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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



このブログのタイトルになぜ「時事放談」などと言うタイトルを付けているかと言うと、その昔日曜の朝、毎日放送で放送されていた「時事放談」からの拝借であることは今更説明を待たないところだ。
この「時事放談」は細川隆元と藤原弘達が「だいたいね大平君や中曽根君がね......」などと首相を君付けで呼ぶようなウダウダ政治談義をしていた硬派な番組で、子供の私など親が見ているのをはた目から「ジジイ二人が話しているだけの番組の何がおもしろいねん」と呟き、その内容を理解することもなかった。

このように大昔はいざ知らず私のような戦後生まれの、それも昭和40年前後生まれ以降からの日本人は政治談義の番組を見ても、それを論議すると言うことをしていない。
せいぜい、やしきたかじんの番組を見て「橋下、宮崎というのは何様やねん」とか「田島のオバハンは相変わらずアホや」ぐらいの評論しか出すことができないのだ。

一方、アメリカやフランス、イギリスなどの西欧諸国を見てみると、中学校教育当たりからしっかりと政治についての議論を行なうテクニックや論理を学んでいる。
例えば、アメリカ合衆国なんかは教室の授業で民主党の主張や共和党の主張をロールプレイし、それぞれの主張を生徒自身の考え方を盛り込みながら論議していく、なんてものまで存在する。

さらに追求すると、西欧諸国だけにこのような民主的議論の教育制度が存在している、というわけではなく中国なんかでも小学生の頃から「日本は悪い国です、鬼の国」ときっちりと自国にだけ都合の良いフィクションの歴史をさも本当にあったことのように教育するということを忘れていない。
したがって文革以降に生まれた中国人は、放っておいても「日本人は悪者だ」ということに関する議論は得意である。たとえそれの論理武装がメチャクチャでもその独特の周囲を憚らないデカイ声で主張すると、ほとんどの日本人はたじたじなってしまうのだ。

一方、日本人は子供の頃から「自己主張しないことが社会の規範」のような教育を受けているため、たとえそれが間違っていることであっても反論することができない。
反論したりすると必ず年長者さも私は人生経験豊富なんだという顔をして「出る杭は打たれるからね」などと言って、事なかれ主義で収めようとする。
その結果、厚生省、社会保険庁や大阪府庁のような役所が生まれるわけだが、論調がゆがんできたので、この辺で修正することとして、このように日本人は政治論議の練習もしなければ考えたこともない、という政治痴呆症に陥ってしまっている。

海外で各国から集まってきた仲の良い留学生同士が集まって、ごく普通に政治談義をしていると日本人だけが参加できなかったりするのは、上記のような理由によるものだ。

もしかすると「政治の話はご法度」はミャンマーの話ではなく日本の話なのかもわからない。

ともかくそういう政治的無知で固めた日本人に18歳から選挙権を与えようと言う案が出ている。
毎年毎年成人の日の報道を見ても分かる通り20歳でも県庁前で暴れて得意がっているオツムテンテンな新成人が多いのに、18歳で選挙権。

誰かこれで一山儲けようとしているのではないだろうか。
ちょっと疑いたくなる法案だ。

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