ヤンゴン国際空港を飛び立ったエアーマンダレーのDHC-8型機は緩いカーブを描きながら、ゆっくりと上昇を開始していた。
下界にはミンガラドンの工業団地が広がっている。
但し、どこからどこまでが工業団地で、ごこからどこまでが畑や田んぼか分らない。
なぜわからないかというと、工業団地には入居企業がほとんどなく、赤土むき出しの更地が延々と広がっていたからだ。
「三井物産、ミンガラドン工業団地から撤退」
という記事が産経新聞に掲載されたのはそれから間もなくのことだった。
ミャンマー政府と三井物産の合弁で開発したの良かったけれど、政治的・経済的要因で入居企業がちっとも集まらず、維持費ばかりがかかるので涙を飲んで撤退したということらしい。
今ごろ三井のプロジェクト責任者は下請け孫請け会社で働いているか、家の近所のコンビニでアルバイトに励んでいるかも分らない。
もっとも、工業団地と周辺の畑や荒れ地と区別がつかなかったのは土地が売れずに建物が建っていないことだけが原因ではなかった。
私の乗っていたDHC-8型機の窓には細かい傷が一杯ついていて、ちょっとした曇りガラスかスリガラス状態になっていたからであった。
「ボロイの?その飛行機。」
などとおっしゃるあなた。
あなたは正しい。
今や東南アジア最貧国の汚名を着せられたミャンマーにも航空会社が数社ある。
ミャンマー航空。
エア・マンダレー。
エア・バガン。
の3社が主流で国内線が中心だが、タイやシンガポールとの国際線も数便運航しているのだ。
ちなみにエア・バガンは関空乗り入れを計画しており、機内誌やホームページの運行経路の地図にはヤンゴンと大阪を結ぶラインがクッキリと引かれている。
「昨年、エアバガンの人が日本へ行って営業開始の調査をしてきたって聞いてます」
とはガイドのTさんの話である。
しかし、一番大きな機体でもフォッカー100しか持っていないエアバガンが関空とヤンゴン間4500kmを飛ばせるのか。
クエッションマークが灯るのだが、それよりもなによりもフォッカー100で関空からヤンゴンなんて長距離に搭乗する勇気は私には無い、と言えば失礼か。
ともかく関空からヤンゴン間は信頼篤い日本の翼ANAの復活が待たれるところだ。
ともかくミャンマー航空以外は外資との合弁企業なので、かなり安心なのだが、飛行機がお歳を召していらっしゃることも確かなので、ちょっとばかしビビってしまうことも少なくない。
こんなすりガラスなんて目じゃないのだ。
トイレの扉が閉まらないことなど珍しくないらしい。
でも、そんなことではビビらない私も、窓からの霞んだ景色を見ながら実はビビっているのであった。
それも猛烈に。
なぜなら、私の足元の壁部分が大きく「ベコッ!」と凹んでいたのであった。
それも直径50cmぐらいはある大きな凹み。
心配になって客室乗務員のオネエサンに目で示すと、「ニコッ」と笑って、ハイおしまい。
「ここから機体が裂けて、外に放り出されることはないやろな、エアポートシリーズの映画みたいに」
などと不安に駆られながら、私の三回目のミャンマー旅行が始まったのであった。
つづく
下界にはミンガラドンの工業団地が広がっている。
但し、どこからどこまでが工業団地で、ごこからどこまでが畑や田んぼか分らない。
なぜわからないかというと、工業団地には入居企業がほとんどなく、赤土むき出しの更地が延々と広がっていたからだ。
「三井物産、ミンガラドン工業団地から撤退」
という記事が産経新聞に掲載されたのはそれから間もなくのことだった。
ミャンマー政府と三井物産の合弁で開発したの良かったけれど、政治的・経済的要因で入居企業がちっとも集まらず、維持費ばかりがかかるので涙を飲んで撤退したということらしい。
今ごろ三井のプロジェクト責任者は下請け孫請け会社で働いているか、家の近所のコンビニでアルバイトに励んでいるかも分らない。
もっとも、工業団地と周辺の畑や荒れ地と区別がつかなかったのは土地が売れずに建物が建っていないことだけが原因ではなかった。
私の乗っていたDHC-8型機の窓には細かい傷が一杯ついていて、ちょっとした曇りガラスかスリガラス状態になっていたからであった。
「ボロイの?その飛行機。」
などとおっしゃるあなた。
あなたは正しい。
今や東南アジア最貧国の汚名を着せられたミャンマーにも航空会社が数社ある。
ミャンマー航空。
エア・マンダレー。
エア・バガン。
の3社が主流で国内線が中心だが、タイやシンガポールとの国際線も数便運航しているのだ。
ちなみにエア・バガンは関空乗り入れを計画しており、機内誌やホームページの運行経路の地図にはヤンゴンと大阪を結ぶラインがクッキリと引かれている。
「昨年、エアバガンの人が日本へ行って営業開始の調査をしてきたって聞いてます」
とはガイドのTさんの話である。
しかし、一番大きな機体でもフォッカー100しか持っていないエアバガンが関空とヤンゴン間4500kmを飛ばせるのか。
クエッションマークが灯るのだが、それよりもなによりもフォッカー100で関空からヤンゴンなんて長距離に搭乗する勇気は私には無い、と言えば失礼か。
ともかく関空からヤンゴン間は信頼篤い日本の翼ANAの復活が待たれるところだ。
ともかくミャンマー航空以外は外資との合弁企業なので、かなり安心なのだが、飛行機がお歳を召していらっしゃることも確かなので、ちょっとばかしビビってしまうことも少なくない。
こんなすりガラスなんて目じゃないのだ。
トイレの扉が閉まらないことなど珍しくないらしい。
でも、そんなことではビビらない私も、窓からの霞んだ景色を見ながら実はビビっているのであった。
それも猛烈に。
なぜなら、私の足元の壁部分が大きく「ベコッ!」と凹んでいたのであった。
それも直径50cmぐらいはある大きな凹み。
心配になって客室乗務員のオネエサンに目で示すと、「ニコッ」と笑って、ハイおしまい。
「ここから機体が裂けて、外に放り出されることはないやろな、エアポートシリーズの映画みたいに」
などと不安に駆られながら、私の三回目のミャンマー旅行が始まったのであった。
つづく