明後日から私も長期の休暇に入るのですが、
出来ることはせいぜい、借地で伸びた草むしりくらい、
いつの間にか、膝くらいの草に、
あきれて、も、まあ~いいかと。
去年のひん曲がった麦わら帽子、直しても、
格好のいいカーボーイ姿には、
ちょっと、ちょっとほど遠く・・。
いつの間にか、膝くらいの草に、
あきれて、も、まあ~いいかと。
去年のひん曲がった麦わら帽子、直しても、
格好のいいカーボーイ姿には、
ちょっと、ちょっとほど遠く・・。
東京組長の願いを無視して出かけた、
取手市の長禅寺、年一度の御開帳は、
当然コロナで中止でした。
取手市の長禅寺、年一度の御開帳は、
当然コロナで中止でした。
期待していたご婦人方もいましたが、
境内の掃除していた若い僧が、
今年は、秋には拝観できるのではとのこと。
江戸後期に流行った、2階建てを3層にして、
坂東33観音、秩父34観音、西国33観音の、
それぞれを層に置き、右回り一方通行で拝観する、
100観音を見られるのは、
群馬県太田市の曹源寺、埼玉県本庄市の成身院と、
ここ取手市の長禅寺だけ。
江戸後期に流行った、2階建てを3層にして、
坂東33観音、秩父34観音、西国33観音の、
それぞれを層に置き、右回り一方通行で拝観する、
100観音を見られるのは、
群馬県太田市の曹源寺、埼玉県本庄市の成身院と、
ここ取手市の長禅寺だけ。
長禅寺の三世堂、1763年に建て、
1801年再建された栄螺堂です。
ここには鎌倉時代の仏師快慶の作といわれる、
11面観音が祀られていて、観たかったのですが・・。
1763年小林一茶が生まれた年、
くしくも一茶は取手の近く守谷市の西林寺に、
たびたび滞在していたと知りました。
1801年再建された栄螺堂です。
ここには鎌倉時代の仏師快慶の作といわれる、
11面観音が祀られていて、観たかったのですが・・。
1763年小林一茶が生まれた年、
くしくも一茶は取手の近く守谷市の西林寺に、
たびたび滞在していたと知りました。
それと、坂口安吾さんが自身の半生「吹雪物語」は、
取手市に8か月ばかり滞在をして書いたものらしい。
取手市に8か月ばかり滞在をして書いたものらしい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます