鈴木啓示 最速年度 昭和43年 ランク 7
入団2年目に高く脚を上げる、より豪快なフォームに変え、球速もかなりアップしました。球の速さで言えば、その2年目か、最も充実した3年目、43年が速かったと思います。投球内容の充実度から最速年度として43年を選びました。しかし当時球速は凄かったのですが、今一つ球の伸びには欠けるものがあった様に思います。当時パリーグの左腕投手の球速では、圧倒的に他を引き離していました。
別所毅彦 最速年度 昭和33年 ランク 11
残念ながら、投手生活晩年の3年間位しか観ておりません。胸板の厚いがっしりした体格から、比較的上体の高い投球フォームで非常に重い球を投げていましたが、既に速い球を観る事は出来ませんでした。当然昭和20年代には、もっと速い球を投げていたものと容易に想像は出来ます。この投手も、球速自慢が強く、生前160km以上を投げていたと豪語していましたが、かっての同僚川上哲治はその球速はあまり評価していませんでした。晩年しか観ていない為、最も低いランクになりましたが、全盛期の速さを知りたかった投手の一人であります。
入団2年目に高く脚を上げる、より豪快なフォームに変え、球速もかなりアップしました。球の速さで言えば、その2年目か、最も充実した3年目、43年が速かったと思います。投球内容の充実度から最速年度として43年を選びました。しかし当時球速は凄かったのですが、今一つ球の伸びには欠けるものがあった様に思います。当時パリーグの左腕投手の球速では、圧倒的に他を引き離していました。
別所毅彦 最速年度 昭和33年 ランク 11
残念ながら、投手生活晩年の3年間位しか観ておりません。胸板の厚いがっしりした体格から、比較的上体の高い投球フォームで非常に重い球を投げていましたが、既に速い球を観る事は出来ませんでした。当然昭和20年代には、もっと速い球を投げていたものと容易に想像は出来ます。この投手も、球速自慢が強く、生前160km以上を投げていたと豪語していましたが、かっての同僚川上哲治はその球速はあまり評価していませんでした。晩年しか観ていない為、最も低いランクになりましたが、全盛期の速さを知りたかった投手の一人であります。