昭和38年28勝を挙げたものの、日本シリーズ最終戦で予想外の大量失点のKO負けを喰らい、翌39年肩の故障の為殆ど登板出来ず、連続20勝以上の記録が8年連続でストップした大投手稲尾和久がカムバックしたのがこの昭和40年でした。この年稲尾和久投手は38試合に登板し216イニングを投げ7、13勝6敗、防御率2.38という数字を残しています。現在の投手の数字を基準として考えると、一見しっかりカムバックした様に見えるかも知れませんが、全盛期の稲尾和久投手の実力を知っている者からすれば、最早もう昔の稲尾和久投手とは似ても似つかない投手としか思えない投手に変貌していました。昭和30年代のパリーグを代表したもう一人の杉浦忠投手と共に、異常な程の酷使が如何に投手寿命に大きな影響を与えたかを考えさせてくれたシーズンだったかと思います。この昭和40年読売ジャイアンツに移籍した金田正一投手にも明らかに力の衰えが見られ、翌41年の鈴木啓示投手や、その翌年の江夏豊投手の登場もあり、新旧投手の世代交代につながる年度ではなかったかと思います。