴重なポスターです。

  

  

  天井は高く、「折り上げ格天井」      
  贅沢な造りだと思います。

 

番台の肘掛けに彫刻は、あまり見られなかったのではないでしょうか

    取材中、台湾で飛行機事故、空中分解ですから悲惨です。 
    51歳の若さ。
もう36年もたっているわけで、多磨霊園。

   

   

  墓碑銘は森繁久彌による「花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る」。

   

タイル画は、
男湯の「義経と弁慶の五条大橋の風景」「那須与一」 

女湯は「猿蟹合戦」「雀のお宿」。
「章仙」の刻印から「九谷」のタイル絵師、石田庄太郎氏(1914年生)
東京の銭湯のタイル画の大半が石田氏といいます。

 


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2 コメント

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こんにちは (tempo1078)
2016-11-18 12:34:07
銭湯、
凄く、懐かしいですね。

東京の銭湯は
北陸出身者の経営が多いようですね。

何かの番組で知ったのですが、
理由は忘却してしまって、残念。
返信する
こんばんは (とよ)
2016-11-18 18:58:30
tempo1078 さま
 
北陸出身が多い、
知りませんでした!

どうしてか、興味深いです!
あとで調べましょう!
返信する

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