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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

続・必須科目漏れ

2006年10月27日 22時03分11秒 | 社会
予想通りと言えば良いのかどうか分らないが、やっぱり出ました、富山の高校以外に必修科目漏れのあった高等学校。

「受験に供えたカリキュラムに気をとられたから」
というのが、一番多く耳にする言い訳だが、いつから高等学校は予備校になったのか訊いてみたい。

学校は、
「人間育成を目指した教育の場」
などと、もっともらしいことをパンフレットに並び立てている学校が少なくないが、実際は、
「うちは大学進学が目的の学校だから、その受験技術を磨かせれば、学校の評判も向上し、経営不安を招かなくてよい」
ということになることが少なくなく、結果的に有名国公立大学に進学した卒業生を輩出することになる。
が、その卒業生はやがて社会的に高い地位について、
「公務員汚職」
「新興企業経営者の詐欺行為」
「国益を損なう、反日政治家」
を生み出すのだ。

ラジオを聞いていると、ある大学の学者先生が、
「学校の週五日制が始まってから、カリキュラムに変動が生じました。しかも、1980年代までは集団で和をもって行動できる人間を育てることに主眼が置かれましたが、1990年代からは各個人の個性を伸ばすことに変化し、教育現場に混乱がもたらされたのが、今回の主な原因です。」
とおっしゃっていた。

教育行政の失敗だと分っているのなら、正さんかい!
と叫びたいところだが、大学先生は評論家で、役所の役人は「何も起こさず定年まで過ごしたい」人ばかりなので、どうにもならない。

必修科目漏れ事件は、教育制度失敗のあぶり出しか?

必須科目の履修漏れ

2006年10月25日 20時37分30秒 | 社会
恥ずかしながら、大学二回生の時に必須科目の試験の時間を間違え遅刻して、単位を落としたことがある。
もしこれが4回生なら「留年」決定!

もしそうなっていたとすれば、人の不幸話を宴会ネタにすることが「だ~い好き」な私の友人たちのこと。
今ごろ忘年会なんかで集まると、絶好のからかいネタになっていたのは間違いない。

新聞報道によると富山県立高山南高校の三年生全員が地理歴史教科の必須得科目を履修しておらず、このままでは卒業できない事態になっているという。

大学生の履修チョンボは学生の責任だ。
履修ガイダンスを受け、自分で履修科目を決めるのだから当然だからだ。
でも、高校生は明らかな学校側のチョンボ。
高校生は「何が必須科目なのか」なんてことは知らないはず。
カリキュラムを組むのは教員の責任で、今回の事件は100%学校側が悪いということになる。

しかし、一番驚いたのは「日本史、世界史、地理」の総てが必須ではないという学校教育の現状だった。
「日本史」が選択教科なのがとりわけ恐ろしい。
これも日教組のなせる技か、それとも団塊教師のなせる技か分らない。
分らないが、世間の人材不足の原因が、少しかいま見られたというところが恐ろしい。
国益無視した政治家、役人、企業家が出てくるのも納得できるというものだ。

「日本史だけ、地理だけ学習しても、その中で世界とのつながりについて触れるため世界史も履修したことにできると思った」

と校長先生はおっしゃった。
アホか、この人。
普通、こういう頭脳の持ち主は民間の会社なら管理職になれなし、なってもこういう事態を招いたら、間違いなくクビである。

生徒を中傷して自殺に追い込む教師がいたり、世間でこれだけ騒いでいることが分っていても飲酒運転で逮捕される教師がいたり、風俗嬢とトラブル起こして逮捕される教師がいたり。
教育界の荒廃は凄まじい。

なお、
「調査してみたら既卒業生の単位も足りなかった。だから卒業取り消し!」
という事態にだけは発展しないことをお祈りしておりますです。

「医は仁術」は奈良にはない

2006年10月19日 20時43分53秒 | 社会
「病で苦しんでいる者であれば、たとえ乞食でさえ家へ上げ、代金を求めず治療してやることも少なくなかった」
というような意味合いのくだりが、司馬遼太郎著「花神」第1巻の一節にあった。

そのお節介な医者の名前を緒方洪庵といった。

大阪大学医学部の前身である適々斎塾の主にして、幕末を代表する蘭方医。
福沢諭吉や大村益次郎など、明治の日本を築き上げた人々を育てた教育の人でもある。

「大阪はやっぱヨシモト、道頓堀のグリコかUSJかタイガースだよね」
とおっしゃる人々が多いけれども、タイガースは別として、適塾は現在もなお、地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」近くの同じ場所に建っているので、ヨシモト、グリコなどと軽いことばかり言わずに、是非、日本の夜明けの舞台の一つとなった歴史遺産を見ていただきたいものである。

ところで、この司馬遼太郎の描写した緒方洪庵像では医療に従事する者の非常に気高い倫理観が表現されている。
もし、あなたが医師であるのなら、例え患者が無一文の宿無しであったとしても、「何とかしてあげなければ我慢できない」という衝動に駆られ、診察し面倒をみないことには気が済まない性格でなければならないのだ、ということを主張しているのだ。

「そんなんじゃ、儲からないし、責任とるだけの貧乏くじは引きたくない」

とおっしゃる向きの医療関係者の方々は、是非奈良県へ行って医療活動、もとい、偽善商売をはじめになることをお薦めする。

新聞報道によると奈良県大宇陀町の女性が子供を出産する時に昏睡状態に陥り、大宇陀町の病院では手に負えなくなったので、他の「信頼できる」大きな病院に移送しようとしたら、十九にも上る県下の病院から「うちはベッドが一杯です」とか「担当の先生が不在です」とか「関係ないです」とか断られてたらい回しにされ、6時間後に、なんと大阪の国立循環器病センター(産科じゃなくて生体肝移植なんかの病院だぞ)がうちに来なさいと受け入れてくれて、何とか入院。
せっかく信頼できる病院にたどり着いたのに、女性はすでに手遅れで、無事に子供を出産したが本人は帰らぬ人になってしまったとか。
自分を生むためにお母さんが亡くなったことを知るであろう生まれた子供が不憫でならない。

ちなみに大宇陀町から豊中にある循環器病センターまでは、名阪国道を走って、西名阪道、阪神高速松原線、阪神高速環状線、阪神高速池田線を走っていかなければならない。
遺族の方も不憫だが、こんな距離を瀕死の患者を乗せて走った救急隊員の人々も不憫である。

で、昨日このニュースを新聞で読んで、いたたまれない気分になっていたのに、今日のお昼のラジオでもっと酷い内容の続報を耳にした。

「患者が死んだのは、大宇陀町の病院の産科医が内科医の助言に耳を貸さなかったからだ」
という。
責任のなすり合い。
ぶん殴るぞ!貴様ら。

奈良県民に告ぐ。
そこに住んでいたら殺される。
安心できる責任ある医療を受けたいのであれば、速やかに周辺府県へ避難せよ!

子供の持つ「死」の概念

2006年10月08日 19時45分27秒 | 社会
今日はちょっと重い話題。

先週2つの大きな事件が報道された。

一方は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州で発生したアーミッシュの学校へ銃を持った男が乱入し、児童を殺傷した事件。
もう一方は、北海道滝川市で昨年9月に発生した女児の自殺の原因が学校内でのイジメにあったことを市の教育委員会が隠ぺいしていたという事件だ。

どちらも被害者が12、3歳の子供であるということに特徴があるが、新聞報道を比較すると、この日米の子供の死に対する考え方の違いが、不謹慎ながら私の興味を強くひいてやまないのだ。

アーミッシュはハリソン・フォード主演の映画「刑事ジョン・ブック/目撃者」で一躍有名になったキリスト教の一派だ。
近代的な機器類を使わず、地味な黒、またはそれに近い色合いの独特の衣服を身に付け、基本的にはかなり質素な暮らしをしていることから、一般からは一種変わった人々と見られている。

このアーミッシュの子供たちが通う小学校に銃を持った男が数名の少女を人質にとり立てこもった。
ここまでなら、普通の人質事件で終ってしまうのだが、この事件の特異さは、この人質になった少女の一人が犯人に向かって懇願した内容なのだ。
その十三歳の女児は犯人に向かってこう言った。
「もし誰かを殺すのであれば私を撃ってください。その代わり、他のみんなを助けてあげて下さい」
と。
犯人は少女の望み通り、彼女を射殺した。
そしてさらに数名に向けて発砲した後、自殺を遂げている。
犯人の行動はコロンバイン高校を襲撃した男と変わるところはないかも知れない。
しかし自らを人身御供として指し出した少女の心は、いったいどいうものだったのだろうか。

「犯人を恨む気持ちはありません」
というのは被害に遭ったアーミッシュのコミュニティが発表した談話で、それに添えられた「私たちには怒りというものはありません」という言葉はキリスト教というよちも仏教を連想させる凄みすら感ぜられるのだ。
自己犠牲を伴う重い決断を、正しいか否かは別として、わずか十三歳の少女に下させる勇気を与えるアーミッシュ文化というのはいったい何なのだろうか。

それに対して「いじめ」という陰惨な体験から、たった十二歳の女児がどうして「自殺」というような選択を下してしまったのか。
私は教育委員会の事なかれ主義よりも、子供が物事の解決方法に自殺を思いつくような環境を生み出している、今現在の日本の文化を恐ろしく感じるのだ。
テレビは頻繁に「誰かが自殺しました」「子供が犯罪を犯しました」というような凄惨な事件の報道を垂れ流し、バラエティー番組ではコメディアンや「(似非)文化人」たちが「死」や「いじめ」などを茶化すような内容のものまで放送している。

昭和40年代後期、私自身もいじめられっ子の小学生だった。
しかし「死のう」などと思ったことは一度してなかった。
なかったというよりも思いつかなかった。
たった30年で、日本はどう変わってしまったのか。

二つの「死」に対する相違は、上辺の議論や謝罪に明け暮れる理念無き社会への警告以外の何ものでもないと思われてならない。

戦場カメラマンのブロンズ像

2006年10月06日 21時54分15秒 | 社会
「今度はちょっくらベトナムへ行って来ます」
と数年前、出かける直前に両親に話したら、
「.......そんな危ないところへ行って大丈夫?」
と心配顔で聞き返された。

私がガキだった頃。
ベトナムは戦場だった。
映画「地獄の黙示録」「プラトーン」「フルメタルジャケット」「ディア・ハンター」で見られるようにベトナム戦争は残酷だった。
私の両親の頭の中は、まだまだ30年以上も前のベトナムの映像が焼き付いていた、というわけだ。

その恐ろしいベトナム戦争で活躍した二人の日本人戦場カメラマンが、このほどサイゴン(ホーチミン市=役人以外の地元民が呼ばない総称)の中心でブロンズ像になって飾られることになった。

ブロンズ像にされる戦場カメラマンは沢田教一と一ノ瀬泰造の二人。
産経新聞の記事によると、上記2氏と共に戦場を駆け巡った元UPIカメラマンで骨董商を営むベトナム人が自分の店の前に二人のブロンズ像を建てるのだと云う。

沢田教一は子供を抱いた親子が爆撃から逃れるために必死で川を泳いで渡る場面を納めた「安全への逃避」と題された写真で知られているカメラマン。
それまで無名だった沢田はこの写真でピューリッツア賞を受賞。
一躍世界的な報道カメラマンの一人となった。

一ノ瀬泰造は「地雷を踏んだらサヨウナラ」で有名なカメラマン。
ベトナム戦争の取材に参加したのは戦争終結直前で、ベトナムを写した写真に特筆すべきものはあまりない。
むしろベトナム戦争後のカンボジアの風景の方が有名だ。

偶然に二人ともベトナムではなくカンボジアで命を落とした。
沢田教一はプノンペンから白人の同僚記者と取材に出かけ、その途中でクメール・ルージュと思われる賊に教われ合い方と共に射殺された。
一ノ瀬泰造はポルポト時代の朽ち果てたアンコールワットを撮影しようと試みて、彼もまたクメール・ルージュに命を奪われた。

「ベトナム戦争を世界に伝え、戦争を終結に導き平和をもたらしてくれた二人に感謝して」
というのが、ブロンズ像建立の理由らしい。
しかし、私には観光やビジネスでサイゴンを訪れる数が急上昇している日本人に当て込んだ「客寄せパンダ」ではないかと思われてならない。

「空港共生宣言」伊丹市のご都合主義

2006年10月05日 20時02分37秒 | 社会
その昔。
阪急電車「蛍が駅」を下車すると、見渡す限り田んぼばかりで、その田んぼの彼方に伊丹空港の滑走路が延びていたという。(確か城山三郎著「ゼロからの栄光」に書いてあった)
空港のまわりを遮るものはなにもなく、陸海軍の軍用機や誕生したばかりの日本航空のプロペラ機が離発着を行っていた。

それから30年ほどが経過して、「喧しいから空港はどこかへ行って欲しい」という運動が起こった。
ちなみにクレームをつけた人々のほとんどは、空港が出来た後に移り住んだ人たちだ。
飛行機はプロペラ機からジェット機の時代に代わって、大きさも10数人乗りから300人乗り以上もの巨大なものに代わっていた。

で、
「キーン」というジェット音が煩いさから。
大きな飛行機は落ちたら怖いから。
夜は眠れないし朝夕煩いし。
空港は要りませんと、地元自治体は宣言した。

「大阪空港撤去宣言都市」

飛行機は要りませんから空港はどこかよそへ言って下さいと正式に宣言した。
だから空港を運営していた国は国民の税金を注ぎ込んで周辺住宅の防音工事に、その他公共工事を次々発注。
それでも「喧しいからどっか行け!」の声は鳴り止まない。
仕方がないから、あれやこれや考えて海の上に空港を作った。
関西空港がそれである。

「関空できたら閉鎖で静かになるから良かったね」

と言ってた空港、大阪国際空港は今なお現役。
どうなっててるんだ?

空港の地元、伊丹の自治会、商工会が市議会に対して「空港共生宣言」の請願を提出した。

まったくもってご都合主義。
人間の身勝手さ、ここに極まれりといった感想だ。

国も伊丹市の宣言を認めて大阪空港を残すなら。
ジェット機の機種制限を撤廃し、
夜中も飛べる24時間空港にあらためて、
おまけに補助金はいっさい出さない条件で認めて欲しい。

大阪空港は地元の皆様の打出の小槌ではありません。

DVD犬

2006年10月03日 20時47分22秒 | 社会

ハリウッドの映画産業にとって、最大の敵は海賊版製造業者である。
全世界に於ける海賊版による被害総額は約2兆1300億円にのぼると言われ、そのうちDVDやVCDなどの光ディスクによる被害は約13億円というのだから、半端ではない。(数字は産経ビジネスアイより引用)

そこでハリウッドはDVD犬の養成に取り組んだという。

DVD犬とはちょこんと座って蓄音機に耳を傾けている犬の親戚ではない。
そんな日本ビクターのHis master's voiceの犬ではなく、違法な手段によって製作されたDVDを麻薬犬のごとく嗅覚で摘発する任務を帯びた犬のことなのだ。

新聞記事によると8カ月に渡って訓練された2頭のゴールデン・リトリバーはDVDの主原料である樹脂が発する独特な匂いをかぎ分けることにより、空港の通関や製造工場などで違法DVDの探索に当たるのだという。
その訓練に要した費用は1頭あたり105万円というのだから、想像していたよりも安い。
2頭で210万円だから、DVD犬で海賊版ソフトの製造販売を少しでも抑止できるのであれば、これほど安いものはない。

ただし、いくらプロのDVD犬と言えども正規ソフトと海賊版ソフトの嗅ぎ分けはできないということがだから、中途半端というか、なんというか。
ともかくDVDやVCDの違法コピーを防止するための注意を呼びかける、本当のDVD犬ではなく、いわゆる「客寄せパンダ」の趣があることは否めない。

なお、麻薬犬があり、DVD犬があるのなら、そのうちエロ本犬なんかも養成されるかも分らない。
そういったエロ系目的で海外旅行するオヤジは注意しなければならない時代もやってくるかもわからない。

バンコクのタクシー

2006年09月27日 20時49分41秒 | 社会
一昨日の産経新聞でバンコクで日本人の女性旅行者がタクシー運転手に暴力を振るわれ、お寺に逃げ込み保護された、というニュースが伝えれていた。


なんでも記事によると、
「カオサンの宿は一杯だよ、ぼくが宿屋を紹介してやるから」
というタクシー運転手の一言に騙されたらしい。
もしかすると彼女にとっては初めての海外旅行だったのかも分らない。
なぜなら上記のセリフは、有名な騙しテクニックの定番なのだ。

カオサンはバックパッカーのメッカとして知られ、私の大嫌いな場所でもある。
ここでは一泊1ドル程度のドミトリーから20ドル程度の安宿が集中し、不良外国人と不良タイ人が屯している。
食堂やパブなども外国人(主に西欧人)向けに作られており、シーロムやスクンビットに比べるとかなり安価だが、いかにもいかがわしい場所なのだ。
こんなところで騙され、怪我をするくらいならば、もし日本人ならタニヤ(日本人ビジネスマン&観光客ご用達の歓楽街)で遊んで日本並の料金を請求される方が、なんぼマシかもわからない。

カオサンでは、これら外国人旅行客を目当てにした悪徳なタクシーやトゥクトゥクの運転手も、当然ながら少なくない。
「安くて良いテーラーがあるよ」と初めて訪泰した外国人旅行客はいくつもの店を連れ回され(昔の私)、「安くて良い宝石があるよ」といっては安物の宝石を買わされて(昔の私)、「女、要らない?」と言われては風俗店を連れ回される(昔の私(但し、連れ回されただけで行ってません。キッパリ))ような、とんでもないところなのだ。

じっさいのところ、バンコクの交通網はかなり充実している。
タクシーなど使わなくてもたいていのところへは行くことができるのだ。

高架鉄道や地下鉄は速いし清潔でクーラーがよく効いていて快適。
路線バス網も日本とは比べ物にならないくらいに発達している。
バンコク都内の紀伊国屋書店や東京堂書店へ行くと「バンコク路線バスマップ」というとても便利な路線図が販売されている。
その地図に記されている番号のバスに乗れば、3回に1回ぐらいの割合で自分の行きたい目的地の近くにたどり着くことができる。
で、あとの3回に2回はというと、そのバスが途中までしか行かないことや、同じ番号でも種類によって行き先が違うことが分らずあたふたしたり、降りるタイミングを逸してしまって、どうでもいいところで下車することになってしまうのだ。
困ったことに日本のバスの運転手が日本語しか話せないのと同じようにタイのバスの車掌はタイ語しか話せないのが普通なので、意思が通じず、バスマップを持ちながら迷子になる、という楽しいおまけも体験できるのだ。
ということで、わざわざ割高で、危険がつきまとうタクシーを使わなくてもいいのだ。

とは言うものの、タクシードライバーには微笑みの国ならではの陽気で親切な運ちゃんも少なくない。
「○○へ行って下さい」
と片言のタイ語で話しただけで、
「あんた日本人? タイ語話せるの?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとだけ、でもいいよ。うれしーな......(以下、私には意味不明で陽気なネイティブスピードによるタイ語)」
と永遠に話し続けるのではないか、と思えるような陽気で賑やかな運転手に遭遇したときや、
すべての交差点でちゃんと一時停止し、歩行者を優先させ、制限速度を確実に守る交通ルールに律義な運転手に遭遇した時などは、思わず嬉しくなって笑ってしまった。

なお、最近ではカオサンよりもスカイトレイン国立競技場駅北側の安宿街が「安くて」「安全」という噂がある。
カオサンのような猥雑さはないが、バンコクの渋谷と云われるサイアムも徒歩すぐ。

それにしてもカオサンに宿泊しようとするような貧乏旅行者が、どうして空港からタクシーなんぞ使ったのだろう?

へっぴり腰だ、旅行代理店

2006年09月21日 21時15分16秒 | 社会
「日本は島国。だから外国のことには疎いんだ」

という人は未だに数多いが、ある方向から眺めると事実だから仕方がない。
しかし、外国で活躍する商社マンや外交官が「外国に疎い」と困ったことになる。
日本の外務省の職員の中には日本人の価値観そのままで(お人よしという意味)外国の主張を鵜呑みにして国家に多大の損害をもたらす人が少なくない。
しかも困ったことに自分自身は損害を与えていることにまったく気づかず、
「日本の歴史認識を改めなければ」
とか
「投資することは相互の利益」
などとと宣っているので恐ろしい。

で、こういう人たちの海外認識のピント外れは損害は大きけれど、一般人の身近で影響が表れないから無視されることが普通である。

ところで、昨日のタイの首都バンコクで発生したクーデターは各方面に大きな影響を与えている。
東京株式市場の平均株価は落っこちて、損した人は数知れず。
それもそのはず、海外からの対タイ投資の半分近くが日本からのもの。
落ちない方が不思議である。

でも一番ビックリしたのが旅行代理店の対応だ。
各社バラバラで、この事件への認識の違いを浮き彫りにした。

中小代理店の動向は知らないがJTBと阪急交通社は26日までツアーを取り止め。
近畿日本ツールリストと日本旅行は変更なし。
タイは年間100万人以上の日本人旅行者が訪れるいわば定番観光地。
JTBや阪急交通社は旅行のプロでありながら、「タイの政変」の性質的なものも理解しない。
島国そのままの旅行代理店であったらしい。

ニュース映像で、
「ここバンコクでは戒厳令が敷かれ.......」
と伝えられている後ろの映像で、道路には自動車がビュンビュン走り、電車バスが走ってて、ファミマ、セブンイレブンが営業している国の、どこが危険なのか疑いたい。
いつイスラム原理主義者が出現して観光客を銃で「処刑」しかねない中東諸国や、いつテロや凶悪犯罪に巻き込まれるとも限らないアメリカ合衆国や、いつクレージーな反日運動に巻き込まれて怪我をするかわからない中韓よりも、よっぽど安全だと思うのだが。

ま、なんかあった時に責任とらされるのが怖いという、へっぴり腰がホントのところか。
旅行代理店。

浪花のイメージ汚す大阪人(その2)

2006年09月14日 21時35分57秒 | 社会
ケチの吉本。
というのは、お笑いで有名な吉本興業のことではない。
いつの間にやら、関西芸人の有名どころが、
「ヨシモトはケチでんねん」
などと宣い出したので、芸能プロダクション兼興行師の吉本興業が「ケチなのだ」ということになってしまった。

JR大阪駅を下車すると、目の前にあるランドマークが丸ビル(第一ホテル)とヒルトンプラザ。
丸ビルは東京の丸の内ビルと誤解されやすい名称だが、こちら浪花バージョンの丸ビルは形が円筒形だから丸ビルで、目印は屋上に設置されてる電光掲示板。
明日の天気やニュース速報が流されて、長年大阪人に親しみを持たれている。
ヒルトンプラザは文字通りヒルトンホテルを中心にしたショッピングゾーンで、一昨年開店したハービスプラザと共に、大阪の高級ブティック街を形成している。

で、この二つを代表したビル群を持つ不動産オーナーが吉本晴彦氏。
この人こそ、ケチの吉本その人で、吉本興業とはなんの関係も無い間柄だ。

爪に灯をともす心持ちでお金を節約。
「生きたお金の使い方」に徹するがあまり「ケチ」との異名がついた実業家だ。

実のところ「ケチ」というのは大阪では悪い意味では決してない。
「ケチ」をネガティブな意味合いに持ち込んだのは、主にテレビやラジオの人たちだ。
というのも、関西、こと大阪では知らない間に、あまり感心しない風習が定着した。
その代表的風習が「金に汚い」こと。

商売取引をすると、関東の企業は相手の顔さえ潰さなければ一度築いた信用は、なかなか崩そうとしないもの。
ところが関西企業は「安く買わなきゃ損になる」というロジックに凝り固まって、築き上げた相互関係など破壊されても気にしない、というところが少なくない。
つまり百円のものを百円で買うのはバカのやることで、どちらかというと相手に損をさせるくらいでないと商売にならいくらいに思っているのだ。

ところがこれこそ似非浪花っ子、大阪のイメージを粉砕する大阪人のなりぞこないに違いない。

利益がなければ営業サービスなど出来るものではない。
それを叩いて叩いて裸にし、「ワシ、これだけ安く買うたんや」などと自慢する輩は大阪商人の面汚しだ。

山崎豊子の著作に「しぶちん」という短篇がある。
船場で一番になろうと努力した企業家が「しぶちん」と罵られながらも、最後には資金に困った商工会へ他人の出来ない多額の寄付を行うという物語だったように記憶する。
いざとなれば「生きた金」なら人様があっと驚くような気っぷ(江戸っ子のようだが)のいい使い方をするのが本当の大阪商人。
前述のケチの吉本氏は数年前に経営危機に陥っていた丸ビルを救うために、なんと億単位の私財を投入していた。

何でもかんでも安く買う。
金は貯めるもので使うものでは決してない。
人様が損するような汚い買い方こそ浪花商人の本道だ。

などというヤツこそ、浪花のイメージを汚す大阪人に他ならない。