富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

李克強さんより来日して欲しい周冬雨さん

2018年04月28日 | Weblog

久しぶりに中国の経済を離れ、中国の映画界を覗いてみた。日本では、これといった国民的な映画女優は、伝統がとだえたようであるが、中国では、厳しい批評の嵐にさらされながら、5年間、女優としての道を学校で学びなおし、再び、撮影の現場にもどってきた「90后」世代の女優が注目されている。周冬雨さんというらしい。5分程度のスピーチを見たが、明らかにファッションは、日本の女子からみると、3年ほど前のオシャレ感覚であるが、話の内容は、巻き舌音が極端に北京風ではないが、南方系のそれとは違う北方系の標準的なトーンで、十分にインテリジェンスを感じさせるものだ。基本、ナチュラルで、知性的で清楚系である。脚線は細い。すでに名声ある女優であるが、再デビューというわけだ。ただ、彼女のイメージに合わせた脚本が用意されたわけではない。それで、プロモーション・ビデオが作成され、メディアに流されたようだ。この5.1から5.5の休暇期間には、作品が全国で上演される。もともと声優ではないから、声質も特に魅力的だとは思えない。ただ役者の臭みがなく、気品のある女子である。女優の数と、台本の数では、後者のほうがはるかに少ない。女優は、オーディションで選べる市場商品である。台本は、中国でも、日本でも枯渇している。それも、集客力で評価されている時代だ。

中国映画の黄金時代に中国留学していた僕たちには、今の中国映画には、特別な思い入れはない。しかし、もうそろそろアジア系の映画がいつでも見られるような施設があって欲しい。ともかく、周冬雨さんは、ネット検索する価値はありそうだ。はやりの人だ。

 


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史上で最低の日本の高齢者:世界最高のJK様

2018年04月28日 | Weblog

 日本の高齢者は、過去には、先進国にふさわしい教育をうけた。それなのに、その内容が、製造業で画一的に規則正しく働くことに従順に躾けられているために、また、うまく介護という制度による飼い殺しを受容するように躾けられている。ラジオ体操、朝礼、曜日ごとの決まり事・・・。日本の教育は、自立を教えていない。集団行動への順応性だけである。だから、大正時代から郵便局に貯金にいく。運用は、国家に任せる。

 今となっては、投資信託ベースの個人年金を自己責任で選択しないいけないという教育は、今の高齢者には、もう間に合わない。しかも、明治以来、過去の高齢者に比べ、人口構成にうえで非生産人口として現役世代に重くのしかかる迷惑世代だ。悲しいことに、高齢者が尊敬されていないことだ。何が史上で最低かというと、社会の最高水準の知識と高齢者の受けた教育の落差が、文明史における断絶を意味しているからだ。高度なIT社会が誕生した結果、ローマ字入力で高速情報処理する情報革命に参加してきた人材と、手書き、Faxで済ませた人材とでは、途方もない断絶がある。この苦しみを避けるため、朝鮮半島には、長老への敬老の社会文化がある。しかし、日本の活力は、下克上にある。次世代の個人、企業が下克上のための同世代の横結合を強めないと、日本の経済社会は破綻する。下克上と日本の経済成長は分かちがたく繋がっている。 史上最低の日本の高齢者は、悲しいことに、いかなる意味でも「上」位ではない。公共交通でも、席は譲られることはない。だから、下克上のバネも、それにつれて弱くなる。消えた青年将校というわけだ。だから、孫娘である女子高生、つまり、JK様のご機嫌をとりながら社会が動いている。これは中国でも同じ傾向に進んでいる。「女子」の消費受容が、中国共産党中央の経済予測値を上回り、中国経済を新たな成長軌道に乗せている。基本、日本の女子高生JK様が、北東アジア最強の経済起爆力を備えていたことだ。だから、JK様に逃げられるような富山県には、未来がとても暗いとえる。昔はJA,今はJKだ。

 


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膨張する8千万人:縮小する8千万人

2018年04月28日 | Weblog

板門店での南北朝鮮の再統一にむけた民族悲願の第一頁となるか、第3回目の悲劇となるか、これは前者であると解釈したい。すると、50年、100年かけてハングル語を使う人々が、南北と海外あわせ8千万が一丸となる国民経済組織が構築されると考えておくとよい。ただ言えることは、ハングルは漢語を母体とする言語、漢語にまきこまれないように表音文字に統合したため、民意が現れる自然言語の数量解析は容易なので、過去の統一への民族悲願と、文化的な融合は可能である。反対に、1億2千万人が8千万人に縮小する日本語を使う人々の国民経済組織は、当然に、ハングルを使う人と「競合」か「共存」の中間を選ばなくてはならない。反日で来れば、「競合」対決となる。そして、民族統合には、反日愛国主義必ず利用してくる。だからといって、第3回目の悲劇を期待すると、ますます反日の根が深くなる。ここは、単純な対応は一番に危険である。また、介入も、傍観も危険であろう。一番に効果的な対応は、日本の金融通貨政策におけるIMFの重要性に目覚めるならば、世界銀行を媒介とする交易が大事である。素人の軍事談義が一番に危険で、戦前の国民的軍国主義ゲームと、それに対抗する「憲法第9条抱き着き」型の平和主義も危険である。まして、危険なのは、在日の韓国、朝鮮の個人的なルートが一番に危険である。それが、日本の政治に謀略を呼び込む。日本の社会の低層が膨張する8千万人に刈り取られるのか、それとも、アメリカを軸とするIMF体制に深い影響力を保ちうるのか、ここは知恵比べである。とはいえ、歴史はそうはならない。在日の方々が、日本のなかで南北統合を進めると、日本政治はさらに複雑な謀略から自立できない。その意味では、民族差別の極右にも国民統合のバネガ働いてくる。この両極を避けるには、日本国の政府・自治体には、高度な統治技術が求められる。だが、それが一番に無理かも知れない。


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4月27日(金)のつぶやき

2018年04月28日 | Weblog

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