日本プロ野球界屈指の豪速球を誇った尾崎行雄氏は生前、試合毎に速い球を投げ続けられなければ本当の速球投手とは言えない旨の発言を度々していました。稀に出る物凄い球速よりも常に投げ続ける速い球の方が価値があると言いたかったのかと思います。常時投げられる速い球と最速の数字、この二つをクリアしていたのが現役時代のジョエルズマヤ投手と言えるかと思います。ズマヤ投手は2006年のデビュー以来、結果的に最後のシーズンとなった2010年まで、アメリカンリーグのファストボールの平均球速と100マイル以上の投球回数双方のトップの座を維持して来ていました。リリーフという役目の為、スタミナ配分を考えず思い切って速い球で勝負出来るので、平均球速が高くなる事は十分分かり易いのですが、一つのシーズンをまともに故障なしで過ごした経験の少ないズマヤ投手にとって、その少ない投球回数での100マイル以上の投球回数の多さは評価していいかと思います。もう少し書きたい事があるので、予定を変えて次回を最後にしたいと思います。
ジョエルズマヤ投手に関するブログは残念ながら今回と次回で最後になろうかと思います。その理由としては、今年の2月、度重なり過ぎる肘と肩の故障からの復帰を計ったものの回復出来ず、ジョエルズマヤ投手は引退を表明したからです。以前にもブログで書きましたが、2006年ズマヤ投手の快速球を初めて見た時の衝撃は今でも忘れられないものです。日米含めて数多くの快速球投手を見て来ましたが、少なくとも右腕投手ではNO.1の球速を誇っていたのがこのズマヤ投手と確信しています。日本プロ野球の右腕投手では米田哲也、尾崎行雄、森安敏明、山口高志等の素晴らしい速さの投球を見て来ており、メジャーの試合を見れる環境になってからもケリーウッドやバートロコロン投手等の物凄く速い投球を見ましたが、その彼らの球速をも上回っていたのが、このズマヤ投手と言っていいかと思います。ズマヤ投手の役割は主にセットアッパーという事もあり、ファストボール主体に投げられる状況にある訳ですが、彼ほど安定した球速のファストボールを投じられる投手を他には知りません。
昨年開幕前の清原和博氏の最もスイングの速い打者という発言以来注目はしていましたが、リアルタイムでは凄い打球はなかなか見れなかった柳田悠岐選手です。一昨日、ヤフオクドームで行われた福岡ソフトバンクホークス対中日ドラゴンズのオープン戦のテレビ観戦で、ドラゴンズの右腕山内壮馬投手の球が遅いなと思いながらもう一つ熱中し切れずに観戦していた処、ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手の物凄すぎる飛距離の本塁打が飛び出し、急に目が覚めた思いになりました。オープン戦であり真ん中付近に甘く入った球速の乏しいカット気味の球だったとは言え、ライトスタンド最上段への本塁打、その打球に度肝を抜かされた思いでした。掲載の写真はその時のスイングですが、豪快で物凄く速いスイングスピードで思い切り振り切っており、日本人選手でこれだけの豪快な打球の本塁打を打てる打者が存在している事に本当に驚きました。前記球速の乏しいカット気味の球だったとは言えと書きましたが、少し矛盾する様ですが、その遅い球をあれだけの飛距離を飛ばせるパワーは少なくとも他の日本人打者にはないかと思います。やや無駄な動きがあり粗さも見られるスイングですが、史上屈指のパワーを誇る柳田悠岐選手の打撃、さらに注目して見て行きたく思います。
93、47、58、41と続く数字は2001年から2004年までのバリーボンズ選手のシーズン毎の三振数です。最多本塁打73本の記録をマークした年こそ5.1打数に1回の割合で三振を喫していますが、翌年からの3年間は極端に三振数は減っています。通常長打力に優れそれを期待される打者はその代償として三振の割合は多いものですが、ボンズ選手の場合打数が少ない為三振数が少ない訳ではなく、3年間の平均被三振率は12.5%と8.0打数に1回の三振の割合と、長距離打者のみならず一般の打者としても少ない数値を示しています。特に最も多く敬遠四球を受けた2004年には、本塁打数より三振数の方が少ない数字になっています。この記録はシーズン30本塁打以上の打者では1956年以来の記録となっています。ボンズ選手に関して、今の処数字だけで追いかけていますが、物凄く高い打率、恐るべき長打力に加え、三振の少ない打撃スタイル、これ以上相手投手に恐怖を与える打者はなかったかと思い、異常なまでに多い四球数及び敬遠四球数も十分納得出来るものであります。
2004年のバリーボンズ選手が異常な程勝負されない様になったか、その経緯と言うか背景に触れたく思います。多分今後も破られないであろう記録のシーズン73本塁打をマークした2001年から2004年までの主要部門の成績を書き出して見ます。先ずは打率ですが、0.328、0.370、0.341、0.362であり本塁打数は73、46、45、45、打点数は137、110、90、101で四球数は177、198、148、232、敬遠四球数は35、68、61、120という数字になっています。最低の打率でもおよそ3打数1安打に近い0.328、4年間の合計で8打数に1本以上の平均本塁打率は12.7%、平均109.5打点と恐るべき数字となっています。本塁打や打率の数字と比較して打点数が少ないと感じるかと思いますが、前述した様に四球数や敬遠四球数が異常に多過ぎる為、打点数がもう一つ伸びていない結果になっているのは止むを得ないかと思います。ボンズ選手が73本塁打を記録したシーズンは、それまで50本塁打を記録したシーズンがない為、彼の打撃、特に長打力への警戒心がその時点では多くの球団に於いて多少の疑問符があり、それが意外な程少ない敬遠四球の数に繋がったのではないかと推測します。
昨年のドラフト1位で広島東洋カープに入団した右腕投手です。その時の選手紹介で、初めて大瀬良大地投手の投球を見て結構威力のある球を投げているという印象を強く受けました。今日、阪神タイガースとのオープン戦で先発登板した大瀬良大地投手の投球をリアルタイムでは初めて見たのですが、紹介ビデオを見た時と大きな印象の差はありませんでした。公称187cm、93kgと非常に大柄な体躯から繰り出されるストレートは150kmに迫る球もあり又何種類かある変化球もそれなりの威力はあったかと思います。この投手を見て先ず思ったのは、昨年新人王こそ獲得出来なかったものの大活躍した菅野智之投手とタイプとして似通っており、大崩れをしない安定感のある投手という事でした。違う厳しい言い方をすれば、打者が手も足も出ない程威力のあるストレートも変化球もないとも言えるかと思います。大学時代には最速153kmをマークしたという事ですが、決して球の速さで押していくタイプではなく、変化球とのコンビネーションで巧く抑えていく投手かと思います。背番号14を着けていますが、同じ背番号のチームの先輩、外木場義郎や津田恒美の様なストレート中心の投球とは異なる投球をシーズンでも見せてくれるかと思います。打者を物凄く圧倒する威力こそないものの安定した力を見せてくれそうであり、10勝前後、防御率3点前後は可能かと予想します。
2004年のバリーボンズ選手の規定打席数には十分達しながらも373打数と言う数字、もしこの様なシーズンが続くとしたら、メジャーで通算打率を論じる場合の規定となる5000打数に達するには14年目のシーズン半ばになってしまいます。以前にもこのブログで書きましたが、バリーボンズの様な破格の実力の持ち主が出現した場合、通算打率を規定打数だけで区切っていいのかという疑問が生じるかと思います。日本野球の記録と比較して見ます。シーズンの四球数の最多は1974年の王貞治選手の158、敬遠四球の最多も同じ年の王貞治選手で45になります。その年の打席数は553なので打席数に対しての四球数の割合は28.6%であり、敬遠四球の割合は8.1%でありバリーボンズ選手の敬遠四球の割合19.4%とはかなりの差があります。その年打率0.332、49本塁打、107打点で三冠王に輝いた王貞治選手より、勝負してもらえなかったのがボンズ選手と言っていいかと思います。後ろを打つ打者の力とかチームの状況もあり一概には言えませんが、史上最も恐れられた打者はこの年のバリーボンズ選手と言っても過言ではないかと思います。
恐らく史上最強の打者、バリーボンズ選手が如何に凄すぎる打者だったかに触れて行きたく思います。先ずはシーズン最多の73本塁打を放った2001年の数字ではなく2004年度のボンズ選手の成績を書き出して見ます。147試合、373打数135安打、303塁打、45本塁打、101打点、232四球、120敬遠四球、41三振、打率0.362です。ここで最初に注目して欲しいのが敬遠四球の多さです。メジャーではIBB(Intentional Bases on Balls)と称され故意に投じられた四球という事になります。四球数232の内120が敬遠四球と、実に半分以上の51.7%を敬遠四球が占めています。この年のボンズ選手は死球や犠飛の数字も併せて617回打席に立っていますが、打数は373という数字であり打席数に対して60.5%しかありません。シーズン162試合制のメジャーの規定打席数は502ですが、選手名を知らされずにこの年の373打数という数字のみを見た場合、ある程度野球を知っている人なら規定打席数に達していないだろうと予想するかと思います。つまり異常な程勝負を避けられたのがこの年のボンズ選手という事です。
昨年メジャーデビュー、レッドソックスとのワールドシリーズで好投したセントルイスカーディナルスの今年23歳になる右腕投手です。昨年はリリーフでしたが、今年のスプリングトレーニングでは先発として試されている様です。ドミニカ出身、小柄な体型、投球フォームや名前等からペドロマルティネス2世として期待されている投手です。昨年終盤、100マイル以上を投げる若手投手として評判になり、期待してその登板を見たのですが、確かにその球は、100マイル以上を15回記録、フォーシームの最速は101.3マイル、平均は97.6マイル、ツーシームでも最速は98.6マイル、平均は94.5マイルを計時する等、非常に速く将来が楽しみな投手です。今朝、松坂大輔投手との投げ合いを観戦しましたが、ファストボールの最速は97マイルを計測し、相手投手が最早軟投派と言っていいかも知れない松坂大輔投手とあってより速さを感じたものです。但しペドロマルティネス2世と言う期待、稀代の大投手の2世がそんなに簡単に出現する訳はないのですが、残念ながら過大評価と確信します。その理由としては肘の撓りが本家と違って乏しく、その為投じられる球では球速こそ上回っても、伸びやキレがかなり劣るものだからです。とは言えメジャー屈指の球速、リリーフ投手としての適性を感じ、成長して欲しく思います。
松岡弘投手の投球フォームは、右腕の後方への引き方が少なく、多くの速球投手と異なり非常にコンパクトな感じでした。投じられる球の速さは勿論の事、伸びやキレにも優れており本当に素晴らしいものでした。但し球質は決して重いタイプではなく、又綺麗な球筋、所謂回転のいい球であるのでズドンと重い球が食い込む豪速球というより快速球タイプの投手だったと言えると思います。従って一旦打者のバットに当たったボールは伸びて行き被本塁打は多かったと思います。変化球に関してはカーブ、フォークボール等それなりの威力はありましたが、絶対的に威力のある程のものではありませんでした。制球に関しては、決して悪くはないのですが、多くの速球投手の常として、ピンポイントを狙える程の精密さとは遠いものであり、江夏豊投手とは比較になるものではありませんでした。年齢により球速が衰えてからも、制球や新しい変化球に活路を見いだせず晩年は苦しい投球になり、辛うじて2000奪三振は達成したものの、200勝には届かず引退を迎える事になりました。それにしても全盛期の速球中心の投球、見ていて非常に楽しい投手でした。