富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

海南に「自由貿易港」を建設するいう方針

2018年04月24日 | Weblog

中国の政治は、頂点で一元化され、情報が抽象的であるが機関紙に公表されるので、なれると掴みやすい。同時に、何が情報として秘匿されたかも分かる。大事なのは、中共中央政治局が招集する会議である。そのなかで、海南に「自由貿易港」を建設するいう方針が注目される。これは、船が接岸してコンテナを荷揚げし、積み込むには、香港がすでに狭く、湾内で船から船に積み替える方式にも限界があり、ここにきて香港の自由貿易の優位性を消し去るかたちで、香港からの政治的脅威をなくすという遠大な迂回作戦が開始された。それに伴い、沿岸の警備には、党組織、行政組織、軍事組織、武装警察組織、民間組織の5者の縦割り組織を、それぞれ沿岸の党委員会に統括する権限を与え、この工作集中統一指導という方式で外国の沿岸警備とは異なる優位性を発揮するという方針が決定されたことである。これは、南シナ海で起こる密貿易への対抗であり、日本の沖縄県の沿岸との交錯においても適用される。つまり、中央の総書記から各省の党委員会書記への集中体制が行われることになった。そこで、この制度変化が、日本の沖縄県の沿岸警備体制の縦割り行政の弱点を突いているので、日本としては、根源的に、行政組織、軍事組織、武装警察組織、民間組織の4者の集中的な情報認識の共通化が望まれることを意味している。と同時に、中国側では、総書記に権限が一元化されるので、それと同じような仕組みを作ると、直ちに国家と国家という対決になるので、中国側は地方の省委員会の書記に権限を委譲し、そこにクッションを設けている。これは、朝鮮、韓国、日本、台湾地区、香港地区、その他、東南アジア、さらにアメリカとの関係を想定しており、仮に現場が独走しても、省のレベルで修正できるようにしている。日本では、単純な愛国右翼が、全く理解できていないし、大新聞でも2018.4.23のニュースが分析しきれていない。ここの情報を提供しておきたい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑な議員たちには、「国民党」を名乗る資格はない!

2018年04月24日 | Weblog

希望の党と民進党の執行部は23日、両党が結成する新党の名称を「国民党」とする検討に入った、という。漢字で「国民党」とえいば、孫文の「国民党」を意味する。時代の制約があったため、重心が国家主義に傾いたが、国家指令型経済原理をもとに「建国方略」を建てたのが、孫文の「国民党」である。後継者の蒋介石からのちの「国民党」には辛い歴史評価があるが、国連の常任理事国に中国という国を押し上げたのは、「国民党」の功績であり、世界史のレベルの固有名詞である。その支部は、アメリカ大陸から、大英連邦を構成した諸国におよんでいるグローバルな政党であった。「立憲民主党」は、明らかに日本社会党のコアーにある解放同盟を隠れたコアーとするから、それ以外の旧民主党が、「国民党」を名乗るらしい。ただし、基本は院内会派を全国選挙に向けて統合するだけで、本来の「非国民」体質を抱えたままである。「非国民」というのは、軍国主義者が戦争協力を拒んだ日本共産党や創価教育学会に対して使われた言葉であるから、思想信条に核心はない雑な議員たちには、「国民党」という名称で世界史に業績を残す価値があるのか、まったく疑問である。もし、「国民党」が、日本を国連安保理の常任理事国に昇格させるという日本国の悲願を第一綱領として掲げるなら、それには価値がある。そのためには、「国民経済学」という経済原理を綱領にしなければならない。その時、シュンペーターの学理を基本とするのか、ケインズ学派で行くのか、新制度学派で行くのか、政策立案の基礎を明確にしなくてはならない。要は、「国」という漢字を使う資格をえるには、中国共産党幹部がそうであるように、最低限、シュンペーターの「五つの新しい結合」理論を身に着けておく必要がある。「雑民党」という現状では、とても「国民党」の名に値しない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国人が自ら創立した最初の特殊教育学校

2018年04月24日 | Weblog

中国の湖南省長沙市の特殊教育学校は、100年余りの歴史があり、前身は長沙市導盲学校である。中国人が自ら創立した最初の特殊教育学校と称賛され、発展し、今日までに至り、現在、視覚障害の学生が学んでいるという。添付の写真から読み取ると、点字による書籍で、紙質は決して良くないのと、指でなぞって読まれるので点字本の耐用年数は短く、2年から3年で凹凸が磨滅してしまうそうだ。社会主義国だからという突出した特色はないが、中国共産党もようやく視覚障害者の教育に目が向いてきたようであるが、情報技術を使い、摩耗しにくい点字本の作成などの独自技術を開発し、世界に向け開放していくような仁道の社会主義にはほど遠い現状である。それでも、全国紙である人民日報が、こうした報道を行うのは、過去に余りなかったことである。こうした面をおろそかにして、海軍力を強化しても、中国社会主義への尊敬はうまれない。ここに先端技術が投入できるなら、中国は地球上の存在価値のある国家として尊崇される。比較して申し訳ないが、日本国は、こうした不遇な条件の子供たちには、より恵まれた教育環境を生み出している。それにしても、中国のなかでも湖南人の人としての品格は高い。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「舟橋村」に代表される「新しい村」づくり

2018年04月24日 | Weblog

富山市政をうまく利用しながら、郊外型の「新しい村」づくりに成功したのが、「舟橋村」である。田園風景を生かし、周囲に先端産業の工場群をもち、公共交通を生かしている。ここには、北陸最大の企業である北陸電力、富山最大の公共交通の富山地鉄など、森市政よりもワンランク高い情報アンテナがある。富山県政に対しても、独自の矜持をもっている。「舟橋村」が富山県を代表しているのであって、「富山市」「高岡市」が、富山県の「表紙」ではない。類似の条件は、八尾にも、小矢部にも、魚津にもある。在郷町の商業中心地としては、大都市の富山、高岡には敗れたが、自動車交通と公共交通にミックス、さらには、インターネット環境の整備により、「新しい村」を構想できる条件が高まっている。ただ、大規模合併という趙規模地域の自治に敗退したわけだから統合人材が乏しい。しかも、敗退地区には、やむなく家を継いだという覇気に欠ける人材が揃っている。この負の連鎖を断ち切るのは、相当に難しい。ただし、富山市役所の退職公務員の方は、私の関係しているマンションの管理組合法人の理事として大きな役割を果たされている。「舟橋村」ばかりをモデルにしないで、「自村」を「自存」し、さらに「自尊」できるようにするには、法的には「法人」化が形式としては必要だが、これからは小学校・中学・高校に必要な英語教師を雇用し、地域で、英語寺子屋を経営するなどの工夫が可能である。「英語の絵本の幼児への読み聞かせ」は、まだ舟橋村ではやれていない。日本人のチューターとネイティブの組み合わせにより、お寺や神社で、異文化を学ぶことで、自己文化への自信も大いに深まる。高校1年で、TOEIC600を突破しておかないと、TOEFL高得点への挑戦は難しい。富山の浄土真宗が、英語寺子屋を受け入れないならば、それは教義に反することだ。アメリカのキリスト教の教義と矛盾する面もあるが、相互の理解を日常化することで、「新しい村」から世界へ通じるトンネルが掘れる。資源は、「新しい村づくり」にある。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう終わっている「街中の賑わい論」(2)

2018年04月24日 | Weblog

富山の中心市街地では、マンション建設が進んでいる。これは、区分所有法という法律をベースとした分譲の場合は、管理組合が形式的に組織され、国土交通省の認定資格である「マンション管理士」が、区分所有者の利益を代表するように制度設計されている。そして、区分所有法の主旨は、大規模再額で崩壊したとき、管理組合法人として登記されていれば、法人として国から公的資金を借りて再建できるためである。富山では、法人化している組合は、2つしかない。そのうち1つは、マンション管理士が管理、あと一つは、私が理事として法人化を進めたマンションである、残りのマンションは、購入者が区分所有法の理解をせずに、プロに任せている。万一、大規模災害に遭遇した場合には、敷地の面積をぎりぎりに建てられたマンションの場合、再建工事に利用できる隣接の空間地がないと、物理的に再建できない。だから、修繕積立金は、補修という名目で、年々、プロの補修業者に甘い汁を提供することになる。「街中の賑わい論」は、富山の場合は、古い中心市街地にマンションを建て、居住人口を集めようとするが、中心市街地の人口が50年、70年、100年先に再生できる道筋にはない。転勤族や、第二住宅として、投資として購入しても、人口100万の県都から、80万への県都へ人口規模が縮小し、すでに中心市街地としての役割を弱めているから、外国からの移民を呼び込む装置とはなるが、賑わい論の思惑ははずれる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう終わっている「街中の賑わい論」(1)

2018年04月24日 | Weblog

都市は、中心の市街に多くの人が集まってくる。だから、中心地に魅力あるイベントを興し、盛り上げようという「理論?」があり、これをネタに営業しているガラクタ企業がある。そのルーツは、江戸時代にある。見世物を縁日に開き、「賑わい」を演出する。これは、世界史の法則からは、大きく外れている。自動車の普及、インターネットの発達により、中心市街地に行く必要がないからだ。需要がないのに、先行投資すると、そのリバウンドのリスクは大きい。さらに、富山県では、住宅事情からして快適に過ごせる個人の空間が広い。わが家が中心市街地におくのは、大和デパート地下の「ドンク」のパンを買うため、さらに、私が富山新聞文化センターの教室に月に2回でかけるためである。あとは、何かの会合で、3つのホテルに行くくらい。富山市立図書館も、専門書では自宅の書斎の方が蔵書は多いし、インターネットでの取り寄せにいる送料と、自宅からの交通費の負担、特に駐車料金を考えると、足は遠のく。その分は、富山大学の五福地区の大学図書館を利用する。この五福地区こそ、実は都市中心地の機能を果たしている。西町・総曲輪の地区が都市中心地であるといえたのは、昭和の時代までである。エンドロールが流れているのに、まだ、江戸時代の香具師の稼業の夢をみて、それが「都市デザイン」と思うのは、ドン・キホーテと言われても仕方がない。富山県の強みは、在郷の伝統集落の農地を維持する機能にある。美しい田園風景、レトロな富山地鉄の駅舎、そして古代史からの軌跡のある神社、そこに自転車を使い外国人(台湾人)が回遊する富山湾、そして、情緒ある八尾、城端などの「町」、これが基本的な資産である。ドーナツ型の投資が望ましい。駐車料金を無償にできる条件が、古い中心市街にはない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月23日(月)のつぶやき

2018年04月24日 | Weblog

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする