椿の花を撮るとき、椿の花にレンズを合わせるとき、
脳裏から消えない、決まって浮かんでくる、光景があって・・・。
2015年10月の11日のブログ記事を読んでから。
❝縁側から、悲しみの言葉をのんで、椿を見ている姿❞
母が亡くなった日、一輪ぽっと花を開いた山茶花(椿)。
母の死を優しく、精一杯お見送りしているようだった。
と30年前を回想した作者の姿でした。
今は少しだけ、花の名前が分かってきました。
花の写真も撮りました。
けれど、撮る前から、
花に情景を浮かべて撮ったのは「椿」
そして、散り落ちた花辨は、
私のブログには載せまいと決めていました。
今日、その方のブログの記事に戻りました。
庭に毎年咲く、母のにおいの花は「山茶花」だった。
でも、思う。
作者の、母を見送った山茶花で、
30年前の回想を呼んだのは、今年も咲いた喜びが、
私のファインダーに浮かべた情景は、
悲しみを言葉に変えられるようになって、
花を優しく見ている、作者の姿。
母が坐っているような、母をおもう、姿。
私はその情景を大事にしまって忘れることは無いのでしょう。
秋、カメラレンズに、山茶花が咲いたら・・・、
そう、忘れない!
落花の刹那も花の命、つばき、地の花辨も、脈うつ椿。
☝ 鎌倉円覚寺、弓道場 芍薬。セッコク。椿。引用 Mrs.fuyou❝花守❞
とよさまの文章表現にはいつも頭が下がります
研ぎ澄まされた感性はどのようにして培われたものかと想ってしまいます
そう 私は悲嘆の涙は喉の奥から出ることを知りました
どうしようもない深い悲しみのどん底で
生きることへの小さな力が芽生えることも知りました
きっとすこし、すこ~しだけなが~く生きてきたから・・・。
fuyouさんのお母さんの意思が、今はfuyouさんだといつも思いながら、
読ませていただいています。
断りなく引用いたしました。
残しておきたいページです。
謝ります‥ゴ・メ・ン・ナサイ!
いえいえ
ゴ・メ・ン・ナサイと言わないで!
残しておきたいページと言って頂いて
ありがとうございます
気が楽になりました。
小生、意外と小心者でして・・・・。