富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

米軍のシリア攻撃と、北朝鮮の非核化交渉

2018年04月14日 | Weblog

<トランプ米大統領は13日夜(日本時間14日午前)、シリアの化学兵器使用疑惑を巡ってシリアに対する攻撃を命令したと発表した。英仏も参加し攻撃はすでに実行されているといい、トランプ氏は「シリアの化学兵器使用を止めるまで対応を継続する」と述べた。>10分ほど前に入ったニュースです。これで、軍事緊張は中東に絞られました。そして、世界経済の重大な影響を与える東アジアでの軍事緊張は、緩和されました。アメリカは、基本、2正面の作戦は回避すると読んでいましたが、これで決まりです。つまり、アメリカは中東にかかわる世界では、石油の利権が絡んでおり、世界経済の主導権のためには、軍事リスクを犯す理由がある。軍事にかかるコスト・パフォーマンスが求められる。ところが、ベトナム戦争、朝鮮戦争は、アメリカ軍にとり、最悪のコストパフォーマンスに終わった。ここは、軍事経済学・財政学の面から、東アジアからは腰が引ける状態だ。だから、北朝鮮は、アメリカが北東アジアへの軍事介入を避けたいので、緊張は緩和できると読んでいる。

それで、日本人としては、北朝鮮の金王朝の体制を大前提として、国交の樹立を想定した大転換を想定する段階にきた。そこで、小泉政権のピョンヤン宣言と逆に進んだ安倍政権という表紙を変え、習近平政権を保証人として、北東アジアの軍事緊張を除去するべき対応が期待されるようになった。極右、右派の方には残念であろうが、アメリカは金王朝の体制変革を急がないで、太陽政策を選んだ。ここに、安倍政権でなければならないという理由は消えた。日本の総合商社の目で見ると、自ずとハト派の岸田さんに総理の目があることを期待するだろう。安倍政権が、北朝鮮の表紙を変える前に、日本の表紙から安倍政権が消えるという事態が確実になった。情勢の複雑化に対し、伊藤忠は中国に強く、三菱商事はロシアに強く、官僚OB実力者たちと総合商社のチャンネルは、すでに日本の表紙変えを選択したようだ。また、メガバンクをこれ以上に弱らせないためにも、小泉を古い「結合」とした形から、安倍を古い「結合」として見なし、実力層から新時代の日本への表紙変えの演出が稼動したとみてよいのではないでしょうか。


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新電力を持ち込み、北陸経済を混乱させるべきではない。

2018年04月14日 | Weblog

今、アメリカ経済と中国経済と、そして、日本の総合商社の国際知財と、数は多いが影響は小さいEUを全てくるめて、人類経済の高度化を図るのは、もはやケインズ経済学の息切れが語られて久しい。そこで、原点への回帰が、思考サイクルとして求められる。基本は、アダム・スミスの深読みから再構成される。ケインズは、政府の財政と中央銀行の役割をスミスから学び、その機能の最大化を試みた。だが、それでは、第2列にいるロシア、インド、ブラジルなどには無理が生じる。しかも、中央銀行の金融政策にも政策操作の限界が生じる。完全に手詰まりの状態にある。一見、均衡安定しているのだが、期待される新市場が伸び悩んでいる。アメリカは財政における経済の軍事化が重荷になっている。これを上手く名誉ある撤退に導くには、日本が最大の癌である。中国は、アメリカに代わる戦争抑止力を磨いているが、まだ、10年の訓練機関が必要である。政府の財政、中央銀行の誘導というケインズの特効薬の薬効はきかなくなっている。そこで、世界はもういちどアダム・スミスを読み返す。実は、戦後にスミスはもう一度読み直されている。それは、スミスが注目した中国経済の人類的な役割である。それで、中国経済の成長をIMF、世界銀行が理解し、日本も強力に東アジア経済が人類経済に占める重みを高めるために中国と協力してきた。しかし、それは経済科学と経済政策との厳格な区別を示唆するスミスの原理とは、乖離するので、日本も中国も、今後、何をして良いのか分からなくなっている。答えは、あらためてシュムペーターの25歳の作品である「経済発展の理論」に立ち返ることを通じて、政策をいじるまえに、経済科学に回帰する必要がある。「発展」とは何か?実態は、静態的な均衡のサイクルから動態的な均衡へのサイクルが生まれ、それが停滞する静態均衡に沈む。今それが分からないから、ビッグ・データーの解析が流行してきるが、統計推論から得られる指針を行うとなると、ケインズ型の政策展開の方程式しかない。誰が考え、誰が「新しい結合」をつくり、それを担っていくのか?

私のわかる範囲では、第一に、中国共産党がシュムペーターをこなし、そこに依拠するドラッカーの経営学を駆使すること、それと、第二に、日本の総合商社と中国共産党との戦略的共存である。もう一つは、国家的に一元的に電力を統括する産業のエネルギー銀行を生み出すことである。これは、中国でも同様の課題がある。創造的な破壊というより、地域電力企業を残し、国家としてのエネルギーのビッグデータの日常分析管理のシステム一元化にむけて英断を下すときである。新電力を持ち込み、混乱させるべきではない。

 


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なぜ、富山大学の将来が大事なのか?

2018年04月14日 | Weblog

比較対照すると、金沢大学は超難関の大学・大学院のなかでは、ほぼ競り負ける。法科大学院でも、全国的には下方に位置する。努力の結果が敗北というか、不完全燃焼に終わる。これは、東大でいまいちの人材の捨て場として、金沢大学の教員が選ばれる。旧帝大よりも格落ちである。入試ランクでは、神戸大と変わらないが、その後が違ってくる。神戸大だと、大学院クラスとなると、京大、阪大の教授への紹介状か簡単にとれる。象徴化すると、白山という名山は、北アルプスの連峰ではない。ここに、金沢大学が、白山に終始する宿命がある。その点、富山大学には、活気がある。大学としては、底辺のクラスである。だから、公募で教員を集める。できる人は、5年で富山大学から上位大学へ栄転する。このなかに、若くして日本の学界を担う人材が隠れている。いわゆる登竜門タイプなのである。だから、教員の高齢層では、滝を上れなかった、あるいは、富山日本土着する必要がある、という土着貴族による権力闘争が繰り返される。この不協和音こそ、この大学の良くも悪くも溶鉱炉である。結局、物理系、化学系、生物系の怪物君たちの死闘である。このうち、世界で勝目があるのは、生物学と化学との融合領域である。生物を原料とする化学製品である。この面では、世界の研究が遅れている。ただ、生物系には、限りない「少年学者」がいる。彼らが、ようやく遺伝子技術を理解し、ナノレベルの原子における合成に精密化しはじめた。これは、富山大学の一部と県立大学の一部とが可能にする新製品、新技術である。金沢大学の一部にもそういう研究者はいる。だが、富山の方が生物由来の原料の原子レベルの合成技術が生きてくる土壌がある。というのは、建材の生産地としては、富山が産業ロジのうえで、立地が石川より便利、そして生物由来の原料から、住宅建材用の部材、接着剤が開発できる。この1点でも、木材が建材という太古以来の理解から、畑で建材原料を生産するという農業も生まれてくる。もしかして、自動車の部品・部材になるかも知れない。繊維は、生物由来の原料という原点に回帰している。しばらくは、昆虫採集の少年たちの理学家を絶やさないようしながら、他方で、原子の構造を見える化し、それを操作できる時代へと、回帰的な進化が、富山大学の人材には眠っている。富山県庁、北陸電力の超頭脳と結びつくと、2050年以後の新技術は見えてくる。科学では、純粋な馬鹿が役立つ。


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4月13日(金)のつぶやき

2018年04月14日 | Weblog

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