とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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僕は少年通信兵だった

2008年04月03日 07時11分05秒 | 書評
終戦の直前、その当時のほとんどの少年がそうであったように軍国少年だった私の父は海軍少年飛行兵に志願したが年齢が十分でなかったことと、健康に疑い(終戦後すぐに結核であったことが判明)があったため検査で落っこちた。
これを逆手に私が生まれたのは「その時落っこちたからだ」というのが戦後60年も経過した今日でも、たまに口から付いて出るセリフなのだ。
つまり入隊していたら「神風になってすでにこの世にいないぞ」ということを言いたいらしい。

光人社文庫「僕は少年通信兵だった」私の父よりは五つほど年長の18歳の少年が「お国のために」と志願して戦争終盤にベトナムへ渡った体験記である。

光人社文庫は多くの戦争体験を出版しており、本書もそのひとつ。
ビルマ戦線や太平洋戦域での悲惨なものも少なくないが、ベトナムを舞台にしたものは不思議に悲惨さ、陰惨さが少ない。
それは当時のベトナムがフランスの植民地であり、親ドイツのバシー政権の統治のもとにあったからで、戦闘も少なく、食料も豊富で、中で描かれるサイゴン(現ホーチミン市)を中心とするベトナムの風景は平和そのものだ。

戦中のベトナムの風景が描かれている書物を読むたびに思うのは、日本が東南アジアに及ぼしたポジティブな影響だ。
それまでフランス人にへつらうことしか知らなかったベトナム人が同じ顔形をした日本人がフランス人を蹴散らしたのを目にし、顔つきが変わるのだ。
本書も数々の魅力に溢れているのだが、その最も興味をそそった部分が、ベトナム人の日本人に対する好意的な態度と日本の戦況が不利になり始めると独立運動に向けた着実な行動に出始めることだった。

敗戦後の描写も面白い。

ベトナム人と闘わすため占領軍の英仏両軍が日本兵に命じて戦闘をさせるが、日越双方の内通者が事前に打合せをして銃を空に向けて撃ったなんてことは、今伝えられることは、まずない。

ともかく、18歳少年といえば、今の世の中「またまた犯罪か?」という悲しくて情けないことばかり頭に浮かんでくるが、日本が世界を相手に闘ったあの時代、18歳少年は国の誉れであったとこをつくづく感じた。

~「僕は少年通信兵だった 南方戦線で戦った17歳の無線通信士」中江進市郎著 光人社NF文庫~