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日米を問わず名選手を紹介。

西川克弘

2007-12-20 22:38:51 | Weblog
関西大学から、色々と揉め事がありながら、広島カープに入団した右腕投手です。後に南海ホークスに移籍し、現役を終えています。大学の先輩である、豪速球投手村山実に憧れていたのでしょうか?彼同様、全身を使った豪快な投球フォームのオーバースローから、速いストレートを武器にしていました。しかし先輩の村山実程の、球の速さ、伸び、切れ、重さには程遠く、又制球、決め球にも欠ける為、実働10年間のプロ生活では、殆ど活躍する事は出来ませんでした。唯一、入団1年目での完封試合が、印象に残っている位です。それにしても、彼の全身のバネを十分に利用した、投球フォームは、未だに忘れられないものです。強いて言えば、比較的近いのは、同じく広島カープの池谷公二郎かと思います。


通算成績   192試合   6勝14敗   防御率  4.31   214奪三振

八木沢荘六

2007-12-19 20:34:20 | Weblog
東京ーロッテオリオンズ一筋に活躍した右腕投手です。公称172cmの小柄な体からの変化球主体の、打たせて取る投球でした。腰の捻りの少ない、いかにも技巧派らしい、おとなしい、スリークォーターからの投球は本当に制球が良かったものです。しかし球威はなく、打者にとっては威圧感は全く感じなかったでしょう。その為か、入団後数年間は、目立った活躍も出来ませんでしたが、昭和48年のシーズン終盤の10月に、驚くべき事に完全試合を達成しました。これにより注目を浴び、球団側も、規定投球回数に達する可能性がある事、更に勝率第一位も可能な事に気付きました。最終的には規定投球回数に達し、7勝1敗で勝率第一位に輝くのですが、これにより当時阪急ブレーブスの米田哲也の15勝3敗の勝率は及ばず、大投手米田哲也にとって、唯一の勝率第一位のチャンスを逃したものです。


通算成績   394試合   71勝66敗   防御率 3.32    567奪三振

小池兼司

2007-12-18 22:42:38 | Weblog
昭和36年から49年まで、南海ホークス一筋に活躍した遊撃手です。公称169cmと小柄ながらも、筋肉質な体型で、かなりパンチ力もありました。主に下位打線を担っていた記憶がありますが、かなりチャンスに強く、意外な所での一撃が印象的でした。打率は低いながらも、山張り打法かと思う位、おもいきりのいいスイングでした。特に入団3年目の22本塁打は、当時このクラスの体格の選手の放った本数としては、異例だったのではないでしょうか?しかし確実性に欠ける打法は一度も0.270を超える事はありませんでした。守備に関しては、かなり堅実であり、守備範囲も広かったものです。又脚も速く、入団当初はかなりの盗塁も記録していました。通算打率を見ると意外に低いのですが、もっともっと打っていた様なイメージが残っている選手です。


通算成績   1536試合   0.226   104本塁打   473打点   113盗塁

黒田博樹の来シーズンを予想

2007-12-17 21:38:51 | Weblog
ロサンゼルスドジャースへの入団が決定した、黒田博樹投手の来期を予想してみます。

10勝13敗   防御率 4.58  153奪三振


安定した投球で、文句なしに広島東洋カープのエース投手ですが、150km前後のストレートは、メジャーでは決して速球派ではなく、松坂大輔同様球速不足が気になります。矢張り相手打者を圧倒するには、常時96マイル(155km)前後の球を投げれなければ無理かと思います。又彼はかなり多彩な変化球を持っていますが、メジャーで決め手となる程のレベルではありません。更に球質が素直なのも気にかかります。従ってかなり苦労するでしょうが、投球術はあるだけに、上記の様な数字を挙げるのも可能かと思います。



城之内邦雄

2007-12-16 19:18:50 | Weblog
昭和37年から45年まで読売ジャイアンッ、その後2年間のブランクを経て、ロッテオリオンズに在籍した右腕投手です。しかしロッテでは全く活躍出来ませんでした。この投手の投球フォームは、多分最も真似出来ないものでしょう?打者に背を向け、スリークォーターよりややサイド気味から投じる、ストレートとシュートを主な武器としていました。腰の回転はサイドスローの割りに、腕はもう少し上から出てくる為、打者には非常に打ちずらい投手だったと思います。球速は上の下位だと思いますが、その変則投法の為、それ以上の脅威だったでしょう。しかしこの投法は腰の切れが悪かったり、故障個所があった場合、威力を失う諸刃の剣の様なもので、彼の場合も44年以降急激に成績を落としていきました。それにしても入団後5年間で101勝という実績の割りには、何故かその後の記事が少ない気がします。


通算成績   359試合   141勝88敗   防御率  2.57   936奪三振

工藤一彦

2007-12-16 00:02:37 | Weblog
実働は昭和53年から平成2年まで、阪神タイガースで活躍した右腕投手です。高校でそれなりに騒がれた割りには、一軍デビューに時間がかかりました。186cmという長身の割りには、投球フォームは非常におとなしく、迫力には著しく欠けていました。スリークォーターから投げていましたが、膝が固いのでしょうか?投げた球に殆ど体重が乗らず、球を置きにいっている感じでした。従って球速はあまりなく、落ちる球を中心とした変化球が武器だったと思います。しかし昭和56年から58年の3年間には規定投球回数に達し、ローテーション投手として頑張りましたが、球威不足もあり、その後徐々に成績をおとしていったものです。残念ながら体格と球威が比例しなかった投手と言わざるを得ないでしょう。


通算成績   308試合   66勝63敗    防御率 4.04    奪三振 623






石戸四六

2007-12-14 21:28:46 | Weblog
国鉄ー産経ーヤクルトと、同一球団一筋に活躍した右腕投手です。公称173cmのややずんぐりした体躯から、切れのあるシュートと重い直球を武器としていました。投球フォームはやや横手投げに近く、右打者には内角を鋭くえぐる球を多用していました。球速は、当時の投手としては平均クラスで、多分140kmは出てなかったと思います。しかしその球速をカバーする制球力と、球の重さがあり、あの大投手金田正一の移籍後、エース的存在に成長し、43年には20勝を挙げています。又その前後の4年間に59勝と、非常に安定した成績でした。しかし45年に急激に成績を落とし、そのまま引退を迎えてしまいました。華やかさとは程遠い投手でしたが、本当に印象に残っており39歳での死去が悔やまれます。


通算成績   301試合   70勝90敗   防御率  3.44   516奪三振

河原明

2007-12-13 21:31:57 | Weblog
昭和43年から50年まで、西鉄ライオンズ、太平洋クラブライオンズ、大洋ホエールズで活躍した右腕投手です。彼の名前を初めて知ったのは、あるスポーツ紙の高校野球の記事でした。それによると超高校級の速球の持ち主で、あの豪速球投手、尾崎行雄にも匹敵すると書かれてありました。普段あまり高校野球の中継を見ないのですが、もの凄く楽しみにしていました。しかし期待は見事に裏切られました。尾崎行雄どころか、あまり速さを感じない投球でした。投球フォームは、長身の割りには、やや横手に近い所より腕が出、比較的変則的でした。そのフォームの為か、ひねくれた球が多く、打者に慣れられる前の入団2,3年目にはそれが巧くいき好成績を挙げたものです。しかし制球難もあり、その後あまり活躍出来ないまま、現役を終えました。


通算成績   280試合   41勝76敗   防御率4.25   597奪三振

福留孝介の来シーズンを予想

2007-12-12 21:27:16 | Weblog
来シーズン、メジャーリーグに活躍の舞台を移す福留孝介の成績を予想します。

打率  0.294   本塁打  17本     打点  72


福留孝介は三拍子揃った素晴らしい選手です。まず、打撃はミートポイントのずれが殆どなく、スイングスピードも速く、率も長打も残せる選手です。メジャーでは日本の様に30本以上は期待出来ないにしても、中距離打者としての成績は十分に残せるでしょう。しかし松井稼頭央、井口忠仁同様、やや三振の多い粗さがあります。如何にこの点を克服出来るかが課題かと思います。一番期待出来るのは、あのイチローにかなり近い強肩でしょう。どの球団に決まるにせよ、彼の肩はメジャーでも間違いなく一流です。どこの球団でもライトを守る事が可能でしょう。又脚もそれなりに速く、ある程度の盗塁数は期待出来るでしょう。

益田昭雄

2007-12-11 20:42:51 | Weblog
昭和37年から45年まで読売ジャイアンッ、西鉄ライオンズに在籍した左腕投手です。スリークォーターよりやや低い位置から投じる、直球とカーブを武器としていました。球速、球の伸び、切れ、制球全てに平均点クラスで、はっきり言って特色のない投手でした。左腕投手という事で、起用された場面も多かったと思います。読売では二線級投手以下の成績でしたが、西鉄ライオンズへ移籍後の1年目、2年目にはかなり頑張った数字を残し、ローテーションの一角を担っていました。しかしこの予想外の成績が、彼をあの黒い霧、八百長に導いたのでしょうか?45年のシーズン途中に永久追放されています。しかし当時、このクラスの投手にまで八百長の依頼があるという事は、如何に当時の野球界が汚染されていたという事でしょう。


通算成績   170試合   25勝33敗   防御率   3.07     361奪三振