トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

信義と誠実の原則

2022-04-25 | 小人閑居して憮然
 民法条項を持ち出すまでも無く社会生活を営む上で基本中の基本、必須の原則だと小生は思うのであるけれどこれが一筋縄ではいかない。かの国の政や指導者を出すまでも無く威風堂々馬耳東風カエルの面に小便の事態は水の惑星に溢れておる。まあ、原則なんて「水物」と判じてしまえば終わりである。

 フイールドに限定しても代表格はかの環境教育NPOと断ずるけれど、実態を知り得ない集会に於いて自らの行動は不問とし誹謗中傷放言するような姿勢では宣戦布告に等しい。ネット上に公開すれば取り消しも出来ないのと同じように口から耳へのリレーも取り消し消去は不可能なのだ。
 そういう事態が今回「環境破壊行為」としてまた発生した。そういう事が発生しないように担当者を現場に立ち会わせて2回の打ち合わせを行ったにもかかわらずなのだ。その結果、環境保全に対して「理解」を示し必要以上の破壊は行わないと判断できたから小生は三週間も費やして道路緒安全確保と整備に通常活動を先送りして協力したのだった。

 ところが数日前会友のYさんが「主催者が瓢箪池の水切りを行っていた」と言うではないか。既に帰り支度をしていた時間だったから敢て現場を見に行かなかったけれど今日になって現場へ行って見た。確かにしっかり補修した集水路は切断され、池の水そのものも抜こうとしたのだろう水路の掘削途中と観られる堀跡も出来ていた。
  

 この場所も二度にわたる現地説明会の折りに「池の周りで催しを行う一会場」となり、小生からは「漏水が激しく水溜りは数日で消える状態なので、湛水状態を保ちたいなら防水シートを用意してもらえれば間に合わせます」と伝えた池でもあった。それが月も変わらないうちにこの手太楽である。

 まあ、主催者側は公の機構であってこっちは私人で個人みたいな姥捨て山の住人では「イベントなんて開催しちまった方が勝ち!」と思われても不思議はない。この計画を聞いた時点で「どうしてここが候補地なのか⁉」と確かめたら「他では全て断られました」との返事だった。この要因なぞ知る人ぞ知る当たり前田のクラッカーであるのだろう。
 かのNPOも含め「活動は公のものであるから多少の反則は許される」なんて傲慢が根底にあると断定も否定もしないけれど小生が「不明」であったに過ぎなかったのだ。

 この時、思い出していたのは数年前に隣り沢で行われた夜間音楽祭の一会場は「サンコウチョウの飛来観察ポイント直下」で、ここに舞台で使う大型の音響設備と照明を周囲に配置して実施していたから、あのような事態は「絶対避けたい」と話し合いを持ったのだが、何の事は無い腐有陳類似の輩や組織では全く役には立たなかった。
 大規模照明や大音響がどれほど営巣期の鳥類に悪影響するのか事実確認など出来ないのだがまあ人生、生涯学習という事だろうて。ホント血圧が上がるわい。マインドフルネス、マインドフルネス・・・。敢て付け加えるなら「ウクライナ侵攻」と同様な手口、入り込めたら破壊する、分断して統治する、僻地へ分散させれば消えさせられる・・・。

今日のトンボ「ムギワラ、むぎわら、」

2022-04-25 | 小父のお隣さん
 四月に入ってトンボは4種が出現した。どれも繁殖種なので精一杯の種数であるが更に上乗せするなら「飛来種」に頼るしかないものの時期的には可能性は無いだろう。
 この時期に一番目につくのはシオカラトンボ♀でムギワラトンボと言った方が♂♀言わなくても済むだけ手っ取り早いし口が馴染んでいる。

 行き帰りの道すがら目につく花が「ムギナデシコ」とかいう外来種だ。淡い桃色の花を華奢な茎の上に載せて風に揺らいでいる姿は好きな風情である。昨年春、注目して種を手に入れようとしたものの「毒性あり」との植物と知って取りやめた。いくら風にそよぐ頼りなさそうな揺れる姿を「好ましい」と断じても「虫もつかない柳腰の美人草」を庭に入れる訳にもいかない。
 しかしなんだ、昨今の話題に準じれば、こういう表現は「いけない」のであるかどうか、まあ、社会人講座など受け持ってはおらんしコンサルティングもしない姥捨て山住人だからOK牧場としておこう。

 すぐ脱線するのが小生の良い癖であり長生きの秘訣なのだが今回はそれでは無い。ムギワラトンボはムギワラに似ているかイネ科、いいえ否か、であって田舎でもない。残念ながらムギワラは長い事お目にかかってはいないから稲藁で対応してみたらし団子、いいえ、みたら少しだけ似ている。でもでも似ている所に止まってもらうより春の陽光に輝いている方が小生は好きでありんす。しかし若い頃より輝いていた私の一部は好きではなかった・・・。あっ、りんすも出来なかったから。

  

 さてさて22日になりようやくオスが出現した。既にオス同士ファイトオーッとやっておる。写真の波板の上を二匹でとりあっていたのだが気温26℃でも暖かい場所が良さそうみたい。

ノアザミが咲いたから・・・

2022-04-25 | 蝶の食草園
 ノアザミが花径を立ち上げ始め開花に至った株も出てきた。特に群植したところは立地も良いのか数が見えてきた。五月に入ればノアザミの花盛りとアゲハの群れ盛りが出現するはずだと今から待ちどおしい。種子を採り蒔きしても開花は翌年なので、たとえ群植したとして花壇とは異なる野ッ原だから多少の管理が必要になってくる。

 植え付け時にはネザサの根茎は排除したつもりでも断片から再生するし周囲からは侵入するので適宜、掘り取っていく必要がある。今回はカラスノエンドウが空間を占領する様相を見せ始めたから種子を落す前に抜去した。根元から蔓性の茎を何本も絡ませて這い上がってくるけれど、この時期だと容易に引き抜けるのだ。時期を逸すると葉や茎などに絡まって始末に困るようにもなるし繁茂して覆ってしまう事が一番困る事でもある。

 思っていたより簡単にかたがついて、ついでにカナムグラの伸び出した所やスイバの株などを引き抜いて群植部の手入を終えた。今までノアザミの養成株は野草の中に紛れ込ませて定植していたけれど、刈り払われるケースも多くて損失多数、で群植しておけば多少は免れると思うようになってきた。

 まあ、自然の野草の景観風に誘導してきた年月と労力など入域者には理解できるはずも無く、単なる雑草としてしか見えていないのが折々に観察すると良くわかる。「桜守り」などは良く知られた用語だけれど桜見に繰り出す輩は多くても「桜守り」に思いをはせる輩など居ないのと同じように、「植生守り」や「トンボ守り」が背後に存在しているなど一瞬だって過ぎらないのが農耕民族の遺伝子なのだろう。「環境教育やってます!」なんて団体のスタッフだってそのレベルなのだから。

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