富山マネジメント・アカデミー

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標準理論としてのシュムペーター

2018年04月09日 | Weblog

日本人が経済学の理論家として、シュムペーターの存在を知るのは、彼の学説の紹介者である中山伊知郎さんの1945年からの経済復興への貢献であろう。同じに、共産党の指導下にあった労働運動と対決し、克服する日本型の労働運動を経済民主化として評価する役割に於いてである。中山さんは、共産系にとり天敵であった。だから、共産系がシュムペーターを批判もせず、無視してきたために、経済学に関心ある人でも、「大理論」としてシュムペーターを掘り下げ、経済史学を構築できなかった。

西部さんは、ポラニーという経済学の周辺の破砕帯の断片である理論に飛びついた。ポラニーは、ケインズ派の後継であるヒックス博士により評価された。そのヒックスが歴史を書くのに、マルクスを取り込んだ。段階発展論である。しかも、自らの叙述を「資本論」以前にとどめた。大航海時代からのちに人類史は描けなかった。これは、ポラニーの書いた世界の前景を描くことに徹した。僕は、このように整理するけれども、ヒックスを超える「経済学としての経済」の静態構造と均衡理論との関係では、ヒックスには限界があると見ていた。西部さんはシュムペーターの理論の理解においても、すぐれた業績がありながら、最後は自己感性の頼った。

高岡で活躍される藤田衞治さんから、経営学理論の基点は、シュムペーターにあると富山大学で僕たちが寄付講義として展開している「経営学の現場」で自論を述べられた。ただ、高岡人の悪いくせで、「高い塔」のうえから一言居士で終わることである。それで、敬して遠ざけた。高岡人は、人に丁寧に説明するのが下手というか、他者への軽蔑と、自尊心が過ぎて、対話により成長できない社会を作り出している。それは別にして、生涯に最後の山を登るために、まず日本語でシュムペーターを読み始めた。アダム・スミスが広げすぎた国民経済の概念をワルラスの均衡理論という装置にかけて、雑物を除いて、均衡理論にかかわる要素を国民経済というスケールまで理論純化したことである。貨幣論は、ケインズが評価されるが、それはシュムペーターにおいて貨幣交換記号説が展開されていることを知らされる。いわゆるマクロ経済学が先行する静態構造として抽出される。ロジックがドイツ哲学の論理形式を踏まえ展開されるので、著者の水準の教養がないと分からない本である。


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4月8日(日)のつぶやき

2018年04月09日 | Weblog

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