春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

富山岩瀬の森家の畳は、粋な・川の流れ!

2019-06-24 07:36:35 | Extra

 

小さな新聞の切り抜きの記事があった。
富山のかまぼこは、板についてない。
そして、たらこやニシン、鮭やマスの昆布巻きの、
程よい甘じょっばさは、
酒のつまみに、軽い茶漬けに、絶品。
水深深い富山湾で獲れた魚介類は、
身がしまって旨い。
北海道から運んだ昆布が一層美味さを引き立てている。


650軒を消失した、明治6年富山岩瀬の大火、
京都から大工職人と材木を運んで再建した、
北前船の船主、森仙太郎氏の廻船問屋が、
完成したの明治11年。

 

江戸初期から活躍した廻船の船主の悲劇は、
明治、大型汽船の電信が発達したことで、
荷物の運搬料や、商売用の荷の値段が、遠隔地でも、
容易に知れることで、
取引額の儲けが目減りしてしまったこと。

明治以降、財をきずいた船主の多くは、
銀行を創設したり、海上の保険会社を作ったり、と、
莫大な費用の掛かる汽船の新造には手を出さなかった。

かつては、加賀藩主、大聖寺藩主の参勤交代の往還道、
肥料商の大家が並び、年貢米の米俵を馬に付け、
肥料を買う農民がごった返し、
食べ物や、茶屋、宿屋も繁盛した岩瀬のメイン通り。

昭和25年北陸の名家廻船問屋「森家」も時代に押されて、
倉敷の麻や木綿、絹に変わるレーヨン製造を始めた、
人物の手に渡る。

 

 

 

 

 

森家が残したかんざしが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

粋な「川の流れ」をあらわした「畳」

 

 

 

 

1枚岩・50トン、
船で運んでここまで押してきた、

大勢の人夫達の光景が、
北陸船主の心意気が、
腕を組んで見ている姿が、
浮かんできます。

コメント (2)
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