人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ジョナサン・ノット ✕ 東響のR.シュトラウス「ばらの騎士」のチケットを取る / 田原総一朗著「全身  ジャーナリスト」を読む ~ 3人の首相を退陣に追い込んだ男のジャーナリスト3原則

2024年06月18日 01時47分27秒 | 日記

18日(火)。12月13日(金)17時からサントリーホールで開かれるR.シュトラウス「ばらの騎士」(演奏会形式)のチケットを取りました 昨年の「エレクトラ」も、一昨年の「サロメ」も他のコンサート予定が入っていたためチケットを取らなかったので、今回こそはと思っていました 本公演はジョナサン・ノット ✕ 東響によるリヒャルト・シュトラウスの「コンサートオペラ・シリーズ」の第3弾ですが、どうやらこれで完結のようです ますまず聴き逃せません。何しろ歌手陣が凄い 元帥夫人役のミア・パーション、ファー二ナル役のマルクス・アイヒェはじめ世界最高クラスの歌手陣が揃っています

     

     

     

ということで、わが家に来てから今日で3444日目を迎え、米CNNテレビは15日、27日に主催する米大統領選候補者によるテレビ討論会のルールを公表したが、2020年の討論会で、相手の発言を遮る行為などが相次いだため、相手候補の発言中はマイクの音を切る  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     自分の主張だけが正しいと思い込んでる お山の大将みたいなトランプ対策に有効だ

         

昨日、夕食に「ビーフカレー」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました ビーフはいつもの牛バラ肉ですが、美味しかったです

     

         

田原総一朗著「全身  ジャーナリスト」(集英社新書)を読み終わりました 田原総一朗はジャーナリスト。1934年4月滋賀県生まれの満90歳。早稲田大学を卒業後、岩波映画製作所に入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、1977年フリーに テレビ、新聞、雑誌などで活躍。代表的な出演番組に「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」「激論!クロスファイア」など。1998年、優れた戦後の放送ジャーナリストを選ぶ城戸又一賞を受賞 「電通」「戦後日本政治の総括」「堂々と老いる」など著書多数

     

本書は2024年4月に集英社から「集英社新書」として刊行されました

本書は次の各章から構成されています

序 章「僕はなぜジャーナリズムを疾走するのか」

第1章「非戦の流儀 ~ なぜ『日本の主体性』が僕のライフワークなのか」

第2章「ジャーナリストの心得 ~ 権力と金の誘惑、そしてタブーへの挑戦」

第3章「反骨の証明 ~ ジャーナリストは疑い続けよ、問い続けよ」

第4章「不条理の世界に対峙する ~ 右も左もぶっ飛ばすジャーナリストの誕生」

第5章「映像の過激派 ~ テレビの限界を超えたドキュメンタリー」

第6章「テレビと民主主義 ~ よみがえれ、大衆ジャーナリズムの活力よ」

第7章「原発と電通 ~ 日本社会を規定する2つの禁忌」

第8章「田中角栄が踏んだ『虎の尾』 ~ 自立を志向する首相はアメリカに潰される」

第9章「『モンスター』の誕生と転落 ~ テレポリティクスが僕を傲慢にした」

第10章「首相への直言秘話 ~ 僕はジャーナリズムを生きている」

終  章「混沌を生きる方法 ~ ジャーナリズムは未来を探る」

おわりに

朝日新聞第3面に「首相動静」という小さな欄があります。岸田首相の前日の行動を分刻みで記録している欄です いつだったか忘れましたが、つい最近「〇時〇分 ~ 〇時〇分  田原総一朗氏と面会」という記録があるのに気がつきました つまり、田原は90歳になった現在でも、現役の首相とサシで会って話をしているということです 一介のジャーナリストがなぜこんなことが出来るのか? その答えがこの本に書かれています

まず最初に、田原がジャーナリストとして守るべき原則、追求すべき理想として挙げているのは次の3点です

①日本に二度と戦争を起こさせないこと。

②言論の自由を守り抜くこと。

③野党をもっと強くして日本の民主主義を強靭にすること。

このうち①について、田原は「自分は軍国少年だったが、戦争中は『天皇陛下のために戦って死ね』と言っていた教師たちが、日本が敗戦となった途端に、『今までの日本は間違っていた。これからは民主主義だ』と手のひら返しをするのを見て信用できなくなった」と語っています

②について、一番分かり易いエピソードは政治家からの賄賂の話です

「2000年の小渕恵三政権末期の頃、自民党官房長官を経て幹事長代理を務めていた野中広務から、代理人を通して紙袋を渡された 代理人が帰った後で中を確かめると1000万円が入っていた 後で野中事務所に赴いて『申し訳ないけど受け取れません』とメモと紙袋を置いてきた 10年後、野中がインタビューで官房機密費の話を明かしたが、『言論活動で立派な評論をしている人たちのところに、盆暮れに500万ずつ届けることの空しさ』があったと暴露、私(田原)が受け取りを拒否したこともきちんと説明してくれていた ロッキード事件の際、田中角栄から現金の提供があった時も受け取らなかった この行為がその後のジャーナリスト人生に大いに役立った まず、相手がお金で篭絡しようとしてこなくなる この人には無理だということが業界内で知れ渡る効果がある。そうなると、誠心誠意、本音で取材の受け答えをするしかなくなってくる。それが狙いでもあった ジャーナリストは、政治との関係にかかわらず、お金の問題は身ぎれいにしておくことが肝心だと思う

これを読んで頭に浮かぶのは、田原以外の当時の高名なジャーナリストたちは盆暮れに500万円ずつ受け取っていたのだな、という疑念です

大物政治家をテレビに出演させて、言質を取って、批判していく手法により、田原は海部俊樹、宮澤喜一、橋本龍太郎の3人の総理大臣を失脚させています これについては、後で傲慢であったことを反省し、方針転換を図っています 批判するだけではダメで、むしろ首相に意見具申をする方が日本のためになるとして、直接会って1対1で話をする方向に修正しています

90歳の現在、「ここまでされたのなら、後は悠々自適に暮らしてはいかがですか」と労いの言葉をかけてくれる人がいれば、「いい年していつまでテレビで偉そうにしているんだ」とか「田原はもうボケた、老害以外の何物でもない」と批判する人もいる中、彼は「自分にとって、ジャーナリズムは終わりのない仕事だ。走って走って、時代を走り抜けたい」として、「理想は『朝まで生テレビ!』の放送中に命果てることだ」と語っています

ジャーナリズムのエネルギーの源泉として田原が挙げているのは飽くことのない「好奇心」です 90歳の一線ジャーナリストである田原の心境をあますところなく代弁している詩として、彼は サムエル・ウルマンの詩「青春」を挙げています

青春とは人生のある期間でなく、

心のもち方を言う。

薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、

たくましい意志、豊かな想像力、炎える情熱をさす。

(中略)

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、

驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、

人生への興味の歓喜がある。

(中略)

20歳であろうと人は老いる。

頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り、

80歳であろうと人は青春にして巳(や)む。

(サムエル・ウルマン著、作山宗久訳『青春とは、心の若さである』より)

さて、次に田原が朝日の「首相動静」に登場するのはいつのことか・・・その時、田原は岸田首相に「そろそろ退陣を」と進言するのだろうか


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