3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

皆川睦雄(睦男)(2)

2011-01-21 22:12:47 | Weblog
入団3年目、昭和31年から42年までの皆川睦雄に触れたく思います。この12年間ですが、彼はシーズン最低で158.1イニング、最高で255.2イニングを投げ、39年の7勝を除き全ての年で二桁勝利を挙げ、この12年間で170勝と実に安定した成績を残しました。しかしその内、5年間は規定投球回数に達していません。その当時の規定投球回数は、現在と違い試合数×1.5,
ないしは1.4という年が多かったものです。彼が初勝利を挙げた31年は230イニング以上が規定投球回数という事で、190.2イニングを投げていても、規定回数には遠く及ばない数字でした。因みにその年デビューの高卒剛速球右腕米田哲也投手も、204イニングを投げながらも規定回数には、矢張り達していません。当時と現在とは、投手起用法が全く違っており、今の投手より遥かに多く投げさせられるのが、その時期のローテーションを担う投手でした。つまり皆川睦雄は、その当時の投手としては、決して酷使される事なく、主に二番手投手として、着実に勝ち星を積み上げたとも言えるかと思います。それにしても、その期間一度たりとも防御率が3点台に落ちる事が無く、繰り返し言いますが、安定感に欠けては他の追随を許さないものだったと思います。

皆川睦雄(睦男)(1)

2011-01-20 18:11:06 | Weblog
昭和29年から46年まで、南海ホークス一筋に大活躍した右腕投手です。先日野球殿堂入りしましたが、選出された事に何の異論もなく、寧ろプレイヤー表彰されるべき投手だったと思います。彼は当初オーバースローで投げており、昭和32年にアンダースローに転向したらしいが、私が初めて見た時点、多分33,34年頃だと思いますが、間違いなくアンダースローの投球でした。公称179cm,74kgよりも細身に感じられる体から投じられる球は、球速こそ決して速くはないものの、素晴らしい制球力を誇り、シンカー、スライダーを始めとして、変化球も豊富なものでした。投球フォームは決して豪快さはないものの、しっかりとした腰の回転、ブレの殆どない上体、更に一流のアンダースロー投手の多くに見られる様な、投球の際の沈み込みも深く、力強さの点を除けば、欠点の付けようがない気もしました。この投球フォームの為、彼の成績はあの31勝を挙げ、大活躍した昭和43年を除き、殆どの年はチームの顔の投手ではなかったものの、毎年物凄く安定した成績を残していました。この安定感こそ彼の最大の特長だったと思います。

野球殿堂(3)

2011-01-19 02:16:14 | Weblog
メジャーの野球殿堂では、永久追放処分を受けた、ジョージャクソンとピートローズに対しては選考から外している様です。又十分な実績がありながらも、マークマグワイアやバリーボンズ、ラファエルパルメイロ等の殿堂入りは、薬物疑惑の為、かなり難しいと予想されています。確かにブラックソックス事件で八百長行為の実行者ジョージャクソンと、監督時代に野球賭博に関わったピートローズは、その行為から止むを得ないと言えるでしょう。又禁止されている薬物使用の疑惑がかなり濃い選手を、選考の対象から外すのも、その証明をどうするか、多少の疑問はあるものの仕方ない気もします。日本ではあの超一流左腕、江夏豊投手は選ばれていません。彼の場合は、覚せい剤所持で実刑判決を受けている為、その素晴らしい実績にも関わらず、殿堂入りには相応しくないと判断されたのでしょう。流石に逮捕歴のある人物には、殿堂入りは無理なのでしょう。しかし以上挙げた様な理由以外では、最も客観的に判断出来得る実績最重要視で判断して貰いたいと切に思うものです。

野球殿堂(2)

2011-01-18 15:29:21 | Weblog
野球殿堂は野球界で顕著な活躍をした選手、監督やコーチ、また野球の発展に大きく貢献した人物に対し、その功績を称えるために創設されたとなっています。落合博満に投票しなかった人達は、彼の何が不足だと思っているのでしょうか?史上唯一の三冠王三度、通算打率0.311,510本塁打、1564打点、首位打者、本塁打王、打点王、各5回獲得の素晴らしすぎる実績のどこが殿堂入りに足りないのでしょうか?全く理解出来ないものです。現在或いは今後も、彼以上の実績を日本プロ野球で残せる人物が現れるかどうかも解らないくらいのレベルの実績だと思います。色々と流れている情報では、記者との折り合いが悪く、特に東海地区の票が、その為少ないとか聞きますが、もしそうだとしたら悲しい限りです。殿堂入り選考はあくまでも規定に基きされるべきものと考えます。少なくとも抽象的な要素の多い、その人物の記者への対応や、性格等を判断基準に入れるべきではないと思います。どうしても投票による賞は、こういう疑問が抜け切らず、張本勲氏ではないが、不可解な記者が多すぎると思わざるを得ません。

野球殿堂(1)

2011-01-17 10:20:21 | Weblog
今回やっと落合博満氏が野球殿堂入りしました。昨年、一昨年と1票差で逃していたのですが、今回は全投票者329人の内、277票獲得で選ばれています。昨日のサンデーモーニングで、張本勲氏が今まで選出されていなかった事自体がおかしい、投票する人に不可解な人が多過ぎる旨の発言をしていましたが、正にその通りであり、投票する人物の資質を疑わざるを得ないものです。もっと言えば、今回彼に投票しなかった記者が52人もいた事に、驚きすら感じます。野球取材歴15年以上の記者が、7人まで連記出来る(当然7人以下でも可)という投票形式で、75%以上の票を獲得で殿堂入りという事なのですが、昨年、一昨年より減ったとは言え、何故この52人は彼に投票しなかったのでしょうか?もし1人のみ選出という形式なら、資格期限の切れる人物を敢えて選んだというのなら、百歩譲ってまだ理解出来なくもないのですが、落合博満はその7人までに入らないという評価なのでしょうか?どんなに考えても納得出来ないのです。

郭泰源(3)

2011-01-16 14:52:36 | Weblog
郭泰源の投球は、多くの速球投手に見られる様な、変に力が入り過ぎていたり、力みなどなく、本当に華麗でスムースなものでした。このフォームなら制球力が素晴らしいのも、十分に頷けるものでした。変化球の種類も多く、所謂力任せに抑えようとするのではなく、押す所は押し、引く所は引くという感じでした。球速と技巧を持ち併せていたのが、全盛時の彼だったと思います。多少時代は前後していても、当時西武ライオンズには歴代屈指の好投手が揃っていました。豪快な速球派渡辺久信、球の切れ、凄味抜群の渡辺智男、切れとカーブが武器の工藤公康等、素晴らしい投手達でしたが、全盛期での総合力に関しては、矢張り郭泰源の力量が上回っていたと思います。彼は1995年の終盤に手首を痛めたのが原因なのか、その翌年全く勝てず、更に最終年は引退登板としての一人の打者との対決で、現役生活を終えました。結果的に物凄く寂しい形での引退になりましたが、最後の年など、実質的に全く登板がなかった為、本当にその時点での彼の力量がどの位だったのか、一度見たかったものでした。

郭泰源(2)

2011-01-15 20:55:02 | Weblog
郭泰源は素晴らしい快速球の他に、スライダー、シュートも大きな武器となっており、更にカーブ、フォークボールもあったと思います。しかし何といっても威力抜群なのは140kmを超すスライダーだったと思います。当時かその少し後の投手で、140kmを超す変化球を武器としていたのは、彼と伊良部秀輝のフォークボール位だったと思います。郭泰源のスライダーは、決して大きな曲りではなく、いいスライダーの特長である、キレ味が物凄く鋭く、打者の目線から消え去る感じでした。鋭さ、球速共史上屈指のものでした。しかしこれ程の素晴らしい球を持ちながら、彼の奪三振率は意外な程に、低いものでした。肩痛の影響で主にりりーフを務め、108.1イニングで105個の三振を奪った入団2年目を除き、球速の割に、異常に低い様な気さえします。通算奪三振率は5.72と非常に平凡なものです。彼の投球スタイルを検証してみると、敢えて三振を狙いに行ってない様な気もします。彼の場合入団時から、肘や肩等に不安を抱えていた事、更に当時は、今の投手よりも完投を要求される事もあり、より投球数を少なくする様にしていたと思います。

郭泰源(1)

2011-01-14 17:00:59 | Weblog
西武ライオンズ一筋に大活躍した快速球を誇る右腕投手です。私が彼の投球を初めて見たのは、1984年オリンピック予選のアメリカ戦で、158kmの快速球を投じた際の映像であり、リアルタイムで見た訳ではありません。スピードガン導入後での最速表示の数字に、多少惑わされた感があったかも知れませんが、紛れもなく本当に速い球を投げていました。私が今までに見て来た投手の内でも、間違いなく屈指の速さを誇る投手と確信しています。翌年西武ライオンズに入団しますが、当時の監督、あの辛口の広岡達郎がケチをつけず、絶賛していた事を良く覚えています。投球フォームは一言で言えば、華麗に尽きるかと思います。公称180cm,72kgの細身の体型から、抜群のバネを効かし、脚の抱え込みも十分に、タメも素晴らしく、スリークォーターから投じていました。物凄く撓る肘を利して放たれる球の速さもさる事ながら、伸び,切れ共に物凄いものでした。必ずしも欠点とは言い切れないでしょうが、その球質の軽さのみが多少気になる位のレベルでした。

永射保

2011-01-13 22:26:35 | Weblog
昭和47年から平成2年まで、広島カープ、太平洋、クラウン、西武ライオンズ、大洋ホエールズ、ダイエーホークスに在籍した左腕投手です。途中でアンダースローに変更したという事ですが、私には左のアンダースローという、非常に稀な存在の彼しか記憶にありません。先発、ワンポイントリリーフ、ロングリリーフと多くの役目をこなして来ましたが、一番強烈なイメージとして残っているのは、矢張りワンポイントからショートリリーフでの投球でした。公称172cm,74kgと小柄でしたが、相手打者を恐れずに強気に攻めていた記憶があります。アンダースローでの投球でしたが、どうしても左投手の多くに見られるぎこちなさがあり、右の華麗なアンダースローに見られる様な、スムースなタメの作り方や、腰の捻り、肘の撓り等はあまり見かけられませんでした。従って球速も速くはなく、もの凄く、切れや伸びがある球という事でもありませんでした。左の変則投法という自身の長所を物凄く活かした投手として、彼の投球スタイルは未だに脳裏から離れない位、印象に残っている投手です。歴代一位の通算打率を誇るレロンリー選手は、本当に彼が苦手であり、インタビューでも、最大の苦手として彼の名前をしばしば挙げていた事も忘れられない思い出です。



606試合    44勝37敗    防御率   4.11     21セーブ       654奪三振

佐々木信也(3)

2011-01-12 22:30:32 | Weblog
佐々木信也の1年目は、新人王こそ逃しましたが、全イニング出場し、前回記した成績の通り、文句のつけようがない程、素晴らしいものでした。攻守走揃った一番打者として、十分にチームに貢献した様です。私が彼の年度別成績、通算成績を知ったのは、かなり後で、多分昭和60年を越していたかと思います。彼は昭和51年、フジテレビ<プロ野球ニュース>のキャスターとして、多少なりとも野球に興味のある人には、知名度抜群の存在になっていったと記憶しています。彼はその番組で解説者ではなく、司会者という役目を務めていました。当時その番組は、取り扱う時間の差こそあれ、12球団全てのチームの試合を紹介するという、非常に公平なスタンスをとっていました。そういった意味で、某球団贔屓のテレビや新聞と違い、出来得る限り見ていたものです。しかしここでも、僅か4年間で現役を辞めたとは言え、少なくとも1年目には大活躍した元選手が、キャスターに徹し、他の元プロ野球選手が解説を務める事に対して、プライドなり抵抗がなかったのだろうかと、彼を見る度に思っていました。