3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

メジャーリーガー 日本人投手

2009-07-10 22:49:25 | Weblog
現役メジャーリーガー、日本人投手に就いて、特に気になる所があります。松坂大輔に関して、常にしつこい程書いてきていますが、他の投手も含めて、メジャーで打者を圧倒する様な投球をするには、明らかに球速不足かと思います。昨シーズン、黒田博樹のストレート系の平均球速は92.0マイル(148.0km),松坂大輔は91.9マイル(147.9km)と、二人共規定投球回数以上の投手の内で、ベスト10には入っていません。又投球内容も、その球速の為か、どう見ても球威で打者を牛耳る本格派とは、かけ離れています。ストレートを見せ球にして、変化球で打ち取る内容かと思います。又今シーズンからメジャーに挑戦している川上憲伸の投球も同タイプかと思われます。上原浩冶に至っては、彼ら3人よりかなり遅いレベルの球速です。如何に投球術、制球、球の切れ、伸びがあったとしても、投手にとって球速はかなり重要な武器だと思います。メジャーで打者を支配する様な投球をするには、常に95マイル(152.9km)以上の速球、時には97,98マイル(156.0,157.7km)を計時する位の速さは必須かと思います。従って現在の日本人投手の力では、チームのエースには成る事は不可能であり、勝ち負けに差のない3,4番手のレベルが限界なのでしょうか?将来是非メジャーで、速球で勝負出来る日本人投手を見たく思います。

堀田明

2009-07-09 20:36:06 | Weblog
実働は1964年から1966年、読売ジャイアンツに在籍した右投右打の外野手です。かなり読売ファンだった人でも、多分彼の事は知らないでしょう。私の記憶でも、いつどの試合で彼を見たのか、正直言って記憶は曖昧です。ひょとしたらオープン戦かも知れませんが、私が彼の姿を見たのは生涯一度限りでした。しかし印象はもの凄く強烈であり、彼にはもの凄く酷な言い方になるのでしょうが、打席に立った公称182cm,71kgの彼を見て、こんなに下半身のひ弱なプロ野球選手が存在するのか、本当に疑問に思ったものです。彼を初めて見てから、既に40年以上経ているのですが、その後この様な衝撃を受けた事は現在まで、幸いにして有りませんでした。たった1回見ただけですが、その異常な程の下半身の弱さが、妙に印象に残っている選手でした。現在はプロゴルファーとして活躍されている様ですが、多分現役引退後、下半身をかなり鍛えた事と推測せざるを得ません。


通算成績   26試合   8安打   0.211 本塁打、打点0

杉浦亨(2)

2009-07-08 20:35:50 | Weblog
本当に類稀な打撃の素質を持つ杉浦亨でしたが、実際にレギュラーとして定着するのは1978年と、意外に遅いものでした。大杉勝男という存在が一塁手としてある為、杉浦亨はこの年から外野手として起用され0.291,17本塁打,67打点という数字を挙げ、初めて規定打席に達します。その年から数年間は安定した成績を残し、ヤクルトにとって欠かせない選手となりました。バットの先をやや投手寄りに向ける打撃フォームは、時折タイミングを崩されて凡打に終わるものの、バットの芯に当たった打球は素晴らしく、ライナーで外野席に突き刺さる本塁打は、本当に凄いものでした。しかしその打法の為、投球をバットに乗せて運ぶ事は出来ず、恵まれたパワーの割には30本塁打以上が1回という結果に終わっています。しかし3割以上3回、20本塁打以上5回という数字は、彼の打撃の非凡さを物語っていると言えるのでしょう。守備に関しては一塁、外野共に平均かそのやや下のレベルかと思います。特に外野では守備勘、肩は決して優れてはいなかったでしょう。しかしやや太めの体型にも関わらず、若い頃は結構盗塁も決める脚力も持っていました。


通算成績   1782試合   1434安打    0.284   224本塁打    753打点

杉浦亨(1)

2009-07-07 20:44:11 | Weblog
実働は1972年から1993年まで、ヤクルトアトムズ、スワローズ一筋に活躍した左投左打の主に一塁及び外野を守った選手です。彼の打撃の最大の特色は、ダウンスイングからのもの凄いバットスピードに尽きるかと思います。本当に投手の投球を思いっきり引き付け、全力で叩きつけるという感じでした。当然の如く打球は正しく弾丸ライナーで、その打球の速さは歴代の強打者の内でも、間違いなくトップクラスのレベルだったでしょう。1976年ヤクルトは、前年不振の大杉勝男に替え、彼を一塁のレギュラーとして考えたのも当然かも知れません。大杉勝男としても、彼の打撃の素晴らしさが解らない訳はないでしょう。その危機感の為か、大杉勝男は猛練習により輝きを取り戻す訳ですが、それ程杉浦亨の打撃には、将来性豊かなものが全ての人に感じられたのでしょう。この年、未だ彼の打撃は開花せず、表現は悪いですが、強打者大杉勝男を蘇らせた噛ませ犬としての役割は十分果たした様な気がします。

松井秀喜(17)

2009-07-06 20:47:38 | Weblog
最近は非常に好調な松井秀喜の現在の数字を紹介します。220打数58安打、13本塁打0.264です。現時点での本塁打率は16.9打数に1回と、彼自身のベストのシーズン584打数での31本塁打、18.8打数に1回の割合を凌いでいます。丁度シーズンの折り返し地点なので今後、この数字がどう変化していくかは分かりませんが、現時点では非常にいい傾向ではないかと思います。彼の心中には多分膝への不安が未だ消えていないのでしょう?その為か、走らないで済む長打をより狙う打撃を心がけている気がします。これこそ彼の本来の打撃かと思います。彼にはメジャーのパワーヒッターにも匹敵する程の長打力を、十分に有していると思います。是非このままの打撃を続けていって、日本人にもパワーヒッターが存在する事を立証して欲しいものです。彼には酷な言い方かもしれませんが、守れなく走れないのだから、唯一の長所を活かし、打率が上がらなくてもいいから、是非自身2度目の30本塁打以上を目指して欲しいと思います。多分今後も守備に就く事はなく、他の主力選手を休ませる為、出場試合数は限られるでしょうが、是非とも0.270.30本塁打、90打点を確保して欲しいものです。

最後の300勝投手?(5)

2009-07-05 16:32:24 | Weblog
ボストンレッドソックスにティムウェィクフィールドという、投球の大半がナックルボールであり、時折投じるストレートが120km位の右腕投手がいます。今年の8月で43歳になりますが、今シーズン既に10勝、通算でも188勝を挙げ、あまり衰えを感じさせない活躍をしています。素晴らしい成績を残した投手が辿る引退への道の多くは、年齢に依る球速の衰えの為、かっての投球が通じなくなり、コントロールや円熟した投球術でカバーするも、それにも限界があり、引退を余儀なくされるものです。単純に言えば球速の衰えという事に尽きるかと思います。つまり球威で勝負する投手には、必ずその球威の落ちる時が来る訳です。ではティムウェィクフィールドの様な投手はどうなのでしょうか?最初から球速はない訳であり、更に体力を必要とするフォームとも思えない為、急速な衰えはあまり考えられないでしょう。残念ながら一度もリアルタイムでは見た事はありませんが、フィルニークロという、同じくナックルボールで有名な投手は48歳まで投げ通算318勝を挙げています。ナックボールの様な特殊な変化球を主な武器とし、若い年齢でデビューを果たした投手辺りが、意外と次の300勝投手に最も近い可能性があるかも知れません。

大杉勝男(7)

2009-07-03 21:42:45 | Weblog
1973年から1975年は、大杉勝男にとって非常につらい年だったでしょう。年齢的には28歳から30歳であり最も充実する時のはずなのですが、年々打撃成績は落としていきました。特にヤクルト入団1年目は、打率0.237,13本塁打、54打点と、以前の彼の数字と比較すると、本塁打、打点は約半分、打率は7,8分落ちるという全く信じられない成績に終わりました。この当時の彼の打撃はバットの先がかなり投手寄りに傾き、その為かスイングの始動が遅く、度々詰まる場面を見せられた記憶があります。類稀なパワーを活かす事も出来ず、もはや強打者、豪打者大杉勝男を見る事なく、このまま衰退の一路を辿るのではないかとまで、心配する程の不振が続きました。翌1976年、当時のヤクルトの首脳陣の構想としては、前年の数字からレギュラーではなく、代打要員でした。打撃センスに素晴らしく恵まれた左の強打者、杉浦亨の台頭もありこの待遇はやむを得ない感すらありました。しかしここから、大杉勝男の逆襲といっていいのかどうか解りませんが、パリーグ時代とはタイプの違う大杉勝男の誕生となります。

大杉勝男(6)

2009-07-02 21:54:15 | Weblog
意外と知られていないと思いますが、大杉勝男の背番号は入団時から1972年まで51番でした。1973年に3番に変え、確かその年成績不振の為、気分一新を狙い、翌1974年には元の51番に戻しています。1975年ヤクルトに移籍後は引退迄、背番号8でした。私のイメージとしてはヤクルト時代の8番ももの凄く印象に強いものでしたが、大杉勝男,51番が最も記憶に残っています。逆に1973年の背番号3は、何故強打者としてありふれた番号に敢えて変更したのか、もう一つ解らないものでした。ほぼ同じ時代のパリーグの強打者、近鉄の土井正博も入団時は51番であり、後に3番に変更していますが、出来れば入団の時の背番号のままの方がより馴染みを持てる様な気がします。今でこそ天才打者イチローの背番号として有名な51番ですが、少なくとも彼の出現より約四半世紀前、共に400本塁打、2000本安打以上を記録した強打者二人が付けていた事は忘れられません。

大杉勝男(5)

2009-07-01 21:53:27 | Weblog
1970年のOH砲活躍に就いて、一つ思い出した事があります。あるスポーツ紙が前半戦を終了した時点で、打撃上位の選手の打率を予想していました。記憶に誤りがなければ、当時打率一位の張本勲を0.367,大杉勝男を0.351と予想していましたが、それぞれには外れていましたが、二人合わせると、大きくは外れてはいない様な気がしました。大杉勝男は翌1971年、41本塁打、104打点,0.315と前年よりは成績を落としましたが、主力打者として十分な成績を残しました。翌1972年も打率こそ3割を僅かに切りましたが、3年連続40本塁打100打点以上を記録しパリーグ屈指の強打者としての位置を不動のものにしました。当時の彼の本塁打は、投手の投球をバットに乗せて運ぶ感じの打球が多く、非常に巧くすくい上げている打球が多いものでした。又ステップ幅が狭く、懐が深い為、投球を十分に引き付けてのライナー性の打球も、広角に放っていました。しかしチームの親会社が代わり、チーム名も変更になった頃から、彼の打撃は少しおかしくなっていきます。