昭和37年から45年まで読売ジャイアンッ、西鉄ライオンズに在籍した左腕投手です。スリークォーターよりやや低い位置から投じる、直球とカーブを武器としていました。球速、球の伸び、切れ、制球全てに平均点クラスで、はっきり言って特色のない投手でした。左腕投手という事で、起用された場面も多かったと思います。読売では二線級投手以下の成績でしたが、西鉄ライオンズへ移籍後の1年目、2年目にはかなり頑張った数字を残し、ローテーションの一角を担っていました。しかしこの予想外の成績が、彼をあの黒い霧、八百長に導いたのでしょうか?45年のシーズン途中に永久追放されています。しかし当時、このクラスの投手にまで八百長の依頼があるという事は、如何に当時の野球界が汚染されていたという事でしょう。
通算成績 170試合 25勝33敗 防御率 3.07 361奪三振
通算成績 170試合 25勝33敗 防御率 3.07 361奪三振