「病で苦しんでいる者であれば、たとえ乞食でさえ家へ上げ、代金を求めず治療してやることも少なくなかった」
というような意味合いのくだりが、司馬遼太郎著「花神」第1巻の一節にあった。
そのお節介な医者の名前を緒方洪庵といった。
大阪大学医学部の前身である適々斎塾の主にして、幕末を代表する蘭方医。
福沢諭吉や大村益次郎など、明治の日本を築き上げた人々を育てた教育の人でもある。
「大阪はやっぱヨシモト、道頓堀のグリコかUSJかタイガースだよね」
とおっしゃる人々が多いけれども、タイガースは別として、適塾は現在もなお、地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」近くの同じ場所に建っているので、ヨシモト、グリコなどと軽いことばかり言わずに、是非、日本の夜明けの舞台の一つとなった歴史遺産を見ていただきたいものである。
ところで、この司馬遼太郎の描写した緒方洪庵像では医療に従事する者の非常に気高い倫理観が表現されている。
もし、あなたが医師であるのなら、例え患者が無一文の宿無しであったとしても、「何とかしてあげなければ我慢できない」という衝動に駆られ、診察し面倒をみないことには気が済まない性格でなければならないのだ、ということを主張しているのだ。
「そんなんじゃ、儲からないし、責任とるだけの貧乏くじは引きたくない」
とおっしゃる向きの医療関係者の方々は、是非奈良県へ行って医療活動、もとい、偽善商売をはじめになることをお薦めする。
新聞報道によると奈良県大宇陀町の女性が子供を出産する時に昏睡状態に陥り、大宇陀町の病院では手に負えなくなったので、他の「信頼できる」大きな病院に移送しようとしたら、十九にも上る県下の病院から「うちはベッドが一杯です」とか「担当の先生が不在です」とか「関係ないです」とか断られてたらい回しにされ、6時間後に、なんと大阪の国立循環器病センター(産科じゃなくて生体肝移植なんかの病院だぞ)がうちに来なさいと受け入れてくれて、何とか入院。
せっかく信頼できる病院にたどり着いたのに、女性はすでに手遅れで、無事に子供を出産したが本人は帰らぬ人になってしまったとか。
自分を生むためにお母さんが亡くなったことを知るであろう生まれた子供が不憫でならない。
ちなみに大宇陀町から豊中にある循環器病センターまでは、名阪国道を走って、西名阪道、阪神高速松原線、阪神高速環状線、阪神高速池田線を走っていかなければならない。
遺族の方も不憫だが、こんな距離を瀕死の患者を乗せて走った救急隊員の人々も不憫である。
で、昨日このニュースを新聞で読んで、いたたまれない気分になっていたのに、今日のお昼のラジオでもっと酷い内容の続報を耳にした。
「患者が死んだのは、大宇陀町の病院の産科医が内科医の助言に耳を貸さなかったからだ」
という。
責任のなすり合い。
ぶん殴るぞ!貴様ら。
奈良県民に告ぐ。
そこに住んでいたら殺される。
安心できる責任ある医療を受けたいのであれば、速やかに周辺府県へ避難せよ!
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内科医が対光反射や一部の神経学的所見を診たところ、意識レベルが低い(痛み刺激には反応あり)ものの他の異常所見が無く、また陣痛発作時には産婦が声を上げて痛がるなど したため、産科医と内科医で「陣痛発作に伴う失神だろう」と判断したとのことです。この際に「内科医がCT検査を行うことを主張したが産科医が拒んだ」などと報道されてい ますが、両者の間でそんな押し問答のようなやりとりはなかったようです。その時点では血圧は正常で、子宮口も4cm程度開大していたため分娩経過を診ることになり、産科医 は当直室に戻ったとのことです。
しかし、その約1時間半後に痙攣発作が生じ、この時点では血圧が180前後まで上昇していたため、産科医が子癇発作と判断し、マグネゾールを静注して奈良医大病院に搬送を 依頼ました。ところが、奈良医大の産科病棟が陣痛待機室のベッドまで入院患者が溢れるほど満床であったため受け入れることができず、また、容易に搬送先が見つかりませんで した。大淀病院の産科医の先生はいつでも搬送できるよう、今か今かと「受け入れ先が見つかった」との連絡を待ちわびていたらしく、CT検査ももちろん考えたようですが、( 今、患者を動かして再発作を起こしたら母児ともに危険かもしれない)(CT検査に行っている間に搬送先が見つかったと連絡が来るかもしれない)など考えて躊躇されたようで す。苛立つ家族に囲まれ、産科医自身も大阪の高次医療機関に数件電話するなどしたようですが、全て断られたとの事でした。最終的に搬送先が見つかったのは、搬送を申し入れ てから二時間余り過ぎた後でした。
医師掲示板より抜粋 マスコミの報道とかなり差がありますね。実際脳出血と疑えた状況なのかわかりませんが、医師個人の資質より大きな問題が全国的に発生しています。あなたがこのDrだったらどうしますか?
先日、大阪南部のある公立の病院を仕事で訪れました。
全館改装中でいかにも予算がありそうな病院でしたが、実際は市の予算も乏しく、市民への信頼維持および回復のために少々無理をして行っているような感じに受取れました。
ところが、予算そのものの問題よりもここ数年で医師がいなくなり、いくつかの科では患者さんを他の民間総合病院に移ってもらったというんですね。
で、玄関に「医師不足に関する断り書き」が貼られており、なんでこんな大阪のど真ん中で?と考えさせられた次第です。
で、今回のたらい回しの件ですが、医師というか病院というのか、そういう医療施設というのは個々が独立運営しすぎていてネットワークが上手く構築されていないんじゃないかと思うんですね。
受け入れ先がすぐに見つからない、というのはこういう事態を日頃想定せず、何もしていなかった、としか言いようはないと思います。
最近目に余る役人の危機管理意識の無さに相通じるものを感じずにはおれません。
私が医師なら?
事前にネットワーク作りに取り組むでしょう。
収入は少なくないはずだから自腹を切っても前身できるはずです。
ま、自腹はやりすぎかもしれませんが、我々一般企業に勤めるものの中には、会社が予算をつけてくれないような、それでいて効果的な改善ができると思われるのもには、みんなで少しづつ金を出し合って、何かをすることもあります。
まあ、手弁当程度ですけど。
私は身内に三人ほど医療関係に従事しているものがいます。
三人ともいとこなんですが、一人は某県立病院で外科医を、一人は薬品会社のプロパーを、そしてもう一人は大阪の私立病院で看護婦をしています。
確かに外科医をやってる従兄弟を除いて、収入は一般的で、肉体労働の割りにかなり厳しいものを強いられてはいるようです。
ま、医者の給料とパイロットの給料は特別なところがありますから、一般人からは「なぜ?」という声が出やすいことも、事実です。
で、ネットの件ですが、以前、知り合いの開業医の先生に「なぜカルテの共有だとか、薬品情報の共有、病院の
アライアンス締結って、ないんですか?」と聞いたところ、医療は個人情報の塊なので、なかなか難しいという話をしてくれたことがあります。
難しいことほどチャレンジすべきなのでは、と思ったことがありました。
医者がいない。
病院をやめる。
責任を持たない。
というような世の中にはなってほしくない。
そんなどこかの国のようになってはいけないと思いがあります。
なお、大宇陀町じゃなくて大淀町ですね。
この病院、仕事で二回ほど行ったことがあります。
訂正いたします。
「それでも医者か!」
「『医は仁術』は死語になったのか」
「命より金儲けのほうが大事なのか」
「患者を受け入れられない病院は看板を返上しろ」
「殺人病院だ!」
「病院が妊婦を殺した!」
「ベッドが無い?そんなの理由になるのか!」
「ベッドが無ければ廊下に寝せればいいじゃない」
「熱意が欠如している!」
「救いたい!という気持ちが無い!」
「ドラマのような熱意のある医者はいないのか!」
そういう、今の医療の窮状に無理解な輩の暴言が、限界状況で頑張っている医師の心を折った事で、医師不足(具体的に言うと、勤務医不足)に拍車をかけているんですよね…。
こうして救急受け入れ問題は更に悪化する…と。
医療破壊活動ご苦労様です。
その事から目を逸らして、「竹槍でB29を落とせ」というような精神論ばかり言ってる愚民には、医療は必要ないんじゃないかと思います。
以前は「医療崩壊を防ぐために自分に出来ることはないか」と色々と考えてきましたが、最近は、牟田口症候群のあまりの多さに失望し、「全国のお医者さん逃げてー!」というスタンスに変わりつつあります(って、現時点で既にそうなってますけど)。
もしも自分や自分の家族が必要な医療を受けられずに命を落としたとしても、医療従事者を酷使し疲弊させ続けた愚民を恨みこそすれ、命を削って頑張ってきた医療従事者を恨むことはありません。