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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

街中の奇人変人

2006年09月09日 20時58分36秒 | 社会
こんなトピック採上げて、人権問題になるんじゃない?
と自分自身で反問したが、今週は変な人をあまりに数多く目撃したので書かずにおれないので書いてみよう。

先週末の土曜日、午後9時頃。
大阪梅田から地下鉄御堂筋線に乗り込むと、座った席の向かい側が一人分だけ空いていた。
「混雑しているのに、なんでそこだけ空いてるの?」
と思っていると、空席の横に変なオッサンが座ってた。

「........儂は........フジエが好きや............フジエも.....儂のこと好きや....」

と半径5メートルには聞えるくらいの大声で「呟いている」のだ。
そんな大声だから、呟いているという表現が適切かどうかはわからない。
分らないが、自分自身に語りかけているのか真剣な表情だ。
何といっても目が据わっている。

「....儂は.......フジエを幸せに出来る........幸せにできるのは儂だけや」

と呟くオッサンは40前後。
私と似たり寄ったりだけに痛ましい。
労務者風のその姿。
裸足でサンダル履きなので、時たまサンダルを脱いで、座席の上であぐらを組む。
酒に酔っている気配がないのが、恐ろしい。

「可哀想やね、あのひと」
と私の隣のオバサンが話しかけてきたものの、「可哀想」というよりも「気味悪い」。
可哀想に思うなら、きっと彼の横の座席が空席になることはなかっただろう。

で、同じ御堂筋線で一昨日。
遭遇したのは「超神経質男」。
出勤途中、中百舌鳥駅から乗車したら、車内はいつものように満員だった。
十両編成の七両目に乗り込むと座席はすでに埋まっていて、仕方がないので6両目との連結近くの座席の前につり革を持って立っていた。

「すいません。シャカシャカして耳障りなんです。ボリューム落としてもらえますか」
と、私の前に座っている痩せた男が隣の若い女に言った。
若いOL風の女は携帯電話に繋がったイヤホンで音楽を聴いている様子。
あえてiPodやwalkmanを使っていないところが彼女のファッションか。
「....はい.......すいません」
と彼女はボリュームを下げたよう。
で、暫くすると件の男は再び言った。
「....頼みますからボリュームさげて下さい!迷惑なんだから、お願いです!」
と泣くような表情で嘆願した。

電車の中でiPodやwalkmanからシャカシャカ聞える音には時々私たちも悩まされる。
ところが、問題の女の子のイヤホンからは、シャカシャカ音も聞えなければ、それらしいノイズはまったく聞えてこないのだ。
「.....ボリューム落としてますけど.....」
と彼女は抵抗したが、
「でも、聞えるんです。イライラするから止めて下さい!」
と男は小さなハンカチ(色は流行りのブルーじゃなくて白色だった)を耳に当てて、抵抗する素振り。

で、ここまで来て周囲の者は感づいた。

「ああ、このオッサンはキ○ガイだ」

女の子には気の毒だったが、これからの展開を期待して周囲のみんなは眺めていたので、私も下車する難波駅までドキドキしながら、朝のドラマを見守った。

かようのように、街中には奇人変人が溢れている。
社会生活のストレスが原因なのか、もともとメンタルな病にかかっているのか、分らない。
分らないが、こういう奇人変人がいざ、人に危害を加えた時、現在の法律では罪を問えないことは、国民みんなが知っている。

6年ほど前、同じ地下鉄御堂筋線の「動物園前駅」で一人の女性が線路に落ちて、列車に轢かれて死亡した。
50代の清掃作業員のその女性は自殺したのでもなんでもない。
精神に病を抱えた少年によって突き落とされて死亡したのだ。
突き落とした本人は、事故を目撃した衝撃で、駆けつけてきた警察官に「怖い怖い」と宣ったらしいが、刑法上の理由により、罪はまったく問われなかったに違いない。
殺された女性の人権よりも精神的病を抱えた少年の人権の方が大切というのが今の社会。

事件の続報をチェックしていたが、新聞テレビに週刊誌はまったく報道せず。
少年の家族が責任をかぶったという話も聞かないし、主治医がかぶったという話もまったく聞かない。

街中の奇人変人。
気持ち悪がるだけなら良いけれど、たとえば彼らが犯罪を実行したとしても、責任を取るものが誰もいないということを考えると笑ってばかりいられないのが現代だ。

駐車違反の確信犯だ、スーパー玉出

2006年09月08日 21時54分44秒 | 社会
あえて実名を書かせてもらうと、大阪を中心に展開する地方スーパーの「スーパー玉出」は駐車違反の確信犯だ。

ここ数年、パチンコ店のイルミネーションよろしく下品な内装看板で大阪で物議を醸しているスーパー玉出。
黄色を基調とした看板や、大量の鏡を壁に貼り込んだ店内装飾は不愉快すぎて印象的だ。
照明や内装のデザインがパチンコ店仕様で派手なため、商品の本当の色が分らないという特徴を保持し、生鮮食料品は絶対ここでは買いたくないという印象を正常な感覚の持ち主の顧客ならば感じるような店なのだ。

芦屋や神戸市灘区あたりで展開する高級スーパー「イカリスーパー」や、最近関西への進出の目覚ましい「成城石井」とは対局をなすスーパーマーケットだと言えば、どんなところか分るだろう。

このスーパー玉出が、最近私の自宅近くに開店した。
国道310号線沿いの、テニスショップや一時期「アガリクスダケ」なるキノコ会社の入っていたビルを改装し、オープンしたのだが、その「なかもず店」(大阪府堺市中区)だ。

特徴は「納品用の駐車場がなく」「客用駐車場も小さく」「狭い歩道も自転車バイクがはみ出して」「煌々と黄色く照らされた看板が向かいのマンションに迷惑をかけてる店舗」ということだ。
オープンしたての頃は、国道沿いの歩道に「玉出」と書いた幟を10メートルおきぐらいに立てかけて近隣住民の物議を醸し出した。
こんな幟、警察署が許可するはずはなく、まるで郊外型風俗店かサラ金の広告のごとくアウトローな光景だった。
しかも、国道310号線のこの付近は大阪府立大学のキャンパスや堺市立の小中学校が位置しており、学業の地域に黄色い違法幟の乱立は、立てることを支持した者の倫理観を疑わせるに十分だった。

で、問題は納品車両の駐車場。

このスーパーは納品するための荷捌き場が設置されておらず、納品のために訪れた各業者のトラックは国道310号線の路肩に駐車して、荷物の出し入れに余念がない。
ドアを開けると歩行者や自転車、通行する自動車にぶつかるんじゃないかと気が気でないが、店も気にしなければ業者も気に留めることはない。
ラッシュともなれば納入業者と駐車場に止めるのが面倒な客が停めた自動車が数珠繋ぎになって、国道310号線の路肩は「スーパー玉出」の駐車場の様相だ。

で、ここを管轄する大阪府警堺東署のパトカーは、前を通っても知らん振り。
近所の交番も知らん振り。
尤も、最近話題になった女性連続監禁事件に知らん顔して被害を大きくした警察署だけに、もしかすると業者となんらかの密約が結ばれているのかも知れないが、証拠がないので、何とも言えない。

ともかく、駐車違反の確信犯だ「スーパー玉出」。
人が事故で死んでからでは遅いので、早々に処分や指導を下して欲しいが、ま、無理か。

祝!親王様ご誕生

2006年09月06日 21時27分58秒 | 社会
ということで、保守系オピニオンサイトである当「とりがら時事放談」。
当然のことながら今日の慶事を大々的に祝します。

いやー、しかし我が事のように嬉しかった。
思わず仕事中に会社を抜け出し、大阪梅田の駅前で号外を集めてきました。

さらに会社の帰りに赤飯買おうと思っていたのでしたが、これは残業で一揉めあって、迂闊にも買い忘れて帰宅。
命名の儀のおりに(来週)赤飯を買うこととしましょう。
ごま塩も忘れないように。

ということで、将来9月6日が祝日になるのは、やや中途半端ではありますが、皇太子殿下ならびに秋篠宮様と同世代の私には、あんまり関係ないことで。

ともかく祝!我がニッポン。

ホテル南海、閉店へ

2006年08月31日 21時13分14秒 | 社会
今から二十数年前の高校時代。
クラスの悪友に誘われてプロレスを見にいくことになった。
場所は、当然「大阪府立体育館」。

当時の大阪府立体育館は平屋のボロボロの建物で、まるで「中学校の体育館のデカイやつ」といった風貌だった。
ところが、そのボロボロの体育館は甲子園と並ぶ大阪のスポーツの殿堂で(こんなことを書くと「甲子園は兵庫県じゃ!」という兵庫県民がいるかも知れないが、無視します)、現在と変らず大相撲大阪場所が開催され、有名アーティストのコンサートなどが開かれていた。
私は大学一年の時に、ここへジョン・デンバーのコンサートを聞きに行ったくらいなのだ。

で、私が友達と訪れたのは全日本プロレスの試合で、ロッキー羽田やジャンボ鶴田などといった選手がいたようにおもうのだが、スター選手はやっぱり永遠プロレスアイドル「ジャイアント馬場」と世紀の悪役レスラー「アブドーラ・ザ・ブッチャー」であった。

この日、満員の会場ではリングの中で壮絶な闘いが繰り広げられた。
それはお決まりの流血試合だったのだが、その流血を見る為に私たち悪ガキ高校生はプロレス観戦に訪れているので大満足。
最初から終りまで、思う存分に楽しんだのであった。

すべての試合が終了して、体育館を出ると仲間の一人が、
「ジャイアン馬場、見に行けへんか」
と言った。
「どこ行くねん?」
と別の友達。
「馬場とかブッチャーは向かいのホテルに泊まってんねんで」
と、「馬場を見に行けへんか」と私たちにオファーした友達が指さしたホテルが、大阪府立体育館の斜め向かいにあった「ホテル南海」であった。

数十分後「さっきまで真っ赤に流血していた傷口は何処行ったん?」というようなブッチャーと、「ゴッツイ顔」と呟いてしまったジャイアント馬場が仲良くホテルから出てきたのだ。
大勢のファンにとり囲まれながら二人は他のレスラーと共にタクシー(だったと思う)に乗り込み色街に向かって(きっと)消え去った。

その二人が出て来た「ホテル南海」が今年の12月一杯で閉店することが発表された。
南海なんば駅前の激変(なんばパークス拡張、ヤマダ電機開店、丸井進出などなど)に併せて、収益の悪いホテルは閉店し、1200坪ある一等地の敷地は別の用途に有効に利用する予定、だということだ。
ジャイアント馬場さんとの想い出の場所が消え去ることは寂しいが、これも時代の流れ。
仕方がない、と諦めるか。

浪花のイメージ汚す大阪人(その一)

2006年08月28日 21時25分02秒 | 社会
ずーと昔、ラジオ大阪で放送されていた「歌って笑ってドンドコドン(以下、ドンどドコ)」という番組で、パーソナリティの上岡龍太郎が、
「中村美津子みたいなオバハンが宣伝している「米」なんか、まず~て食えるかい!」
と大声で話していたことがある。

当時、演歌歌手の中村美津子は関西の自主流通米の宣伝をしており、
「こんなオバハンが宣伝してたらとても美味そうに見えん」
と思っていた私も、この上岡発言に、
「そんなこと言うてもええんかいな」
と思いつつも深く深く同意したのであった。

その中村美津子が唄う「河内十人斬り」という歌を聴きたくもないのに偶然聴く機会を得た。

河内十人斬りは明治のはじめに実際にあった殺人事件をもとにした浪花節で、一部の人(浪花節ファン)には知られている有名な話だ。
したがって私はまったく知らなかった。
これを歌にしてCDを出したのが中村美津子で、その歌の中の目玉は、セリフがあること。
それも一般に知られている「汚くてガラの悪い」河内弁で、正直聴くに耐えないものがあった。

あまりに汚いので「エエかげんにセエッ!」とこちらも汚い言葉で怒り心頭に発したので、この「汚い言葉」を今日のブログのネタにしようと考えたのである。

全国一般の人々は今東光氏が作り上げた河内のイメージが「大阪を代表する」イメージのひとつであると思い込んでいるところがある
その重要な要素が「ガラの悪い」河内弁。

一般的に「おどれ~(オマエの意)」「けつかる(しているの意)」「われ(あなたの意)」などの河内言葉は正確には河内の「最下級階層の言葉」または「虚構の言葉」ということは、まったくといっていいほど知られていない。
もともと河内は大阪の東南部の農村地帯であり、そこには広大な(と言ってもオーストラリアやアメリカの農場を想像してはいけない)農園を庄屋が運営し、小作人が耕作に従事するという構図が存在した。

この庄屋を中心とする河内で使用された言葉は本来「船場言葉」なのであった。
意外に思われるかも知れないが、これは事実である。

船場言葉はいわゆる上方語で、上品で、かつ商いに用いる為に広まった非常にフォーマルな言葉なのであった。
現在、テレビドラマなどにみられる「○○でっか?」とか「○○でおまんねやわ」「番頭はん」「旦那はん」という言葉は、テレビや映画の為に作られた偽の船場言葉なのである。
実際の船場言葉は現在の東京を起点にする標準語に近かったという。
というのも江戸の言葉は骨格が上方語に分類されるそうで(確か上智大学(当時)の金田一春彦先生がNHKの市民大学講座でおっしゃっていた)、上方語に東言葉が組み合わさって誕生したのが江戸山の手言葉や一部の下町言葉なのだそうだ。
以上、少しく余談。

もともと河内は大阪の商家への重要な人材派遣元であり、商家で働く丁稚や手代、女中等の供給先として重要な役割を果たしていたのだ。
だから、河内の者が大阪の中心地、船場や島の内の言葉を話したとしても、なんら不思議はないのである。
きっと、河内者の微妙な訛りが冗談好きの大阪で受け、その結果として異常に誇張された現在の「汚らしい」河内弁が誕生したのだろう。

これには証言がある。
私事で恐縮だが、私の母方の祖母は河内藤井寺の出身で、実家は桑山という庄屋なのであった。
農地解放以前は藤井寺でも屈指の庄屋だったらしく、若い(10代の)頃の母が曽祖父に会う為ここを訪れると一家総出で大歓迎してくれるのだが、曽祖父は超厳格で船場言葉しか話さず、母の堺なまりまで修正するしまつ。
当然、小作人の方々もちゃんとした言葉遣いで「キチンとしていた」という。
したがって昔から中村美津子の吐くような河内弁をテレビなどで聞くと母は必ず、
「あれはウソやで。間違えた河内弁やから」
とまだ意味の分らない子供の私に説明してくれたものだった。

ということで中村美津子の歌は、そういう歴史文化事実と異なった全国民が期待する汚い言葉をCDに吹き込んだことにより、金儲けを企てているつまらない代物だ。
が、当人は気づいていないだろうが、このような行動はありもしない南京大虐殺や日本兵による百人斬り、従軍慰安婦などを喧伝し売国行為を働いている朝日新聞や社民党とまったく異ならない。
まさしく浪花のイメージを自ら汚す大阪人なのだ。

「ドンドコ」で「こんなオバハン」呼ばわりされた根拠は、まったくなくはなかったわけだ。

(参考)
ちなみに船場で使われた言葉は次の通り。
「○○でっか」×→「○○ですか?」○
「○○でおまんねやわ」×→「○○でございます」○
「番頭はん、旦那はん」×→「番頭さん、旦那さん」○
吉本新喜劇はめちゃくちゃですが、落語などは結構正しい言葉を使用しています。
また船場、島の内は現在の土佐堀通りから南、長堀橋辺りまでを指ます(間違っているかも知れませんが)
地下鉄の駅で言うと淀屋橋、本町、心斎橋、北浜、堺筋本町、長堀橋など。この地域で住友や鴻池(現UFJ)、大丸、そごうが創業している。

ガス会社はアホウか?

2006年08月25日 21時27分57秒 | 社会
ハーマンガス社製の浴室乾燥機が設計の不具合から火災になる可能性があるという。
すでにリコールは出されているが、大阪市内で数件の小火や火災が発生。
パロマの湯沸し器以来の大問題になっている。

ところで、ハーマンは大阪ガスや東京ガスに問題の商品をOEM供給しているようだが、そのOEM先からのコメントが洒落ている。

「メーカーから、この基盤が熱くなる、という連絡は来ていませんから」

消費者サイドから見たメーカーって、大阪ガスや東京ガスのことじゃないか?
OEMというのは相手先のブランドで、その相手先がメーカーとして販売すること。

にも関わらず、「メーカーから連絡は来ていませんから」と言うのは、自社ブランドは「製品の品質や、それを起因する事故について保障するものではありません」という意味なのか?

紳士淑女の皆さん。
ガス会社はアホウです。
安心を買いたければ火災や爆発の危険があり、なおかつ『人災の危険』もおまけに付いてるガスの使用はやめにしてオール電化でいきましょう。

日本遺族会は誰のための会なのか?

2006年08月09日 20時45分29秒 | 社会
第2次世界大戦で戦死した陸海軍将兵の家族が結成している会の一つが「日本遺族会」。

その目的は「英霊の顕彰」「戦没者の遺族の福祉の増進」「互いにいたわり救済の道を開き」「道義を高め」「品性の養うこと」などに努めたうえで「平和日本の建設に貢献する」ことらしい。

しかし、この会の存在はその目的とは正反対。
日本人のアイデンティティを破壊する。
そして国家を辱め、平和日本を脅かそうとする中韓を迎合する。
とんでもない集団と化している。
と、受取られても仕方がない外観を持っている。

その証拠が道義も品性もちっともない、売国親中韓の橋本龍太郎と古賀誠を歴代会長に頂いているということだ。

「A級戦犯は戦争原因を作った人たちだから」と互いに救済の道を開く必要もないと考える。

だいたいA級戦犯なるもの、幕の内弁当の松竹梅のランク付けではないのだから、A級が悪くてB級は良いなんて理屈は通じない。

「陛下がA級戦犯合祀を嫌われたのだから、A級戦犯は分詞するか『靖国神社の非宗教法人化をすべきだ』」

と現会長古賀誠は宣った。

靖国神社に参拝することを是としながら、国家の指導的役割を果たした人たちの合祀を非とする団体。
死人にむち打とうとする行為は日本人の伝統的な信条に反している。
いや日本人だけでなく、世界一般常識に反している。
死人にむち打つ習慣を持つのは中韓儒教国家の伝統だ。

さらに、
「大御心(おおみこころ)に胸を打たれた。私だけでなく遺族の気持ちだと思う。(メモが偽物という)とんでもない議論があるのは許せない」(読売新聞より引用)
とも古賀会長は宣った。

日本遺族会は新聞記事の真贋を確かめる努力も能力も持っていない、子供集団か?
それとも遺族は歳を取りすぎてボケてきたのか?
わからない。

週刊新潮は先週号で「富田メモは世紀の大誤報か」と大々的に報じた。
富田メモの昭和天皇のご発言とされる言葉が故徳川侍従長のものとほとんど同じだと報じたのだ。
メモの中身には天皇の使わない「参拝」という言葉までが使われている。

メモを検証した日経派遣の専門家は「その部分」しか見ておらず、「信頼できる」という専門家のくせに天皇の使う言葉と一般人の言葉の区別もつかない。
「(歴史的に重要だから)メモの全体を公開し、発言内容を分析したら」という新潮社の取材に対して日経編集部は「その必要はありませんし、認められません」との冷たい返事。

これって「煙幕を毒ガス」「売春婦を従軍慰安婦」「サンゴの自然な形を落書きした」「存在しない政治圧力を報道した」というイエローペーパー朝日新聞のやり方と同じじゃないか。
でっち上げを得意とするところは日本経済新聞も同じらしい。

政治生命が終了している古賀誠がゾンビのごとく蘇ろうと悪巧みに使っている「日本遺族会」。
ホームページに謳われている内容と会長の発言がかなり違うがどういうわけ?
もしかしたら日本遺族会は古賀再生ののための会なのか?

国と家族を守るために戦った英霊たちは泣いてるぞ。

追悼、吉村昭

2006年08月03日 21時30分57秒 | 社会
一昨年初め、私は東京大手前の経団連ホールで開催された読売新聞社主催「日露戦争100周年シンポジウム」のチケットに当選した。
なんでも7~10倍の確率だったそうで、厳しい競争率に勝ち抜いてゲットしたのは幸運だった。
しかしチケットは無料だったが、大阪から東京までの交通費は自前だったので、関空~羽田を特割1の一番安い航空券(新幹線より安い)を購入し往復した。
結構金のかかったシンポジウムだったのだ。

なぜ、そこまでして東京まで足を運んだかというと、このシンポジウムの見どころに「吉村昭の講演」が含まれていたからだった。

私は20年来の吉村昭ファンで、テレビ以外でその姿を目にすることがなく、シンポジウムの広告に吉村昭氏の名前を目にした時「今しかない」と直感し、会場が東京であるにも関わらず即座に応募。
めでたくチケットをゲットしたのだった。

偶然にもシンポジウムの会場で、私は吉村昭氏とトイレで鉢合わせする機会を得た。(相手は一読者の私など知らないが)
たまたな開幕直前に「オシッコしとこ」とトイレに入ると、朝顔の前で私の横に並んだのが吉村昭氏だったのだった。
私の父や叔父の世代に属する吉村昭氏は、私より背が低かったものの、かくしゃくとした姿で「ああ、この人が、数々の名作を生み出している作家なのだ」と感動したのだった。
場所がトイレでなければ、感動はさらに大きくなったことであろう。

当日の吉村昭氏の講演の内容は「ポーツマス会議」の取材に関するもので、実に興味深い楽しい一時間でった。

その吉村昭氏が亡くなった。
残念なことに私が「今しかない」と直感したのが現実になってしまったのだった。
享年79歳。
すい臓ガンだった。

始めて読んだ吉村昭氏の著作は大学生の時に買い求めた「戦艦武蔵」だった。
それまで読書癖のなかった私は、小説といえば司馬遼太郎や吉川英治の時代小説や井上ひさしのてんぷくコント、そしてなぜかまったく毛色の異なる武者小路実篤の白樺派小説しか目にしたことがなかった。
何がきっかけであったかすっかり忘れてしまったが、この「戦艦武蔵」を読むことにより、ノンフィクションという分野への私の関心を著しくかき立ててくれたのは、実に運命的であった。

その後、「武蔵ノート」を皮切りに「ポーツマスの旗」「シーボルトの娘」「熊嵐」など、出版されていた文庫本を買いあさり、そして読み漁った。

もっとも気に入ったのは黒部渓谷にトンネルを掘る「高熱隧道」と丹那トンネル建設の物語「闇を切り裂く道」のトンネル作品だった。
この2作を読むことにより、小説から「血の匂い」と「汗の匂い」を感じ取ることができ、文字で表す文学の世界が持つ強大で途方もないダイナミズムを感じ取ることができたのだった。

その後も戦中に日本(正しくは昭南島(シンガポール))とドイツとの連絡をとるべく長距離航海を行ったイ号潜水艦の物語「深海の使者」や、「関東大震災」「破獄」「赤い人」などの諸作品を夢中で読み漁った。

やがてノンフィクションへの興味は吉村昭作品に留まらず、沢木耕太郎や開高健、近藤紘一などの作品へと広がった。

近年の「大黒屋光大夫」や「生麦事件」「天狗騒乱」「アメリカ彦蔵」などは歴史小説ではあったが、吉村ノンフィクションが持つ独特のリアルさは失われることなく、他の作家の歴史小説とは一線を画す大きな輝きを持ち続けていた。

好きな作家の死去としては藤沢周平氏以来のショックである。

「私は先に先に作品を仕上げて行くので、死んでからも新作が出るだろうから妻から(作家・津村節子氏)『あなたは死んでいるのに新作が出版されるのは気持ち悪いわね』と言われた」
というようなことをエッセイに書かれていたのを読んだ時「そんな時が来たら悲しいな」と思ったことがあった。
しかし当然ながら、やがてそれは現実になってしまったというわけだ。

ともかく素晴らしい作品群をありがとうございました。
吉村昭先生、安らかにお眠り下さい。
そして新作を楽しみにしております。

パロマのセールストーク

2006年07月27日 20時48分52秒 | 社会
「過去30年間死亡事故ゼロ」
というのは、パロマのホームページに掲載されていた「セールストーク」だという。

「セールストークはこの時期相応しくないので削除しました」
というのは、ホームページからこの「死亡事故ゼロ」という記述を削除したパロマの理由だということを先週末に報道されていた。

パロマという会社は「セールストーク」は英語で「ウソも方便」という意味だとでも思っているのか。

むかしハナ肇とクレージキャッツの歌の中に「クリスマスとは英語で『忘年会』」という歌詞があった。
コミック系バンドがクリスマスは忘年会と歌うことには笑えるが、一般に名前の通った企業が「セールストークはウソも方便」というのには笑えない。

こういう笑えない感覚の持ち主だからかどうかは知らないが、自社の商品で死者が出ても謝罪に出向くのは社長でも会長でもなくて「副社長」。
常識を逸した会社だけに、もしかすると「副社長」が一番エライ会社なのかも知れないが、民衆はそんな非常識は信じないだろう。

セールストークはハッタリで、謝罪は番頭が行うような会社であれば、きっと「まともな商品」も、ウソなデータとウソの実験、ウソのスペックで塗り固められていることだろう。

一生懸命説明しても「それって『セールストーク』ですか?」と訊ねられたら、この会社の副社長や営業社員はなんて言葉で答えるのだろう。

これほど他人を馬鹿にした会社は、世界でもなかなか探すことは難しい。

トヨタとパロマ

2006年07月18日 20時47分05秒 | 社会
経済絶好調の中部の代表的な会社がつまずいた。
その名前は一方をトヨタ自動車といい、一方をパロマという。

トヨタは4輪駆動のハイラックスの「未テスト部品」による欠陥隠しが発覚し、パロマは自社製ガス湯沸かし器の違法改造による死亡事故が発覚した。

どちらも会社の根幹を揺るがす大きな事件だったにも関わらず、製品についての認識のしかたが同じなのは、中部圏企業の体質か。

トヨタは把握している事故件数の数の違いなどは「国交省と自社の認識の違い」と言い訳し、パロマは「改造は関連会社でもない工事業者が勝手にしたもの」と事件そのものをとりあわない。

もっともトヨタの方は欠陥隠しを行った社員は解雇して刑事告訴したらしいが、なんとなく世間へ向けてのポーズと受けとれなくもないのが辛いところだ。

いくつかの掲示板やブログの書き込みには、今回の事件の報道に対して「日本のマスコミは小さなことでも鬼の首をとったように『騒ぐだけ』」といった意見や「改造したものまで責任とれとは『オカシイんじゃない?』」といった意見が見られる。
しかしホントにそうだろうか。
新聞も商売だから1面2面では大きく騒いで読者に買わせる。
社説、論説では本音を吐いている。
そいうところを見分ける目も必要だ。

私は二社ともメーカーとしての安全システムがきっちり作動していなかったことに愕然としていると思っている。
ホントは日本式に「とりあえず頭を下げておきたい」のかも知れないが、両者とも海外に進出している企業だけに簡単に非を認める習慣が消失しているように見えて仕方がない。

とりわけパロマは20年間も違法改造を知りながら「うちがやった工事じゃないから知りません」というのは、あまりに無責任だ。
知っているのなら、テレビや新聞、業界紙を使って盛んにPRしてもおかしくない。
しないのは違法ではないかも知れないがメーカーとして、あまりに無責任というものである。

十数年前に大手製薬会社に納品した私の会社の商品の電気回路に不具合がありクレームになったことがあった。
誠心誠意対応し、お客様の担当者にも納得していただくことができたが、最後に頂戴した言葉が忘れられない。

「あなたの会社の商品はもし不具合や製作ミスがあっても誰も死ぬことはないでしょう。でも私の会社(製薬会社)の商品はもし不具合や製造ミスがあったら、直接人の命に関わります。」

二つの会社には、「有名で立派な会社かも知れないが」なにか重要なものが抜け落ちていると思えてならない。