とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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アパホテルは教育制度の成れの果て

2007年01月28日 20時54分43秒 | 社会
いきなり話が逸れて恐縮だが、ジーン・ケリー主演の名作「雨に唄えば」の冒頭のシーン。
チャイニーズシアターでの新作発表の記者会見で、
「あなたのモットーはなんですか?」
と芸能記者に訊ねられたダン・ロックウッドことジーン・ケリーは、
「それは、いつも威厳を持ち続けてきたことです。威厳です」
と答える。
その威厳の実際は、ボードビリアンを演じたり、こそこそと映画館に忍び込んだりと言うシーンが展開されるわけだが、そこでも自らの「威厳」を忘れたことはない、ということだ。

この威厳が失われた社会が今の日本社会ということか。

最近多発している殺人事件や官僚政治家の汚職事件を目にするたびに意識するのは、「威厳」の無さ。
宮崎の官製談合事件も、社会保険庁の杜撰な管理体制も、名古屋市の地下鉄談合も、すべてすべて威厳がないから発生した事件と言わざるを得ない。

その昔。
日本人は嘘をつくことを恥ずかしいことだと考えていた。
「あなたはウソつきか」
という意味合いのことを告げられただけでも、役人たちのなかには「恥」だと思い自ら命を絶つ者もいたくたらいだ。
武家商人の別なく身分の高いものほど社会に対するモラルを守るということに対する実直さは目を見張るものが合った。
つまり威厳に満ちた社会習慣が存在した。

ところが第2次大戦後、アメリカ主導で導入された民主政治なるものによって、これらの美徳も「封建的で時代的」という理由でことごとく否定され、一度この伝統の社会習慣を口にしようものなら「戦争擁護」「軍国主義者」「反民主主義」といったまったく関係のないレッテルを貼り付けて非難した。

その先頭が各労働組合であり、日本共産党であり、日本社会党(現社民党と民主党)であり、大江某なる意味不明文書大好きのの作家であったり、朝日新聞とNHKなのだ。

この戦前の日本社会を否定してきた人たちの特徴は「平気で嘘をつくこと」。
また、嘘をつくことを彼らは「革新」とも呼ぶ。

となりの国は天国ですよとばかり喧伝した理想の国が北朝鮮で、子供に「国旗は血にまみれている」言ったのも、反戦主義を唱えながらアメリカ帝国主義反対とぼかりにテロ行為を起こして無実の民を殺すのも、沖縄の小島で民間人が玉砕したのは軍の命令と創作して小説に書くのも、自らサンゴに傷を付けて誰がやったとほざくのも、みんな上記の人たちばかり。

で、本題に入るのだが、不二家にしても、アパホテルにしても、姉歯にしても、嘘をつくのはこれら戦後民主主義の伝統なのか、と思いたくなるものばかり。
宝石チャラチャラ、ファッションセンスのかけらもない下品な顔を公衆に曝して自ら「私が社長です。安全と信頼と、」などと宣う女社長に誠意のみじんも感じられないのは無理もない。
さらに信じられないのは、今回の姉歯から続く一連の耐震偽装という嘘の連鎖を官僚や政治家だけに添加して満足しているいくつかのサイトが世間からもてはやされていることだ。

当然、このような事件を生み出す土壌を作った官僚政治家は許されるべくもないが、「ウソつき日本人」を作り上げた戦後の教育制度を責めなければ、アホ官僚やウソつき政治家は今後もどんどん出てくるだろう。

アパホテルの耐震構造偽装事件は教育制度の成れの果て、と結論づけても過言でもないと思うのだが、いかがか?