昨日の田中勉投手のブログですが、8月16日のブログとかなり内容が重複し、非常に恥ずかしい限りです。今回は昭和42年以降の彼に就いて触れたく思います。41年に自己最高の23勝を挙げ、ベスト9に投手として選ばれました。翌年は12勝とかなり勝ち星を減らしましたが、防御率は2.17と逆に多少良くなっています。しかしこの頃から、八百長に手を染めたのでしょうか?シーズン終了後中日ドラゴンズにトレードされました。交換相手は長打力はあるものの、打撃には粗さが目立ち,更に守備,走塁には見るべきもののない広野功でした。矢張り当時の田中勉は実際に八百長行為を行い、その結果として追い出されたのでしょう。不釣合いな交換相手という感は否めませんでした。移籍後中日では11勝、8勝とそれなりの勝ち星を挙げますが、かってのもの凄いバネを感じさせる,豪快な投球は影を潜めていました。記憶に誤りがなければ44年は、シーズン途中で故障という事で登録を抹消され、その時期に池永正明を八百長に誘いこんだと思います。多分八百長により、簡単にある程度の現金が入る事により、体の鍛え方がおろそかになったのでしょう。急激に力を落としてしまいました。しかし,全盛期の彼の投球はもの凄く素晴らしく、本当にもう一度見たいものです。
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