とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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オノボリサンの都~京都の旅(3)

2007年08月16日 06時16分14秒 | 旅(海外・国内)
写真:東寺の蓮。この写真を撮った瞬間、災いは起こった。((C)2007 Toigara Entertainments)


慶賀門という鎌倉時代に建てられた重要文化財の門をくぐって境内に入った。
門の両側には「東寺」と勘亭流みたいな文字で書かれた提灯がぶら下がっていて「まるで寄席だな」と連想した。
これが「「たこ焼き」とか「御用」とか「提灯おばけ」だったら。もっとオモロイのに」とまで連想した。
しかしそんな連想は良くないことがわかった。
なぜならこの直後、仏罰が降りかかってきたからであった。

それにしても単に「東寺」の提灯を「御用」と書き換えたらオモロイな、と考えただなのに仏罰が下るとは予想だにしていなかった。
どのような仏罰なのか。
私の以下の説明を読んだ読者は「な~んだ」と思うかも知れないが、仏罰が下された私としてはかなり困った状態に陥ってしまったのだ。

その仏罰とは。
私は「さすが京都やの~。いきなり重文か」と思いながら門をくぐると、正面に駐車場、左手に小さな堀が見えその堀には青々とした蓮の葉が直射日光に照らされて活き活きと輝いているのに感動した。
堀の向こうには奈良の正倉院を小さくしたような倉があり、そのまた遥か向こうに東寺のシンボルとも言える五重の塔が見えている。
五重の塔の上空は真っ青に晴れ渡り、綿のような雲が所々に浮んでいる。
さらに遠くの空を眺めると入道雲になりかけのモクモクとした白い雲の山が見える。

「夏だな」

と柄にもなく私は思った。
ふと蓮池に目をやると数輪の蓮の花が鮮やかなピンクの花びらを開いている。

「美しい」

と、これまた柄にもなくつぶやいた。
せっかくだからと私はショルダーバックにしまっておいたデジカメを取り出し蓮の花に向かってシャッターを切った。

さらに右手を見ると未だ開いていない蓮の蕾が桃のような色とカタチのまま、そよ風に吹かれて揺れていた。
なんとなく開いている花より蕾の方が綺麗なのだ。

「これを写さずしてなにがデジカメじゃい」

とばかりに私はカメラを構え、バックに蓮の葉の緑が輝き桃色の蓮の花が映えるようにとローアングルを狙いしゃがみ込んだ。

仏罰はまさにこの時に下ったのだった。

「ビリッ」
と私の股間が音を立てた。
「まずい!」
と思ったがもう遅かった。
ローアングルを狙いしゃがんだとたんにズボンの股が裂けてしまったのだった。

エライことになってしまった。
日帰り旅なので履き替え用のズボンなんぞ持っているわけがない。
恐る恐る股座に手をやると縫い目が破れたのではないことがわかった。
ズボンの生地そのものが裂けているのである。

「ん~もう、痩せんかい」

とおっしゃる方もいるかも知れないが、私は昨秋の人事異動で配転されていらいというもの残業は増えたが内勤が増えてしまい運動不足の日々が続いており体重は増える一方。
持っている数本のズボンの中には窮屈なものも出て来ており、この日、履いてきたのがそのうちの一本なのであった。

で、またまた恐る恐るオシリに手をやると(ちょうど昔の吉本新喜劇で岡八郎が「クッサー」とやったポーズに似ていなくもない)ズボンの裂け目は後ろまでは達していないことが分った。
ラッキーであった。
つまり、しゃがみ込んだり屈んだりせずに、少々内股にしてショルダーバックをケツに当てながら歩くと他の人には私のズボンの股が裂けていることは分らない(だろう)ことが分ったのだ。
ひとまず安心することができたものの、自由に歩き回ることに抵抗感が生じてしまった。
のっけの訪問先からこのようなトラブルに見舞われるとは、仏罰以外の何ものでもないと思わざるを得ないのであった。

ともかく気を持ち直し、もうワンショット蓮の蕾をカメラに収めてから、そろ~りそろ~りと拝観受付へと足を進めたのだった。

つづく