春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

もやもや・・・消えて・・・人、人、人!

2016-05-15 20:21:40 | 節三・Memo
菊池寛が発想した雑誌の題名が「モダンライフ」
昭和の初め、アメリカのハリウッド女優、ポーラ・ネグりが着ていた
洋服と同じスタイルでモダンガール(モガ)と呼ばれた女性が闊歩する。
こんな女性が鎌倉まで来たかどうか、確信はないけど、いたと思う。


もし、来たとすればこの駅で降りた訳だ。


日の目的地の確認のドキュメント。駅を基準に歩いて4分。
長谷2丁目21-19はこの駐車場。
じつに運がいい。
洗車中のお父さんに「金波楼」を聞いた。
お父さん、「金波楼」知らないという。捜す事情を説明をしたら、
幾らか一所に調べてくれる気になったようで、
おばあちゃんを巻き込んでの調査。

おばあちゃん、関東大震災の時、隣の家の女中さんが何人も津波で流された。
話を聞いたことがある。
普通の家に何人も女中さんいないでしょう
「金波亭」と呼んでたような気がする。

私の「金波楼」は谷崎潤一郎の「痴人の愛」からである。
1924年から連載された小説。
この本の中に「金波楼」が出てくる。

「金波楼」⇒「「金波亭」
私の思い違いだろう!




私は、細い路地を歩いて、




通りを越え振り向いた。景色がいい。


浜辺で煙草をくゆらせ、


今日はたまたま、ロックフィステバルが開かれるというが


一旦番地まで戻ろうとしたとき、漁師さんにダメもとで、「金波楼」を聞いた。
「金波楼」?「きんぱてい」だろう、俺等、昔から呼んでたよ、ほれあそこだよ!」
びっくりした!浜へ来るとき振り向い所である。


路地を戻り


金波亭のあった場所にたどり着いた。



大正12年の大震災から3年後、モガが全盛になる3年前。
ルーシーと節三は生涯の師と呼ぶ三船久蔵師範と数年ぶりに酒を飲んでいる。


訂正 「金波楼」 ⇒「金波亭」
住所 鎌倉市長谷2丁目21-19   
鎌倉市長谷2丁目21-20

この後、金波亭の家人とは後日会うことにし、
鎌倉中央図書館へ、お礼の挨拶に行ってきました。

日曜日、鎌倉は、人、人、人・・・。
車の側で歩くほどの溢れようでした。
寺社の見物は、勿論「パス」
         
往復5時間、現地確認60分の鎌倉でした。
コメント (2)
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中傷記事待ってます・・弁当広げて・・・!

2016-05-15 07:33:33 | Extra
おはようございます
曇り空ですが、これから出かけるところです。
中傷でブログを辞める方の記事が目立ちますが・・・
いい記事を書いていましたが・・なんか寂しいですね・・!
中傷する記事を見て、取るに足りなかったら、
あっさり切り捨てましょう!
どうせ、その時だけです。
自分の人生、一言、二言で変える勇気、私には無く・・!
傷つけられたら無性に腹が立つのは、200パーセント理解できます・・・・!
私に書かれた中傷なら、
御膳が宙に舞い、飛び跳ねた茶が天から降ってきます・・・が!
ブログ・・やめられなくなってきたようで、
それが困った!
書いてるうち、約束の時間に間に合わなくなりそうです!
この辺で・・・!

しつこく弁当の飾り紙。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

軽井沢停車場
明治 
油屋
13銭


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

仙台駅
大正13年(1924)3月25日造る
小林熊次郎 
35銭
伊達家や青葉城、芭蕉辻、
支倉六右衛門(常長)の墓、伊達家家臣だった人でしょうか・・・?
林子平、18世紀の経済学者?(青葉区龍雲院にお墓) 
コメント (2)
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