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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



写真:客待ちしているサイカーのオッチャンら(シットウェー市内にて)((C)2006 Torigara Entertainments)


アキャブことシットウェーの街は大変賑やかなところだった。
大通りには多くのサイカーやバイクが走り、サイカーの客席には傘を差したお坊さんや、買い物帰りのオバサンが乗っている。
また人を載せなくとも市場で買ったものや商売で仕入れられたと思われるようなズタ袋に入った荷物などが載せられ運ばれたりしているのだ。
もちろんサイカーといってもバイクのサイドカーではなく自転車のサイドカーなので運転手は漕がなければならない。
したがって、運転手は痩身な人がほとんどで私のようなデブはいない。

その大通りの両側には平屋の商店が並んでいた。
雑貨店。
薬局。
衣料品店。
CDやテープを売っている店。
散髪屋。
日本人の目からは何を売っているのか判別できない店など。
色々な店が私の好奇心を誘ってくれるのだ。
それにしても本当に活気がある。

家並の向こう側には時計塔が見える。
なんでも19世紀にイギリス人によって建設され時計台なのだという。
大戦中はあの時計塔を目印に我が日本軍とビルマ独立義勇軍が英印軍と闘っていたという歴史ある時計塔なのだ。

「なにか食べ物を買っておきましょう」
とガイドのTさんは言った。
「食べ物........が要るんですか?」
と私。
「船には食べ物や飲み物が無いと思うんですよね」
なんのことやらサッパリ分らない。
船に乗るのに食べ物が要るのか?
これからどんな航海をするのだ?
食べ物を購入しなければならないほどの長旅なのか。

いやいや。
これから始まる移動は海ではなく川を遡って行く旅なので航海ではない。

実は今日ヤンゴンからフライトしてきた私の目的地はここシットウェーではない。
このシットウェーの北北東約70キロメートル彼方にあるミャウーという町が最終目的地なのだ。
そのミャウーへ行くためには、ここシットウェー市の西を流れるカラダン川を船で遡って行かなければならないのだ。

そう、目的地のミャウーはかなり辺境の地にあるのだった。
そんな辺境の地「ミャウー」へなぜ行くのかというと、そこがあまり一般的に知られていない遺跡の町だったからだ。
かといって、ショーモナイ遺跡の町ではない。
ミャンマーにある世界三大仏教遺跡バガンに匹敵するような、凄い遺跡が点在している町なのだ。

どうしてそんな大規模な遺跡を抱えるミャウーが有名でないかというと、この地域は長年外国人の立ち入りを禁止してきたからという。
私たち外国人旅行者に開放されたのはつい最近。
したがって旅行ガイドブックにも小さくしか掲載されていないし、交通の便もメチャクチャ悪いので知られていないというのが実情だ。

ミャウーへは船の他に路線バスで行く陸路がある。
しかし陸路は、
「政府の許可が要るんです」
とTさんが言う通り、外国人には開放されていない経路なのだ。
したがってミャウーへは船で行くしかない。

しかも船便についても定期船はあるものの運航は毎日ではない。
丁度この日はシットウェーからミャウーへ向かう船の便がなかったのだ。
そのため私が手配していたTさんの勤める旅行会社は私のために船を一艘チャーターしてくれていた。
そのチェーター船には食料はないので、長い船旅になるから食べ物を買いましょう、ということらしい。

ということで、私たちは大通りの中ほどにある駄菓子屋のような店に立ち寄った。

つづく

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